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ワールドナウ

メキシコの障害児教育事情

田口順子

著しい地域格差

 2001年9月11日、世界中のテレビに映し出されたニューヨーク世界貿易センタービル倒壊シーンにはだれもが強い衝撃を受けた。そんなことが起こっているとは露知らず、私はその時、メキシコ上空にいた。
 メキシコシティーに近付くにつれ眼下に見えるのは、世界3大サッカー場のひとつと言われる巨大で見事な競技場と、それとは対照的なメキシコシティーを取り囲むように密集している周辺衛星都市。立ち並ぶ家屋は上空からも貧困地帯と見てとれる風景であった。
 メキシコ合衆国(以下メキシコと記す)の総人口は約9800万人、うち10%に相当する1000万人がメキシコ連邦区および周辺衛星都市で生活していると言われる。統計上、メキシコ人口の約7%が身体障害者であると言われ、知的障害者、精神障害者の実態はつかめていないから、それらを加えるとかなりの障害者数と推測される。周辺都市に関しては人口の約10%(約100万人)が何らかの障害を有していると言われている。
 周辺都市に移住・定住した出稼ぎ労働者は、季節労働時期を除いては無職の者が多く、また労働賃金が低額であるため十分に家族を養うことができず、栄養不良が原因で出産した乳児に何らかの障害が生じることが多い。また出稼ぎの多くは先住民であり、同種族により近親結婚による障害児発生の頻度の高さも問題となっている。
 周辺都市に100万人存在すると言われる障害者のうちの約7%、7万人しか教育を受ける機会のないことも深刻な問題であろう。このような著しい地域格差は周辺都市をはじめ、日本の5倍の国土にあって地方とりわけ南部に顕著な地域格差が現れている。
 国家予算の乏しさのなか、社会的弱者は取り残され、障害児に対応できない学校の受け入れ体制の 深刻化、養護学校建設、教員要請など山積する急務な課題を抱え、なおも努力する住民をはじめ教員、母親、そしてすっかり定住し障害児者を支援、療育に専念している青年海外協力隊隊員の養護、言語聴覚士、理学療法士たちのひたむきさに胸打たれた。
 平成11年にようやく始まったメキシコにおけるリハビリテーション、福祉分野の協力隊派遣の現場と、今後の要請背景調査等福祉支援の在り方に資することを目的にわずか1週間の日程であったが、現地を訪問したので、ここではメキシコの障害児教育の一端を紹介してみたい。

