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ワールド・ナウ

JASSのベトナム障害児支援活動
―障害児の日常生活の向上をめざして―

小山道夫

はじめに

 私は1993年にベトナム中部フエ市(人口30万人)へ一人でやって来ました。ストリートチルドレン支援のためです。それから7年半、ストリートチルドレン支援施設『子どもの家』を建設し、現在100人の子どもたちを収容、衣食住から通学そして18歳で「自立」するまでの人間教育を行っています。現在ベトナムでは、ベトナムの「子どもの家」を支える会(JASS)を中心にストリートチルドレン支援活動が行われています。
 5年程前にフエ市校外の農村の「葉っぱぶき」の貧しい農家を訪ねました。薄暗い土間に竹製の粗末なベッドが置かれ、二人の男の兄弟が奇声を発して座っていました。13歳と9歳くらいの兄弟は、後ろ手に縛られ、下半身は剥き出しの状態でした。脳性マヒなのでしょうか? 家から2メートル程の所には豚小屋があり、豚がブーブー鳴いています。私は、障害児の兄弟が、ブーブー鳴いている豚と同じような扱いをされているように思い、訳もなく腹立たしくなりました。両親は山で薪(たきぎ)拾いの仕事をしていて、85歳の祖母が二人の面倒をみていました。貧しさのため、障害の兄弟へ何の手当てもできないでいるのです。
 私は「人間扱いされていない」ベトナム中部の障害児のために何かしたいと思うようになりました。

障害児医療センター設立

 「国際ソロプチミスト東京―東」の皆様方のご支援で、フエ市立病院内に「障害児医療センター(ベインビエン)」を設立し、障害児へのアドバイス、車いす贈呈などの活動を行ってきました。

JICA(国際協力事業団)支援の「開発福祉支援プロジェクト」

 1998~2001年の3年間、JICAの支援によりトゥア・ティエン・フエ省(人口100万人:省都はフエ市)を中心に「開発福祉支援プロジェクト」を行いました。このプロジェクトの目的は、障害児の「日常生活を少しでも向上させる」ことにあります。
 プロジェクトは、JICAより資金援助を頂き、JASSがプロジェクトの主としてプロジェクトの企画・立案・執行の責任をとりました。
 私たちJASSと地元フエ市人民委員会(日本の市役所)が共同で、各村や地域の行政を通しての指導を行いました。医療面ではフエ医科大学、フエ中央病院、フエ市立病院、フエ平和村、フエ障害児医療センターと共同しました。

(1)トゥア・ティエン・フエ省の障害児の実態

 トゥア・ティエン・フエ省に15歳以下の障害児が一体何人いるのかは全く不明でした。今まで障害児の実態調査も行われていませんでした。一説には8000人とも言われています。人口100万人の省には障害児のための施設はほんのわずかしかありません。リハビリテーションセンター(フエ平和村)では、年間100人前後の障害児リハビリテーションを行っています。フエ盲学校には25人ほどの盲学生が学んでいます。

(2)JASS:JICA共同「開発福祉支援プロジェクト」

 3年間の支援は、第1に障害児の発見、第2に一人ひとりの障害児の処方箋の作成、第3に手術、第4にリハビリテーション、第5に車いす贈呈という内容のプロジェクトでした。プロジェクトの総額は約6000万円です。3年間のプロジェクト結果は次のとおりです。
・調査人口(137,041人)
・訪問家庭数(31,947軒)
・発見障害児数(2,234人)
・手術数(817人)
・リハビリテーション数(680人)
・贈呈車いす数(950台)※プロジェクト対象地域以外も含む

1.障害児の実態調査

 支援地域内のすべての家庭を訪問し、15歳以下の障害児の調査を行いました。そのために約1000人の障害児調査員の研修を行い、障害児の見つけ方(100項目程のチェックポイント)をビデオやOHPなどを使って教えました。その結果、31,947軒の家庭を訪問し、2,234人の障害児を発見しました。

2.一人ひとりの処方箋の作成

 家庭訪問の結果、発見された障害児2,234人は、フエ医科大学、フエ中央病院の医師20人による内科、眼科、耳鼻科、歯科等の「総合健康診断」を受けました。最終的に一人ひとりの障害児の処方箋が作られ、「この障害児は手術したほうがよい。この障害児は手術はできないが、リハビリテーションをすることで、日常生活を向上させることができる」など一人ひとりの支援方針を決めました。

