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二次障害考

ポリオとつきあって47年

原田さつき

ポリオが再発?

 「アメリカで今ポリオが話題になっているよ」
 友人からそんな言葉を聞いたのは、今からもう10年以上も前のことでしょうか。アメリカに知人が多いその友人が耳にしたのは、ポリオの悪化もしくは再発と、不確実な情報で、詳しいことはまだよく分からないが、とりあえず、ポリオを患って30年、40年経った患者の中から、急激にマヒが進行している人がいる、ということでした。ポリオの悪化、再発、マヒの進行、どれをとっても喜ばしい内容ではありません。詳しい情報が入れば教えてほしいと頼みましたが、当時4歳と1歳の幼児二人を抱え、共働きをしていた私は、気にはしつつも忙しさにかまけ、そのままになっていました。

ポストポリオってなに?

 ここ数年、わが国でもポストポリオが取り上げられるようになりました。同じポリオを患った仲間たちの力で各地にポリオの会がつくられ、患者同士の情報交換の場や、機関誌も発行されるようになりました。その結果、私が十数年前得ることができなかった情報を、これらの会の機関誌から得ることができるようになりました。
 次のことは、これらの機関誌から私が知り得た情報で、全くの受け売りであるということを先にお断りしておきます。
 ポストポリオというのは、ポリオに罹患した患者が急性期を過ぎ、生き残った脊髄運動神経細胞がたくさんの新しい神経の枝を伸ばし、それが動かなくなった手足の筋肉につながって、元通りとは言えなくても、ある程度機能を回復させます。それが、40~50年経って、これらの神経が疲れを生じ、筋力低下や痛みといった症状を起こします。本来、障害のない人と比べてみても生き残った神経は常に酷使されている状態ですから、急激に症状が出てきたと感じるようです。
 私は2歳でポリオに罹り、左手と両下肢にマヒが残りました。障害手帳の等級は1種1級です。ポリオに罹ったときは首から下は完全にマヒし、寝返りもできない状態だったそうです。記憶に残っている4歳頃の私は、いつも畳の上を這っていました。そして、手で支えて座位が保てるようになったのは、小学校に入学する前くらいです。何度かの入院、手術を受け、松葉杖と両長下肢装具を付けて歩けるようになったのは中学生の時でした。

共働きを続けて

 障害は重いほうでしたが、多くの機会に恵まれ、いろいろな方法で教育を受けることができ、仕事に就くこともできました。私の人生の中で結婚は考えられなかったはずなのに、結婚もし、子どもも出産しました。そして、共働き。
 先に書いたように、当時、私は子ども二人を保育園に預け、フルタイムの共働きをしていました。幼児を抱えての共働きは、障害のない人でも大変なことだと思います。結婚するときに退職も考えたのですが、職場の人たちの「辞めるのはいつでも辞められるよ」の言葉に励まされ、育児休職の制度を利用し、ついに子ども二人になっても仕事を続けていました。これは夫の大きな協力があってのことで、もちろん、保育園の送迎や家事も分担してもらっていました。そして私は、家の中では手動式車いす、仕事に行くときは松葉杖と装具で車通勤、保育園の迎えや近隣のスーパーへの買い物は電動車いすと、その時々に使い分け、自分の自由な時間は持てない多忙な日々を送ってはいましたが、それなりに快適に暮らしていました。ただ、下の子が赤ちゃんの時、抱いている左手の肩甲骨あたりがだるく、痛いのを感じてはいました。その子も1歳前になり、育児休職の終わりと保育園入園の時期とがうまく行き、私はまた復職しました。
 それから1年後、子どもが5歳と2歳になった夏、私たちは引っ越しをしました。そこは子どもの通う保育園が目と鼻の先にあり、生活は便利になるはずでした。ところが、日々の忙しさに加え、引っ越し準備の疲れと生活環境の変化が一度に集結したのか、背中から首にかけて激痛が走り、動けなくなってしまったのです。

二次障害は知っていたけど・・・・

 「この痛みは何?」不安な気持ちが頭の中をぐるぐるかけめぐる。でも身動きできませんでした。痛みは数日で軽くなったのですが、それ以後、首から背中にかけての違和感は持病になってしまいました。さらに肩関節周囲炎も加わり、「何とかなる」と踏ん張ってきた私も自分の体のこと、家族の生活のことを考えざるを得なくなりました。「いつでも辞められる」のいつでもが今なのだと察した私は、約1年後退職しました。
 障害者は老化が早い、子どもの頃からこの言葉はよく聞かされていました。それだけに若いうちに、元気で動けるうちに、やれることはやっておきたい、そんな思いで忙しく暮らしていることを楽しんでいました。しかし、残された機能を最大限に生かすということは体を酷使していることにつながります。実際は老化が早い訳ではないのですが、結果的にそういう状態になるのです。ポリオに限らず、加齢とともに変調を訴えている障害者を多く見ていました。ポストポリオという言葉はもちろん知りませんでしたが、ついに私にも二次障害が来たと、その時は覚悟に似た心持ちでした。

暮らし方を変えて

 10年前、仕事を辞めたことを契機に、補装具や松葉杖を使っての歩行をやめました。これ以上、肩や体の負担をかけないでおこうと考えたからです。それ以来、車いすの生活をしています。バリアフリーの時代ですから、かえって便利になったことが多いように思います。
 買い物にしても、杖歩行していたときよりも重いものが持てます。混雑しているときは恐くて歩けなかったことや、杖が滑って転ぶ心配もなくなりました。何より、家族や友人とリアルタイムで行動ができます。歩くことばかりに気をとられ景色を楽しむ余裕のなかった旅行も、楽しいものになりました。両長下肢装具を使っていたので、立ち座りが大変不便でしたが、その気遣いもなくなりました。ただ私のように障害の重いものは、いかに便利に楽に生活するかということを普段から考えていますので、福祉機器や補装具を使うことに抵抗感は全くありませんが、逆に障害の軽い方は抵抗感が強い場合があると聞きます。私の経験からも、体を痛めない生活は体を長持ちさせることにつながります。積極的に生活を楽しめる工夫をすることは大切です。
 最近の私ですが、3年くらい前から腕の力が弱くなってきました。若い頃は気にもならなかった寒さも、極端に弱くなりました。また、1年くらい前から感覚マヒが少しずつですが広がってきています。神経内科で受診していますが、ポストポリオだとは断定されていません。今後のことは予測できませんが、不安がることなく、ゆったりとした気持ちで生活するほうが早く治まるということも聞いていますので、定期検診は受けていますが、後は「なるようになるさ」の気分で生活を楽しむことを基本に暮らしています。
 最後に、わが家のように主婦が障害をもっている場合、すべての家事を一人でこなすということは無理な話で、当然、夫や子どもが家事のいくつかを分担します。日常生活の中で、家事はやりだしたらきりがありません。どのあたりで折り合いをつけるかということもあります。また今後、私自身の介助が必要になったとき、まだ介護保険の対象にもならない年齢となると、介護、家事の人手と費用をどうしたらいいのかという問題が、今、最も気になるところです。

(はらださつき 滋賀県在住)