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『わかば新聞』

勝木みどり

 「やった―!おわった―」新聞が完成した時、部員たちの口から、安堵とも喜びともとれる歓声があがります。決して簡単ではない「わかば新聞」作りをする部員にとって、このひとときは極上の瞬間です。
 北海道伊達市には、知的障害者総合援護施設「北海道立太陽の園」から巣立ち、地域生活を送る人たちのために、「施設から地域への中継基地」として昭和47年に設立された伊達市立通勤センター旭寮(現伊達市地域生活支援センター)があります。その旭寮を退所した人たちが、交流や親睦を目的に昭和55年につくったのが、地域生活者自治会「わかば会」の始まりです。発足当初35人だった会員数も、旭寮利用者や太陽の園の退所者、平成2年からは在宅の人も加わるようになり、現在では230人の大所帯となっています。
 わかば会は当初の親睦団体から、本人活動組織に変化していますが「会員が安心して地域生活をおくる為に、相談したり励まし合う事」を目的としています。その活動をすすめていくために四つの部会(研修部・行事部・新聞部・余暇活動部)に分かれて事業を行っており、企画から実施までをすべて自分たちの力で行っています。
 「わかば新聞」を作る新聞部の仕事は、歓送迎会や研修会、奉仕活動や旅行など、たくさん実施した行事の報告を「わかば新聞」という紙面を通して会員へ知らせることです。現在、新聞部の活動は部員3人、事務局員1人と支援者1人で行っています。「わかば新聞」の発行、臨時で発行する「ふれあい通信」、そして今年度よりカラー印刷にした、記憶に新しい有珠山噴火の写真を表紙にしたわかば会のパンフレット、「未来の仲間」の改訂作業などを活動内容としています。
 活動の中心である「わかば新聞」は、会員のみなさんに楽しく、わかりやすい話題の提供を心がけながら作っており、「ルビを必ずつける」「写真・カットを多く取り入れる」ことで、読みやすい内容になるよう努力しています。
 新聞作りの行程は、まず実施された行事について、自分たちで記事を書くことから始まります。以前は、行事に参加した会員に依頼し感想文をかいてもらっていましたが、一般的に「新聞」というものを考えたとき、「記者が記事を書く」のが普通なのでは、という話になりました。「文章を考えて書く」この作業は、新聞作りにおいて一番の難所で、「会員に見てもらうこと」を基本として考えていきますが、ふだんサービスを受けることのほうが多い彼らにとってサービスを提供する作業は、頭を抱え込んでしまうほどのプレッシャーがあるようです。
 しかし、時間をかけ修正に修正を重ねた記事ができあがり、次には、ワープロ打ちの作業に入ります。もちろん、最初からワープロを使いこなせる部員がいるわけもなく、一からの勉強になりましたが、ここ1年位でめきめきと力をつけ、今では支援者がいなくても作業ができるようになっています。次に、写真・カットの選定、割付、そしてやっと印刷、配布となります。
 すべての作業を全員が得意とするわけではありません。ワープロの得意な人、コピーの得意な人、写真を撮るのが得意な人等、それぞれのキラリと光る部分が組み合わされてこそ、「わかば新聞」は完成するのではないかと思います。退勤後の疲れた身体でやってきて、時には午後10時をまわる新聞作り。決して楽な作業ではなく、できれば避けたいことのほうが多い工程ですが、完成させた瞬間の満足感、読んでくれる人がいる喜びにやりがいを見出しているようです。
 現在、「わかば新聞」は、会員のほかに北海道内の当事者組織にも配布していますが、今後、北海道外の組織への配布も考えています。また、IT時代と言われる今、インターネット(もちろん今はパソコンはありませんが…)を通して、いろいろな人に「わかば新聞」を発信していけたらと思います。
 「夢は大きく、はばたけわかば会!」

(かつきみどり 「わかば会」支援者)

(財)日本障害者リハビリテーション協会発行
「ノーマライゼーション 障害者の福祉」
2001年12月号(第21巻 通巻245号)