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文学にみる障害者像

『シンプル・サイモン』
ライン・ダグラス・ピアソン著
田口俊樹訳

藤村出

 最近、自閉症は、さまざまなところで話題になる。その障害の複雑さや、原因が確定していないなどの神秘性が興味を呼ぶのだろうか。
 映画に登場したり、TVドラマで取り上げられたり…、自閉症者の活躍?がめざましい。反面、その名のせいか自閉症は、誤解もされやすい。相変わらず世の中では、「内気な人、陰気な人、閉じこもる人」をイメージする人が多いのも事実だ。

 ピアソンの「シンプル・サイモン」では、自閉症の少年が話題の中心になる。というよりは、自閉症の特徴が事件を引き起こしているのだから、どちらかと言えば主役に近い。
 サイモン・リンチは、自閉症の少年。瞬間的な認知と計算能力に並はずれた才能を示す。その並はずれた才能が事件の引き金になる。

 「イデオ・サヴァン」、知的障害の世界でも、時折話題になる、ある特定の分野での並はずれた才能を持った人たちが存在する。それは、感性がベースになる芸術の分野で発揮されることが多い。
 しかし、自閉症の場合は、それが、認知、計算、記憶などといった分野で突出することがあるため、普通には考えられない、信じられないようなことが起こり得る。
 衆目の記憶に新しいところでは、映画「レインマン」でダスティン・ホフマンが演じたチャーリーもそういった才能を一部に持っていた。
 本書「シンプル・サイモン」のなかの自閉症に関する記述は、一部に(読者に先入観を与え、話をおもしろくするためであろうか)誇張や誤解が見られるが、それとて目くじらをたてるほどのことではなく、登場する自閉症青年サイモンの行動の描写にはいささかの違和感も感じない。彼は、まさしく僕らが日常的につき合っている「自閉症の人」そのものである。

 そんな自閉症という障害の神秘性が、読者に、このありそうもないことを、「もしかしたらあるかもしれない」と、思わせる役割を果たしている。いや、決して、素人である一般読者だけでなく、我々専門家とて「絶対にない」とは言い切れない種類のものでもあるのだ。あるいは、専門家だからこそ、「あるかもしれない」と、思ってしまうのだろうか。そのくらい、一部の自閉症の人たちの能力には驚かされることがある。そして、その事件は、どう考えても「絶対にあり得るはずがない」ことから、始まっている。

 シカゴの静かな郊外で、16歳の少年サイモンは、国家の保安を脅かす危険な存在になろうとしていた。彼は、ある偶然から、パズル雑誌に載っていた暗号を目にし、それを解読してしまう。
 50文字×31行に並べ尽くされた数字と少々のアルファベット。ほとんどが数字の羅列であるが、彼にはそれがパズルであることがわかる。それは、アメリカの国家安全保障局(NSA)が、軍事、警察、諜報などの機密を取り扱うために開発した、解読不能とされていた最新鋭の暗号「キウィ」だった。
 サイモンは、スーパーコンピューターをはるかに上回る処理速度で、(まさに、とても信じられないような速度で)暗号を解読してしまう。暗号を解読すると、パズルセンターの『電話番号とキーワード』が現れ、『電話をすると暗号解読の賞品がもらえる』、と書いてある。サイモンは現れた文章の指示通りに電話をするが、名前を聞かれて答えずに電話を切ってしまう。
 母に「知らない人には名前を教えてはいけない」と教えられていたのであろう。忠実にその教えを守るのも自閉症の人ならではである。
 名前も言わないような子どもが暗号を解読してしまうなんて…。「あり得ないはずのこと」に、暗号の製作チームは動揺する。
 すでに、さまざまな試験が繰り返され、その暗号の実効性(つまり解読の難しさ)が確認され、世界中で情報活動に使われているコンピューターと解読のためのソフトは、すでにこの暗号にあわせて配備を終えた。
 FBI、国務省、CIA、国防総省など、国家保安に関連する秘密情報を取り扱う部門のすべてが、5年の歳月と、100億ドルもの予算を投じて作られたこの暗号システムに切り換えを進められており、目前に、実用開始が迫ってきている。しかし、国家安全保障局としては、解読される可能性のある暗号を使うわけにはいかない。
 だれが、どんな方法で、暗号を解読したのか。
 調べていくと、自閉症少年のサイモンが解読したらしいことがわかっていく。そこで、サイモンを捕獲するべく、組織的な動きが始まる。また、この暗号解読という情報を手にしたテロリストグループも、サイモンを追うことになる。
 一方、この少年サイモンとかかわりのあるFBIの捜査官アートが、周辺で次々に事件が起こり狙われる彼を護るために、八面六臂の活躍をする、というストーリーである。
 訳者あとがきによれば、「本書を何より特色づけているのはストーリーテリングのこの圧倒的なまでのスピード感だろう」とあるが、自閉症の少年サイモンなしでは、ただまっすぐに飛ぶロケットのようなものだろう。ジェットコースターのような楽しさを味わわせてくれるのは、彼がする行動の不可思議さと、「うーん、あるかもしれない!。あり得る」と、思えるような、騒ぎの始まりと、結末である。

 専門家としては、文中における自閉症の解釈に若干“???”と思わせるところもあるが、彼、サイモンの行動特徴や生活の描写は、自閉症の人たちの暮らしに慣れ親しんでいる私にも、「いかにも!」と思わせる、リアルな状況が描かれている。
 ジグソーパズルをどんどん組み合わせていくところから始まって、友達カードに名前を書き加えて増やしていくところ、決められた時間になると決められた行動をしようとするところ、シアーズタワーを見て「サイモンには“高い”が見えます」というあたり、毎日つき合っている人たちが文中に現れてくるようだ。

 ミステリーやサスペンスを取り扱う小説のなかでは、自閉症の不思議さが一役を担っていることは間違いない。前述した、「ありそうもないことが、実際に起こりそうな」、自閉症の人たちの暮らしや世界が、小説の展開に花を添えている。
 こういった小説が、一般読者の自閉症という障害の理解にストレートにつながるとは思いにくいが、彼らの行動が身近に感じられるようになることで、感じる違和感は少なくなっていくのではないだろうか。

(ふじむらいずる 仲町台発達障害センター)