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1000字提言

「ボランティア」ってけっこう中途半端なんよ

廉田俊二

 「学校教育におけるボランティア活動」についての原稿を頼まれてて、何を書こうかと悩んでいたら、古い話を思い出しました。
 どっかの中学校が技術家庭の授業に踏み台を作って仮設住宅に贈った。と言うような記事を新聞で読んだんやけど、みなさんは覚えてますか。
 震災から1年くらい経った頃の話で、仮設住宅のトイレと風呂場の入り口に30センチの段差があって、そのままでは、お年寄りや障害者が使いにくいから、間に高さ15センチの踏み台をかますことで段差を緩和して、少しでも快適な暮らしをしてもらおう。といような感じの内容だったと思います。
 この記事が出たとき私のまわりでは、「これこそ福祉教育やなぁ」と絶賛しました。踏み台を通して、お年寄りや障害者とかかわりを持つ。それも技術家庭という学校のカリキュラムの中でやっていける。さらに注目すべきところは、これを思いついたのが生徒自身やというから、なんとも実にすばらしい。
 さて、ここからが私のホンネです。みんなで踏み台を作って、それを配って一件落着なんやろか。ほんまは行政がせなあかんことなんとちゃうのん。ボランティア活動でごまかしてええんか。
 生徒が踏み台を思いついたときに、「それはええ事に気いついたなぁ、そやけど、ほんまはそれは行政がせなあかんことやねん。そやから、まず自分らで見本を作って、それを持って役所に行って、こんな踏み台を仮設住宅に配ってもらうように頼んだらどうやろ」と、このことを先生には、ちゃんと言ってほしいねん。それで、らちがあかんようやったら、しゃーないからみんなで作って贈ろか。になるんとちがう。
  困っている人がおる。それをボランティアが援助する。そして困っている人たちも喜んでくれた。みんな満足して、めでたしめでたし。これで一件落着したかのように思えるけど、あまりにも対処療法的な解決の仕方とちがうやろか。そこにはなんの継続性もないし保障もないやん。結局、問題は先おくりで放置したまんま。よかれと思ってやっているんやろうけど…。
 うちのメインストリーム協会でも、アジアに車いすを贈るという活動を毎年やっているけど、本当に大事なことが、何なんかをちゃんと考えとかんと、足を引っ張ることになってもたら、話にならないもんね。

(かどたしゅんじ メインストリーム協会)