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ケアについての一考察

自由な生活を求めて

海老原宏美

 私は1歳半の時、SMA(脊髄性筋萎縮症)2型の診断を受けました。生まれた時から筋力が弱く、お箸やペンを持つことはできますが、本などを持ち上げるのもやっとです。自分で立つこともできないので、トイレ、お風呂、着替えや移乗など、身の回りのことすべてを介助してもらい生活していますが、電動車いすの運転はかなりうまいです! まだまだ「自力で何もできないなんてかわいそうね」と言われることが多いですが、何ができて何ができないかを自覚し、できないことは人に助けを求められることも立派な「自力」のひとつだと、母は私に教育してきました。
 そのお陰で私はずっと普通学校の普通級に通う中で、何でも堂々と周囲の友だちに頼んできました。学生時代には大学の友だちをたくさん集めて毎日交代で泊まりに来てもらい、ひとり暮らしをしていました。また、近所の方に送迎・家事のボランティアを頼んだりもしていました。
 小学校から大学までいつでも私は障害者第1号だったので、学校と対立することもしばしばありました。しかし、身体で周囲にかかわっていくことで、障害者と共に生きるということ、障害はひとつの個性で少しずつ手を貸してもらえれば普通に生活していけるんだということを、頭だけではなく、身体で理解してくれるようになることが、私にとっては自分がそこにいる価値だと思っていました。

 しかし大学3年の夏、そのように自分で介助者を集めたりコーディネートしたりする生活が一転する出来事がありました。カリフォルニアにあるスタンフォード大学で短期語学研修に参加した時、初めて自分専属の介助者を付けていったのですが、いつでも自分の必要な時に必要なだけ介助を頼める環境が保障されるということがどれだけ開放的か実感したのです。その感覚が忘れられず、大学を卒業した後も、その新しい方法でひとり暮らしを続けてみることにしました。
 今の生活のサイクルは、朝2時間ホームヘルパーさんに来てもらい朝食や掃除、外出準備などの介助を受けます。日中は近くにある自立生活センターを手伝い、夕方3時間、再びヘルパーさんに夕食、トイレ、洗濯などをお願いします。それからしばらく自分の一人の時間があり、夜9時から11時半まで全身性障害者介護人派遣事業を利用して介助者に来てもらっています。全身性の制度は自分で自分の介助者を市に登録し、お金を介した契約関係で対等に接してもらうものです。

 この「介助者を雇う」という考え方は、私にとって非常に斬新なものでした。介助者の時間を拘束する分、それに見合う金額を払う。お金を払っている分、それに見合う仕事をしてもらう。相手に気に入られようとか、こういうことを頼んだら次回から来てもらえなくなるかしら? というような精神的な負担が一切消えて、自分の生活スタイルを自分で決めていけるようになったのです。
 しかし、欲は尽きないもので、まだ完全に自由であるという気がしないのです。確かに介助者が一緒にいるときには、自分らしい生活を作っていけるようになりました。でもよく考えてみると、介助者に「前もって」何時から何時まで来てほしいと依頼しながら生活をしている以上、やはりどこかで介助者に合わせた生活をしているのです。たとえば朝起きてみたら天気がいいので、ふと早起きして出かけたくなったとしても、その日は午後しか介助者を入れていない、ということも大いにあり得るのです。本当に完全に自由になるためには、24時間介助者を付ければいいのかもしれませんが、今度は逆に一人になりたいときになりにくい、という点があります。そして介助者も慣れるまでは、一緒にいるけれど特に仕事がないときの時間のつぶし方に戸惑うこともあります。

 一方、地域の人たちに身体で理解してもらうためには、まだ自分専用介助者だけではなく、いろんなひとに行き当たりばったりで介助してもらったりすることも必要なんじゃないか、と心のどこかで思ったりもします。私はまだ自立生活を始めたばかりなので、コツをつかめていない部分も多いのですが、今後はこれまでのように、社会における障害者の役割、自分の役割を常に模索しながら、介助者とのいい付き合い方を通して、「介助者のための」ではなく、本当の自分の自由を獲得していけたらな、と思います。

(えびはらひろみ 自立生活センター東大和)