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ボランティア休職を通して“自分探し”に取り組む

丸田諭

 はじめに、私は1996年10月21日から1997年10月20日までの1年間、当社が全国に先駆け制度化された「ソーシャルサービス制度」に応募し、その適用を受けました。
 当時の活動先は、毎週定期的に重度肢体不自由者施設、精神障害者施設、高齢者施設での活動、バザー等のイベント支援、アルミ缶の回収、企業人のボランティア入門講座の企画・運営、タイ・スリランカ・中国黄土高原へ現地訪問して支援活動、その他世田谷ボランティア協会や施設の役員関係等全く仕事から離れて、ボランティア活動に専念してきました。そして、ボランティア休職を終え、仕事に復帰したあとも、平日の夜や土・日曜日の休日を存分に活用して、ボランティア活動を継続しています。
 ボランティア活動のきっかけは、当時の自分の生活パターンを振り返りますと、毎日が仕事を中心として、会社と自宅の間を“振り子”のごとく繰り返す人生で、何となく生き方に錆(さ)び付き、気だるさのようなものを感じはじめたことからでした。そして、何事に対しても無感動で、心からでなく作り笑いに終始する自分になっていました。また50歳という人生のハーフタイムを目前に控え、このまま会社と同心円の中で定年を迎えた場合、その後の人生をどのようにデザインしようとしているのか、将来不安に苛まれたのもこの頃でした。そんなある日曜日の午後、散歩中偶然にのぞいた世田谷ボランティア協会とのかかわりが、その後の自分の生き方に対する道標として、大きな方向づけをしてくれました。
 ボランティア活動を通して得たことは、活動中年齢を忘れて子ども心・童心にかえり、心から笑い、素直に感動や喜びを表現している自分を発見することができたことです。また、老若男女・職業を問わず多くの方々との出逢い、これは単に縦社会の関係だけでなく、多くのボランティアをはじめ、障害という個性をもった方々、その家族、施設の職員、役所の方々等、縦・横・斜めと縦横無尽な関係のネットワークに浸ることができたことです。
 さらには、今まで人生における持つべき最大の対象がステイタス・名誉・物欲等であったのが、自分自身の存在を主体とした生きがい、地域とのふれあい、出逢い等に転化できたこと。ボランティア活動そのものが仕事から解放され、ストレス解消・癒しの場として心地よい居場所になってしまったこと等々。つまり、ボランティアの対象はほかでもない、意外と自分自身であったことに気づきを与えてくれたことです。このようにボランティア活動を通して、計り知れない幾多の宝物をいただいております。
 私にとってボランティア活動とは、感じながら動き、動きながら感じて徐々にステップアップしていくという“感動”の繰り返しであり、そして、自分自身の生き方を選択していくことだと思っています。
 一方、企業の福祉分野への社会貢献活動についての提言としては、福祉に限らず、企業として、社会への貢献をどのように捉えていくかトップの経営意思、心構えを確立することだと思います。あとは時々の事情によって、メセナや財団設立や制度(ボランティア休暇など)、地域との密着活動等多岐にわたっていろんな支援方法を選定していくことができます。
 また、社員に対しては、さりげなくボランティア活動ができる時間の配慮なり、側面からの支援体制に主眼を置くことが大切です。社内の自主・自発性を育み、ボランティアマインドを醸成していけば、おのずと社会にやさしい企業として成長していくのではないでしょうか。

(まるたさとし 富士ゼロックス株式会社KSP総務部管理グループ長)