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ほんの森

サワムラ
疾風のリハビリテーション

藤田久夫・浜村明徳・田澤英二編

評者 上田敏

 この本は澤村誠志先生が長年育て上げた兵庫県立リハビリテーションセンターをこの3月に定年退職されたのを記念して、国内外の30人以上の友人知人の方々が先生のお人柄やお仕事を縦横に語り尽くした本であり、最後に先生自身のインタビューと年譜が収められています。いわば「澤村誠志のすべて」という本です。私も澤村先生を30年以上存じ上げており、最近もいろいろな仕事でご一緒することが多いのですが、その私も知らなかったいろいろな側面を知ることができ、大変興味深く一気に読み上げました。
 澤村先生は昭和5(1930)年神戸の生まれで、お父様が右下腿切断という障害をおもちでした。下腿切断という障害は、現在のように義足が進歩し、切断者のリハビリテーションのシステムも発達してきた時代には障害としては軽い部類に属するといってよいのですが(実はそうなったのはほかならぬ澤村先生の功績です)、当時は義足のソケットのどこで体重を受けるか、完全にフィットするソケットをどう設計・製作するかという理論や技術が全く未熟だったので、絶えず断端に傷ができて、先生がその包帯巻きを手伝ったということです。またお父様が肢体不自由者協会の世話役をしておられたため先生は障害のある人々のなかで育ちました。これが先生が医師、しかも切断と義肢の研究・普及を中心とするリハビリテーション分野に志したきっかけとなりました。
 先生は神戸医科大学を卒業後、整形外科医への道を選びましたが、当時の日本には切断や義肢についての優れた指導者がいなかったため、1958年という海外渡航がまだ非常に難しかった時期に、弱冠28歳でアメリカに渡り、最新の義肢装具の教育を受けて2年後に帰国し、その後はそれを日本国中に普及することと地元の神戸市・兵庫県に最良の切断と義肢のサービスができる場を作ることに奮闘努力されました。
 その後の先生の足跡は県立リハビリテーションセンターの建設と充実、日本義肢装具学会創立への協力、兵庫県リハビリテーション協議会の創設、義肢装具士法の成立への原動力となったこと、福祉のまちづくり運動の推進などなど数え切れません。なかでも強調すべきことは、障害のある人が住みなれた場所で生き生きとした生活が送れるような地域リハビリテーション活動の推進と、国際義肢装具協会会長をはじめとする国際活動、特にアジア義肢装具センターの設立という大事業でしょう。
 この本を通じて先生の温かい人柄に触れ、勇気を与えられる人が多いことを願います。

(うえださとし 日本障害者リハビリテーション協会副会長)