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1000字提言

Let’s try―夢をあきらめずに

高村真理子

 あるろう学校で講演した時のことだった。夢をあきらめずに、try(やってみる)という精神でcan(できる)と信じてがんばってほしいと締めくくった。講演後、生徒から質問がいくつかあった。そのひとつに、歌とダンスに興味があるが、聞こえなくてもやっていいのでしょうか、というのがあった。聞こえなくてもやれるでしょうか、でなく、やってもいいのでしょうか、と遠慮した聞き方に驚いた。その言葉の裏には、聞こえないのだから、やってはいけないものかもしれないが、自分はやりたい、でも…ほんとにやっていいのか、という何かを気にしたようなマイナス的な意味合いが含まれている。その時彼女に「自分が好きなこと、夢があれば人が何と言おうとがんばってほしい。あなたの幸せはあなた自身でつかむものであるのだから」と励ました。
 後日、偶然その女生徒にろう大会で出会った。あの質問の意味を聞いてみた。彼女にはろうの兄がいることがわかり、その兄が聞こえる文化である音楽、ダンスなどをやってはいけないと言うのだという。妹である彼女は兄がいない時だけ、音楽をステレオで聞いてテレビでみたダンスステップをまねて練習しているということだった。
 私たちの人生は多かれ少なかれ、マジョリティの世界にいる限り、マジョリティの文化の影響を受けざるを得ない。数あるたくさんのマジョリティ文化(この場合、聞こえる文化)のひとつに音楽があり、ダンスがある。たまたま自分の琴線にふれたものが音楽で、ダンスであったとする。確かに最初はマジョリティのものかもしれない。だが、それを聞こえない自分が自分なりの方法で音楽を聞き、ダンスをしていくことで形作っていくことができれば、そこでマジョリティのものではなくなり、自分だけのものになるのではないだろうか。
 アメリカではろう、健聴の学校に関係なく、小さい時からパフォーミングアート(舞台芸術)を大事にしている。机上に向かってする勉強だけでなく、身体を動かして表現するというアート。そんなアートには音楽もダンスも含まれている。今の子どもたち、ろう者、難聴者たちにもっと自由な気持ちで音楽、ダンスに接してほしいと、毎年ワイルドザッパーズをよんでいる。アメリカ人のろうの黒人ダンサーたちだ。音楽、手話、ダンスを合体させ舞台で華麗に披露する彼らは、見事というしかない。今年も8月にコンサートを開く。さっそく、その女生徒を招待することにしよう。夢がしぼみかけているとファックスをもらったばかり。8月がお誕生日だと言っていた彼女にとって、すてきなバースデープレゼントとなると信じている。

(たかむらまりこ つくば技術短期大学非常勤講師、WE代表)