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文学にみる障害者像

『死の棘』
島尾敏雄著

大津留直

 『死の棘』は作者自身の経験を徹底的リアリズムの手法で描いた「私小説」であり、昭和29年から30年にかけてのトシオとミホという夫婦の壮絶なる愛と葛藤の物語である。ミホは結婚以来10年間、それ程売れない小説を書く夫トシオと、伸一とマヤという幼い子どもたちのために貧しい家計を切り盛りし、身体が丈夫でない夫の健康を献身的に気遣ってきた。ところが、トシオは文学のためという口実のもとに仲間と飲み歩き、挙句(あげく)の果てに他の女性との関係を持つ。それがミホに発覚し、彼女がこれまでの従順な態度を一変させ、トシオをその過去の隅々に到るまで繰り返し追及し、訊問しはじめることからこの物語は始まっている。トシオはもはや女のところへは行かないことを約束し、妻に隷従する態度を示すにもかかわらず、ミホの訊問はますますエスカレートしていく。トシオは、このミホの執拗な訊問を、ミホが精神に異状を来していることが分かるずっと以前から「発作」と呼んで怖れる。トシオがそれを怖れれば怖れるほど、ミホの「発作」は、自殺願望を伴って、激しさを増していき、終(つい)に場所と時間をわきまえず頻繁に起こるようになる。
 トシオにとって、妻の「発作」がどんなに苦しいものであり、ときには、自分の頭を壁にぶつけたり、紐で自分の首を締め付けたりするほど自己嫌悪に襲われ、妻の執拗な追及をかわすために発狂を装ったりするにもかかわらず、妻と家庭を捨てて女のもとに走るという選択肢は、彼にとってはもともと存在しないかのようである。むしろ、妻の「発作」が激しければ激しいほど、心の底で、自分に対する妻の愛情がいかに強いかを思い知らされ、自分の不義がますます後悔されるのである。つまり、彼にとっての選択肢は、妻とのほとんど不可能に見える和解か死かでしかありえない。
 ミホにとっても「発作」は、夫や自分を痛めつけ、子どもたちをも心理的に窮境に追い込むのであるから、死ぬほど苦しいに違いない。しかし、どんなにもう二度と「発作」を起こすまいと決意しても、ひとたび、夫が女のことで何か隠し事をしているのではないかという疑いが彼女の心に首をもたげると、遅かれ早かれ、「発作」を起こしてしまう。やがては、その疑いははっきり「妄想」という形を取るようになる。まさにそこに、この「発作」が一種の精神障害である所以(ゆえん)があると同時に、ここに「障害」一般に共通する苦しみの一側面が語られているように思われる。つまり、それは人間が「発作」を自発的に起こすのではなく、むしろ、「発作」に全く受動的に襲われ、弄(もてあそ)ばれるという苦しみである。
 トシオは、妻のこの「発作」をそれに対抗することなくそのまま受け入れることを学んでいくことにしか、妻や家族とともに生きていく道はないことに徐々にではあるが、気付いていくのである。しかし、それは、トシオ、つまり、島尾敏雄にとっては、妻との関係を繰り返し小説として作品化することによって、彼らの苦しみが何であったのかという問いと直面することを置いてはありえなかったのではないか。そのことによって彼は、自分と妻とのそのような絶望的葛藤を、あるユーモアにも似た内的距離をもって眺めることを学んでいったのではないか。そして、彼はまさにそのことによって、無防備に「発作」に晒(さら)されている妻を、愛をもって守ることができる唯一の人間が自分であることを発見し、そのことにある種の「幸福」さえ見出すに至ったのではないか。ともかく、小説の終幕においてトシオは、妻の二度目の入院において自分自身、隔離病棟に一緒に入ってミホを看病することを決意するのである。