3.手術

 20人の医師団により手術を勧告された障害児には、手術を行いました。当然ながら手術前に手術を勧告された障害児の両親などに手術の内容を説明しましたが、一部の両親は手術結果に不安を抱き、手術を拒否しました。しかし、多くの障害児が成功裏に手術が終わる中で、後になって手術を再度希望するようになりました。最終的に817人の手術を行いました。手術はフエ医科大の教授を中心にフエ中央病院の各科医師などによって執刀されました。
 817人の中には、70人の心臓病の手術が含まれていました。2年前までベトナム中部では心臓病の手術をする病院がありませんでした。多くの重症の心臓病の子どもたちは、死を待つのみでした。
 1998年のプロジェクト初年度には、5人の心臓病の子どもたちをホーチミン市の心臓病病院で手術を行いました。
 2年前、フエ医科大学に心臓病手術設備が寄贈され、JICAプロジェクトと共同し、多くの重症の心臓病の子どもたちの命を救うことができるようになりました。

4.リハビリテーション

 リハビリテーションをすることで「日常生活を少しでも向上する」ことができます。今回のプロジェクトでは、680人のリハビリテーションを行いました(実際には現在もリハビリ継続中)。
 リハビリテーションは、フエ平和村とフエ中央病院リハビリ科の医師や専門家によって行われ、リハビリテーションの仕方を障害児の両親に教え、家庭で継続的にリハビリテーションを行うというシステムを作り上げました。このリハビリ研修は2週間ほど宿泊して行われます。
 村ごとにある診療所(医師一人と看護婦二人ぐらい)の責任者もこの2施設でリハビリテーションの総合研修を行いました。研修を受けた両親や家族が自宅でリハビリテーションを行っているところを定期的に村の診療所の医師が訪問し、正しいリハビリテーションの指導をさらに行うようにしています。こうしたことによって、多くの障害児のリハビリテーションが可能になりました。
 もちろん専門家が専門病院で行うリハビリテーションに比べ、その質は低くなりますが、リハビリテーション専門施設が圧倒的に少ないベトナム中部の現状では、両親が家庭でリハビリテーションをすることで多くの障害児が救われています。

障害児支援プロジェクトを終了して

 私は7年半フエ市で生活し、多くの海外医療団体の障害児支援を見てきました。多くの海外からの医療支援団体は、障害児を診察し、診療記録を持って、そのまま帰国してしまいます。
 ある時、農村の障害児の家庭を訪問しました。「今まで10回も海外医療団体の診療を受けたが、目が悪いと言われただけで、一向に目が良くならない。診察しただけで帰ってしまう海外医療団体の診療は今後一切行かない」と母親が話していました。この言葉は私の心に強い衝撃を与えました。何のための医療支援なのか? 障害児数や障害の種類等の医学的な資料作りのための調査ともいえる支援に疑問を感じました。そこで「障害児の日常生活の向上」をめざすプロジェクトを始めた次第です。

 今回のプロジェクトでは、支援金が間違いなく障害児のために使われるようすべてのお金の管理は、JASSのベトナム事務所が行い、ベトナム側には、実際にかかった分を個別に支払うという方式をとりました。
 これはとかく海外支援金が「どこかに消えてしまう」という現状があるからです。またこのプロジェクトは、すべてベトナム人で行うことにしました。障害児実態調査、診断、手術、リハビリテーションにいたるまで…。
 同時に、これだけの大規模な調査をするためには、地元の行政の協力が必要です。フエ市人民委員会(フエ市役所)との共同で、フエ市人民委員会から各村や地域の人民委員会へプロジェクト実施の通達が出され、スムーズにプロジェクトが実施されました。
 今回のプロジェクトは、ベトナム中部で初めての総合的な障害児支援プロジェクトでした。多くの障害児が日常生活を向上させることができ、文字通り「障害児支援プロジェクト」として成功しました。特に両親や家族へのリハビリテーション指導は、今後、家庭で永続的なリハビリテーションが可能となりました。
 2001年度は、2000余人の障害児の「父母の会」を作ることで地元の行政や医療機関との合意を得ています。一人ひとりがバラバラになっている障害児の親同士が情報を交換し、励まし合って障害児の生活を向上させ、そこに地元の行政、医療機関が協力するという体制を作り、引き続き障害児への支援を強化していくつもりです。

(こやまみちお ベトナムの「子どもの家」を支える会(JASS)ベトナム事務所長)