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カウントダウン AP10年

障害者の国際会議を推進するため、
国会議員は超党派で応援します!

 「アジア太平洋障害者の十年」は、来年最終年を迎えます。この十年のまとめの会議(「アジア太平洋障害者の十年」最終年記念フォーラム)は日本で行うことになりました。
 来年の会議開催に向けて、昨年の12月には組織委員会が結成され、動きが始まっています。これらについては、すでに本誌2月号(2001年)でも取り上げ、関連する動きを随時紹介してきましたが、今月号からは、毎回紹介していきたいと思います。
 1回目は、最終年記念フォーラム国際会議の開催を推進するために超党派で結成された「障害者国際会議推進議員連盟」の会長である橋本龍太郎元総理大臣からのメッセージです。

障害者国際会議推進議員連盟 会長 橋本龍太郎
(衆議院議員・元内閣総理大臣)

1.障害者国際会議推進議員連盟の発足

 「アジア太平洋障害者の十年」が来年、最終年を迎えるとお聞きして、私は10年前「心身障害者対策基本法」を全面改正し、現在の「障害者基本法」が生まれたときのことを思い出します。それは法律の名称にある「心身」を削除する時のことです。
 障害者団体のみなさんが来られ、これからは障害の種別を超えて、精神障害者も知的障害者も、身体障害者もみんな同じ仲間なのだ、力を合わせ一致団結して障害者みんなの問題を考え、施策を推進していこうという決意をうかがったのです。
 そして今回、最終年に三つの国際会議、三つのキャンペーンを成功させようということで、障害者団体、専門家の方々が団結して組織委員会を設立する。これに呼応して車いすの八代先生や視力障害のある堀先生らが中心になって、国会議員も障害者施策は超党派で応援しようという空気が生まれ、衆参200人を超える国会議員が加盟する「障害者国際会議推進議員連盟」が発足しました。

2.挑戦する障害者に公平なチャンスを!

 私は幼いときから、障害をもった父親の後ろ姿を見て成長しました。
 父は、足に障害があり、杖や松葉杖がなければ行動できませんでした。父が大学に進学しようとしたとき、昔の帝国大学、現在の国立大学ですが、障害者の受験を受け付けてくれませんでした。父は文部省の門前に座り込み直談判したそうです。それが功を奏したかどうか分かりませんが、翌年からその制限が撤廃され、はじめて国立大学受験に門戸が開かれ、挑戦する障害者に公平なチャンスが与えられたのです。
 今、政府は資格試験に挑戦する障害者に公平なチャンスを与えるため、「欠格条項の見直し」を2003年までに行うよう作業を進めています。

3.21世紀はバリアフリー化社会の実現

 私が子どもの頃からわが家のお風呂は、床面より低く設置され、浴槽の縁が低く、中に踏み台があって、父が一人で入浴できるようになっていました。また階段には手すりとすべり止めが付いていました。
 私は家屋や家具というものは、そうなっているのが当たり前だと思っていました。わが家が特別な家であることに気がついたのは、私がかなり成長してからのことでした。
 今日、バリアフリー化のスローガンの下、公共施設・建築物のハートビル法や公共交通機関の交通バリアフリー法が制定されました。そして、段差のない街づくりが全国で進み、駅にはエスカレーターやエレベーターが設置され、お年寄りや障害者が生活しやすい環境が整備されつつあり、それが当たり前のことになりました。
 これまでの福祉は「社会的弱者への特別の配慮」という視点から整備されてきました。しかしこれからは、「障害者・高齢者への配慮はすべての人にとって有用である」という考え方を「ユニバーサル・デザイン」と言うそうです。
 たとえば、ライターは、戦争で片腕を失った兵士がタバコに火をつける工夫から生まれ、盲人が手紙を書けるようにとタイプライターが発明され、電話を発明したグラハム・ベルは難聴の妻のためだったとのことです。
 21世紀の人間が利用する生活器具は、発想を転換し、ユニバーサル・デザインという視点で開発に取り組んではどうでしょう。

4.日本はイニシアチブの発揮を!

 昭和38年老人福祉法が制定され、「敬老の日」に100歳以上のお年寄りをお祝いしようということで初めて調査した時は153人でした。私がはじめて衆議院に当選した年のことです。それから30年経った今日、100歳以上人口は1万人を超え、平均寿命は男77歳、女84歳と世界一の長寿国になりました。
 これは世界に誇れることです。わが国には戦後、先輩たちが構築した国民皆保健・皆年金、介護保険、生活保護制度等の社会保障制度、老人・障害者・児童のための福祉制度など、国民の健康と生活を守る制度の基盤があることを忘れてはなりません。
 戦後の廃墟から立ち上がり、今日の日本を築き上げた経験を、アジア太平洋地域の発展途上国の福祉向上のために、日本は率先して福祉イニシアチブを発揮しようと、私が総理大臣をしているとき、リヨンで開かれた先進国首脳サミットで提案しました。その思いは今も変わりありません。いや、これからの日本はそうなくてはならないと思っています。

5.21世紀、「ノーマライゼーション社会の実現」

 21世紀のわが国の国づくりは「ノーマライゼーション」の基本理念に基づく社会の実現であると思います。
 「物理的環境、教育・労働、スポーツ文化生活において障害をもつ人々にとって利用しやすく整える義務が社会にはある。これは単に障害をもつ人々のみならず社会全体の利益となるものである。なぜなら、ある社会がその構成員の一部を閉め出すような場合、それは弱く、脆い社会なのである」
 20年前の国際障害者年(1981、 昭和56年)にあたり国連の行動計画の中で述べられている一節を思い起こし、改めて国民の皆様のご理解ご協力を切に願うものであります。

(「AP10年ニュース」第2号より転載)