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会議

障害者差別禁止法制定に向けて
日弁連が宣言!

池田直樹

 去る11月8日、第44回日弁連人権擁護大会(開催地・奈良)においてシンポジウムが開催された。テーマは 「障害のある人に対する差別を禁止する法律の制定をめざして-バリアのない社会のために-」である。日弁連が人権擁護大会のシンポのテーマとして障害者問題を取り上げるのは初めてのことであり、あまりに遅すぎる感は否めないが、ADA(アメリカ障害者差別禁止法)制定後10年が経過したこと、障害者基本法の改正時期を迎えていること、また今年秋にはDPI世界大会が札幌で開催される予定になっており、国連の基準規則を条約に格上げする取り組みが検討されていることなどを踏まえれば時宜に適ったものといえる。
 シンポジウムには弁護士、障害当事者、福祉関係者など700人近くが参加した。前半の最初の報告は、基調報告書の紹介である。今回は実行委員会が手分けしてアメリカとイギリスに調査団を派遣し、ADAとDDAの制定経過および規範内容、手続きなどを調査しており、これらの報告はこれから具体的に立法化をめざす日本にとって大変参考になったといえる。また、実行委員会ではこれらの先進的な外国の差別禁止法を参考に、基調報告書の中で日本における差別禁止法の要綱案をまとめており、その概要を紹介した。ただ、この要綱は日弁連全体の議論を経ておらず、また実行委員会内部の議論も未消化であるため、今後のたたき台として当事者団体や専門家による批判を仰ぐ必要がある。
 その後、北野誠一桃山学院大学教授の基調講演があった。権利擁護システムは普遍的支援システム(バリアフリー法、アクセス法など)と個別的支援システム(総合支援法、社会サービス法など)によって構成され、これらを前提として社会生活の中での法的地位の確立を「平等保障」と「地域で当たり前に暮らす権利の保障」を根拠に推し進めていくべきであると指摘された。その後「アジアわたぼうし音楽祭」の開催を毎年呼びかけている「たんぽぽの家」のメンバーから詩の朗読と歌が披露された。
 後半のシンポジウムは、堀利和参議院議員(視覚障害)、河幹夫厚生労働省参事官、金政玉DPI日本会議障害者権利擁護センター所長(肢体不自由)、野沢和弘全日本手をつなぐ育成会権利擁護委員会委員長(知的障害のある人の家族)、松本晶行全日本ろうあ連盟常任理事(弁護士・聴覚障害)が登壇し、差別禁止法の必要性について意見交換した。時間の都合で、会場から寄せられた意見や質問を発表していただく機会を持てなかったことは遺憾であり、今後の立法化に向けた活動の中で反映させていく必要がある。なお、会場では手話通訳やパソコンを使った速記表示に多くの方々の協力が得られた。このことがシンポの成功を支えてきたことを特筆すべきであろう。
 日本には障害者基本法があるが、この法律は国民に具体的権利を保障したものではなく裁判規範性がないため、権利侵害に対する救済の役には立たない。何よりも、民間における差別的取り扱いを是正させる法律が必要であり、差別の定義として「障害を理由とした不利益取り扱いが差別であること」、職場や建物利用などで障害のある人に対して「合理的配慮(作為)義務」を課して、「この配慮義務を果たさないこと(不作為)は差別であること」を明記することも必要であることが指摘された。北野教授は、最後のコメントの中で、アメリカの弁護士たちがADAを勝ち取るために必死になって活動に参加したことを紹介され、差別禁止法制定に向けて日本の弁護士への期待と役割の重さを強調された。日弁連は、今後この発言に応えていく必要がある。
 シンポジウムの翌日は人権擁護大会が開催され、日弁連は障害のある人々の意見を踏まえつつ、障害のある人の完全な社会参加と差別のない社会を実現するために、差別禁止法の制定に向け全力を尽くす決意である、との宣言が満場一致で採択された。シンポジウムと大会が終了した後、ある政党から素早い反響があり、差別禁止法要綱案(実行委員会案)について、実行委員会の代表が党幹部にレクチャーする機会を持つことができた。今後は日弁連人権擁護委員会の中にプロジェクトチームを作り、全国から障害のある人々の声を集約して、当事者の差別禁止法獲得運動と連携し、超党派での差別禁止法制定議員連盟の結成を呼びかけ、衆参両議院の法制局と擦(す)り合わせを行うなど具体的な立法制定活動を検討していく必要がある。
 なお、このシンポジウムでは「障害者」という表現を避けて「障害のある人」という表現を使った。従来から「障害者」という呼称で慣用されていることは踏まえつつも、差別禁止法で保障されるべき新しい法的地位を前提とするとき、従来と同じ表現では社会へのインパクトが弱い。ただ、「障害のある人」という呼称が最善であるとは言えず、どのような表現にするかは障害当事者自身が決めるところに習えばよいことではあるが、英語圏での表現の変更(people with disability)や日本における変更の動きを参考に、一つの試みとしてこの表現を使うこととしたものである。

(いけだなおき 大阪アドポカシー法律事務所)