音声ブラウザご使用の方向け: ナビメニューを飛ばして本文へ ナビメニューへ

列島縦断ネットワーキング

大阪 「風をつかもう」 ~アジア視覚障害者サッカー交流開催めざして!~

岩井和彦

 5月3日、夜来の雨があがったソウル市内視覚障害者専用サッカー場に、チョゴリを着た女性に先導された日本の視覚障害者サッカー選手たちのユニフォーム姿を、半年前の日本国内でだれが想像しただろう。2時30分キックオフ。PK合戦で試合の決着が着く。日本1対2で惜敗。5年の経験のある韓国と半年の日本とでは「試合にならない」という予想を覆す善戦だった。
 1999年、私が日本ライトハウスの同僚2人と仕事で韓国を訪問した時、サッカーと出会った。ソウル市民が誇りにしている施設があるという。それが視覚障害者蹴球場(ソウル市ソンピ区パンイ洞88-10)だった。韓国では、スペインの盲人協会ONCEからルールやその他の指導を受けて、視覚障害者サッカーが急速に広がっているという。帰国後、盲学校や障害者スポーツ協会に問い合わせたが、情報はまったく得られなかった。韓国から専用のボールやプロテクターをお預かりしたまま、2年近くが経過した。
 2001年9月、NHKの『アジア情報交差点』の同行取材の下、有志7人とともに韓国を訪問。この時の様子は、同月26日BSで紹介されたが、10チームあまりが参加する大会は、フィールドとスタンドが一体となった興奮に満ちたもので、私自身、ゾクゾクするほどの感動を覚えた。
 この日の日韓視覚障害者のきずなは、同年11月、大阪府立盲学校での日本サッカー協会副会長の釜本邦茂さんにも加わっていただいての視覚障害者サッカー体験会開催へとつながった。同じく、「音で蹴るもう一つのワールドカップ実行委員会」も活動を開始した。大阪府立盲学校や国立神戸視力障害者センターを会場に練習はスタートしたが、設備や道具のない中で唯一サポーターの応援だけが頼りだ。
 翌年2月には、NHK教育テレビ『きらっといきる』で紹介されたように、サッカー好きの愉快な若者たちがチームを作り、世界大会めざして“素人ばかりのナショナル・チーム”も結成された。兵庫県伴走者協会の障害者スポーツ指導員や、学校法人履正社学園のスポーツ指導員を志す若者たちのすさまじい支援の下、前回の韓国訪問から7か月、ついにここまできたのだ。感謝に耐えない。
 現在、私たちが取り組んでいる視覚障害者サッカーは、グレード1のクラスで、ミニサッカー(フットサル)と同様、選手は1チーム5人(フィールドプレーヤー4人、ゴールキーパー1人)。サイドライン40m、エンドライン20mとハンドボールのコートと同じ大きさで、ゴールの広さも同じだ。ゴールキーパーを除くフィールドプレーヤー4人は全盲で、障害程度の差をなくすため、眼帯をして完全に見えない状態にする。選手たちの頼りは“音”。ボールに鉛の鈴が入っていてカラカラと軽やかな音がする。ボールの“音”と、コーラーと呼ばれるコーチの“声”でシュート、シュート…!“シュート”はワールドカップだけではなかった。「ピッチに立ち、一人で判断し、思いっきり走り、敵とぶつかり、ボールを奪い、ゴールする。このエキサイティングな気持ちは、視覚を失って、何年ぶりの経験だろう? 実にエキサイティングな瞬間だ!」とはSさん。彼は、大学3年生まで将来を嘱望されたサッカー選手だったが、事故で夢は果てた。ユニフォームやスパイクは押入れへ、そしてサッカーから遠ざかった。
 今、彼のような光を失った元“サッカー少年たち”や、見えなくてもサッカースタジアムの中にいることがたまらなく好きだという視覚障害者が集まった。関西を中心に、筑波大学附属盲学校や神奈川・熊本・静岡・石川で練習を始めた彼らの気持ちを歌ったのが、応援歌「風をつかもう」だ。

「風をつかもう」

  作詞:中澤 頼子/作曲:松本 智恵子

全速力で走り回らなくなって 何年になる?
雨のグランドで 泥んこにならなくなって 何年になる?
汗にまみれたボールを置き去りにして 何年になる?

グランドに一人座り込み 悔し涙を流したあの日
君は自分の翼までもたたんでしまった

ボールを枕元に置いて眠った夜が 君も僕にもきっとあったはず
ボールをお供にして出かけて行った頃が 君も僕にもきっとあったはず

光を感じることが出来なくても 熱を感じられるのなら
それがきみの太陽だ
ボールを見ることが出来なくても 聞いて足で蹴られるなら
それが僕のサッカーだ

さあ 風は吹き始めた
今こそそれぞれの翼を もう一度広げよう

風を逃すな 風をつかもう
アジアにむかって 吹く風を
世界に向かって 吹く風を
何よりも 君に向かって 吹く風を

 韓国訪問の団長を務めた釜本美佐子さんは語る。交流会場で「風をつかもう」がハングル語で披露された時、熱い涙が、静かに、日韓両国の選手と応援スタッフみんなの頬を伝う。再度曲が流れて、感動と感涙の手拍子が会場に溢れた。視覚障害者同士、言葉も十分にわからないが、お互い、こんなに近いことを理解しあった瞬間だった、と。
 視覚障害者サッカーはすでに、欧米34か国で取り組まれ、世界大会もあり、サッカーを通じた国際交流も盛んだ。時期は未定だが、本年秋にはソウル市内で国際大会が開催され、11月にはブラジルで世界大会開催が予告されている。2004年のギリシャ・アテネでのパラリンピックからは正規の種目として視覚障害者サッカーが登場すると聞く。これからは、日本チームの強化を急ぐとともに組織体制の整備が急務だ。日本ライトハウスは多くのボランティアに支えられて視覚障害者サッカーの種まきのお手伝いはさせていただいた。専門家へのバトンタッチが必要な時が近づいているように感じる。
 「音で蹴るもう一つのワールドカップ実行委員会」は、ワールドカップサッカーが日韓で開かれるのに合わせ、開催地の一つである神戸市を中心に、8月29日から岐阜県高山市と北海道の十勝で、韓国、ベトナム、日本の3か国による視覚障害者サッカー交流会を開こうと準備を進めている。
 さあ、次は日本国内で感動の輪を広げようではありませんか。皆さんの物心両面のご支援をお願いしたい!!

(いわいかずひこ 社会福祉法人日本ライトハウス盲人情報文化センター館長)


問い合わせ先:
日本ライトハウス盲人情報文化センター
〒550―0002 大阪市西区江戸堀1―13―2
TEL 06―6441―0015
FAX 06―6441―0039

振り込み口座番号:音で蹴るもう一つのワールドカップ実行委員会
郵便振替口座 00970―2―98652

(財)日本障害者リハビリテーション協会発行
「ノーマライゼーション 障害者の福祉」
2002年6月号(第22巻 通巻251号)