障害児教育の形態

 障害児教育への取り組みは比較的、歴史が浅く、養護教員の不足をはじめ療育、教育に携わる専門職の養成校もない状況にある。
 メキシコ教育開発事業計画(1995~2000年)では、医療、福祉教育と心身障害児教育開発が提唱され、次のような組織形態のもと障害児者教育強化に努力が重ねられている。
(USAER)Unidad de Servicios de Apoyo a la Educacion Regular
 軽度障害者を含む身体障害児受け入れ普通校で、普通校の初等教育教師が教育を担当している。
(CAM)Centro de Atencion Multiple
 重複障害児受け入れ支援校で、CAM教育の重点課題は養護一般のほか、言語障害、聴覚障害、視覚障害、知的障害、心的障害、身体障害などすべての障害を対象とした重複障害児を受け入れている。CAM発足当時は、障害別にクラス分けがなされ授業が行われていたが、障害児が一般社会に適応できるよう、そのため前記のUSAERすなわち軽度障害児を含む普通校への転入を目標とした多様な障害をもつ子どもたちの混成学級が試みられている。
 1クラスに聴覚障害児、言語障害児、身体障害児等が重度、中程度の別なく存在し常時、2人の教師によって授業が進められている。一見、感動的な授業風景ではあるが、特殊教育の養護教員の制度がなく、教員の大部分は大学で児童心理学を学んだ者であり、聴覚障害、言語障害をもつ子どもは授業全体を通して理解することは困難である。一方、重度身体障害児は母親が迎えに来るまでテーブル付きの木製椅子に座らせられたままである。
 このCAM校の究極の目標は、1年間に何人の障害児を普通校に編入させられたかであり、各校ともこのことを競いあっているようである。各校とも年間平均して15、6人の障害児を普通校に編入というより受け取ってもらっているようであるが、問題ありとして再び戻ってくる児童は、身体に障害をもつ子どもが多い。授業中の介護、ケアに手がまわらないこと、教員はケアの方法について知らないことなどがその理由のようだ。このことは本来、重複障害児受け入れ校としてのCAMについても同じで、専門の養護教育や療育について学んだ者はいない。少しでもこの問題を解決させるために、教育研修所から専門分野の教員が定期的に学校を巡回視察し、指導を行ってはいるが、こうした教員とて心理学専門の教員がほとんどである。
 毎週金曜日は教員の研修日としてとってあり、このため学校も休みであるが、必須と課せられたこの研修会への出席も3分の1に過ぎない。教員の給料は一般に低く、警官で月およそ2万円、教員はその半分の1万円、公的教育機関ではないNGO関係となるとそのまた半分の5000円であり、これでは生活はやっていけず、研修日はバイトに精出すことになるという。
 あらゆる面で人材不足が問題となるところであるが、その中でも日本の支援要請を受けたいのが理学療法士、言語聴覚士、作業療法士等である。CAM校においてもっと身体障害児に機能回復訓練、生活指導を施行することができれば普通校への転入は可能と期待しているからである。理学療法については、後述のDIF部門において看護婦、放射線技師など経験のある医療従事者の希望者を集めて、ある一定期間リハビリテーション講習会を受講させて認定証を交付し、各施設で理学療法士、作業療法士、言語聴覚士としてリハビリテーションを実施できることになっている。
(CAPEP)Centro de atencion Pre Escolar Psicopedagogico
 就学前の幼児教育で、軽度な心身障害児教育が含まれている。
(DIF)Desarrollo Integral Familiar
 家庭福祉庁で先住民、女性、貧困、弱者支援組織である。心身障害児者の医療福祉、リハビリテーション部門を担当している。医療福祉リハ関連の講習会は、指定病院や所轄の脳性マヒ支援協会で行われている。
 メキシコにおいては「養護教育」はCAMの所轄担当となっており、「理学療法士、作業療法士、言語聴覚士」はDIFが担当している。医療部門として位置づけられているため、養護学校(CAM)と家庭福祉庁(DIF)は連携を取りつつ障害児の福祉、リハビリテーションに取り組んでいるが、絶対的な人材不足が隘路となっている。

メキシコ福祉への支援協力

 どこまでも広い風景、200キロ、300キロの間隔で点在する市や村々で単発的に活動する日本の青年海外協力隊隊員の姿を見た。一養護隊員は1か所の施設にとどまらず、障害児の教育はもとより、女性の所得創出活動を支援したり、行き場のない家庭で過ごす重度の障害児を訪問したりしている。その町で彼女の名を知らぬ者はいないほどである。一言語聴覚士は両親が諦めていた子どもの発語を可能とし、まるで神様のように尊敬され信頼されている。一理学療法士は現地でほとんど実施されていない乳幼児の評価と検査を行い、障害の見極めを周囲のスタッフに教育している。
 メキシコ人は素朴で教育熱心、小児虐待の話は聞かず、両親は障害児を大切にするという。多国籍ボランティアが多く入ってきたこともあって、リハビリテーション分野ではNGOの活動が活発で、一般の人々からの寄付も多い。政策としての認識はないのだが、弱者相互の協力支援は知らずのうちに住民参加型のCBRが形づくられている。どこの民間施設、公立の養護施設、学校を訪ねても「お金や物は要らない。障害児の療育や教育を私たちに教えてくれる人がほしいのです」という言葉が印象的であった。
 隣国が米国でありながら、この分野はあまり米国の影響を受けておらず、親日家が多く、日本に対する期待が強いようにみえた。今後どのような交流を図っていくのか、むしろ日本側の課題であろう。

(たぐちよりこ 青年海外協力隊技術顧問)