 その終幕に近い箇所でそのことが次のように語られている。「狭い部屋にからだを寄せ合って眠っている妻やそのいとこたちの寝顔を見ていると、つらくてはかない感情が胸につまってくる。自分のこころのほんのわずかな病み疲れが、まわりのものすべてをグロテスクな容貌にしてしまう。しかしそうさせているものはほかならぬ妻のこころの頑なな故障箇所だが、考えてみれば、彼女がいつまでも縛られていなければならぬ状況などもうどこにも無くなっているのだ。それなのになおそこに妻が引っかかって通り過ぎようとしないのはどんな理由からだろう。苦しむためだけにわざとそうしているとしか思えないふしぎなこころのはたらきに、私は絶望するほかに方法もない。いったい何をそんなに! と妻の寝顔をまじまじと見つめるが、思いつめると思いかえしのきかぬいちずな気質の、無邪気で清らかな、幼い表情が認められるだけだ。すると目ざめている時の発作は幻覚ではないかと思われてきて、それに私がなぜ耐えられないのかわからない。耐える、ということではなく、私は胸を広げて妻の発作を呑みこんでしまうべきではないか。それができずに、輪をかけた発作を湧きたたせてますます妻のそれをねじれさせる自分の胸うちの狭さはなんともなさけなかった。夕方に医師が置いて行った伸一に飲ませる薬の2回目の投与の、午前の1時を待ちながら、あらぬことをあれこれ考えながら、私はふと、あるいは今自分はむしろ幸福と言えるのかもしれない、などとあやしい気分になったのがふしぎであった。」
 自分自身何らかの障害を負う者とその両親、あるいは伴侶は、とかくして加害者意識と被害者意識が交じり合った複雑な葛藤の袋小路に入りこんでしまい、それに互いががんじがらめになって苦しむものである。「発作」は、精神的なものにせよ身体的なものにせよ、避けようとすればするほど激しくなることがしばしばである。私のような脳性マヒ者においても、そのアテトージスによる緊張や痙攣(けいれん)の発作は、心理的葛藤と無関係ではない。障害とその「発作」が「治らない」ものであり、しかも、意識的に治そうとすると逆に激しくなることがあるならば、障害者とその両親・伴侶は、その障害とどのように付き合っていけばよいのか。この袋小路から脱出する道はどこにあるのか。しかし、翻って考えれば、そのような袋小路に入りこんでしまうほど他者との密度の高い関係にいることは、実は、大変な幸福なのではないか。ただ、それが「幸福」だと分かるためには、その袋小路にいる自分とのある内的な距離が必要なだけなのではないのか。それがいつかフーッと分かる瞬間があるものなのだ。
 島尾敏雄の場合、そのような瞬間の後、それを確認したのは彼のカトリック信仰であり、文学であったのではないか。そのような内的距離を得ることによって障害や発作が治るわけでもなく、袋小路がすぐさま消えうせるわけでもない。しかし、そこにはその心理的葛藤にのめり込んで、がんじがらめにされているだけではないある内的自由が生まれているのである。
 確かに、この小説が繰り返し執拗に描くのは、トシオ、あるいはミホが単独に、あるいは両者が共に死のうとする場面である。だから、この小説は、人生の絶望のみを描いているように見える。実際、彼らの人間的葛藤はそのような場面において、その都度最高潮に達する。しかし、彼らは結局死なずに生き延びるのであり、そこに当人同士には未だ隠れたかたちであるにせよ、ある転換が用意されているのであり、両者にあの「内的自由」が芽生え、育っていくことを作者は暗示しているように思われる。
 この小説は、したがって、作者自身が妻に対する加害者意識と被害者意識の袋小路にはまり込んでしまっている罪人であることを神の前に告白する懺悔(ざんげ)の祈りであると同時に、自分も他者も実はすでに赦(ゆる)しの中で生かされていることへの感謝と喜びの表現であり、内的自由の自己表白でもあるのである。そのことを実は、「死の棘」という表題が聖書からの引用として暗示しているのである。「死のとげは罪である。罪の力は律法である。しかし感謝すべきことには、神はわたしたちの主イエス・キリストによって、わたしたちに勝利を賜わったのである。」(『コリント人への第一の手紙』15,56-57)
 『死の棘』を「障害」という観点から読んだ場合、そこに扱われているのは、確かに非常に限定された局面である。しかしそれだけに、そこに描かれている人間的葛藤は読者にある言いようのない深い感銘を残すのである。

(おおつるただし 大阪大学・関西学院大学非常勤講師)