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1000字提言

街の中にうどん屋をつくる3
―障がいは不自由だが、不幸とは言えない―

師康晴

 昨年の10月にうどん屋「杜の台処」を開店してから2か月後、施設の近くにある小学校の生徒たちに「障がいと老人」というテーマで授業をする機会があった。子どもたちの受け止めが深くその感想文はどれも感性豊かなものであった。その子どもたちが大船に来たとき「杜の台処」に小学生同士でうどんを食べにきたり、親を誘って立ち寄るようになった。
 私が務めるSELP・杜(障碍(がい)者の授産施設)は、老人のデイサービスセンター(中野地域ケアプラザ)と同じ建物を利用している。小学生を前にしての授業では黒板の左上に「障がい・SELP・杜」、右側に「老人・中野地域ケアプラザ」と前もって書いておき、それを基に障碍と老人に対するイメージを出してもらった。多くの意見やイメージが出た。
 「障がい」については耳や目の不自由な人、足や手が動かない人、計算や書くことができない人など、「老人」については腰が曲がった人、背が低い(縮む)人、耳や目が不自由の人などが出され、これらを左と右に分けて列記していった。次に左側と右側で共通しているものをくくる作業をした。障碍と老人に共通する身体的な特徴は「不自由」、身体や知的なハンディに伴う感情面は「かわいそう」や「不幸」が共通していた。そのことはある程度予想したことであったので、私はSELP・杜やケアプラザに通っている人が果たして「かわいそう」だったり「不幸」なのかを、具体例を基に子どもたちに考えてもらった。SELP・杜の人たちの仕事ぶりを写真で紹介し、パンやうどん、豆腐などが学校の給食にも使われていることを説明、大船では「杜の台処」といううどん屋も10月から開店したことを話した。またケアプラザでは老人の足の長さに合わせて椅子の足切りをして、「遊ビリテーション」でベンチサッカーなどをやり、別府温泉に旅行してきた老人のことなどを話した。
 SELP・杜の麺部門で麺を作っている自閉症の青年の話をしたとき子どもたちの眼は真剣そのものであった。幼少のときからお金にこだわりを持ち、銀行などでお金を拾う癖が直らず、誤解から何回も警察の厄介になっている青年が、職員の協力で働いて得たお金でジュースを買ったり食堂で食事ができるようになったこと、その青年は生地づくりのときうどんやそばを握っただけで水分調整をすることができるようになり、街のうどん屋と較べても遜色(そんしょく)のないうどんが打てるようになったことなどを話し、自閉の「お金を拾う」こだわりが「うどん作り」の仕事に移った。彼の作ったうどんが学校給食に使われたり、「杜の台処」でも使われていること、その店でも5人の障碍の仲間が働いていることに子どもたちは目を輝かせた。6年生の感想文から。
 「……西田さんのうどんづくりの写真を見てその通りだとおもいました。不自由でもせいいっぱいがんばって生きれば楽しく生きられることがよくわかりました。師さんの話を聞けて本当によかったとおもいます」
 大船のほうへ来た子どもたちが「あれが師さんが話していたうどん屋さんだよ」と話をしながら通り過ぎていく姿を「台処」の従業員は聞いている。自然な形で子どもたちのなかに障碍が理解されていっていると実感の幅が広がってきた。

(もろやすはる 横浜・杜の会、SELP・杜施設長)