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文学に見る障害者像

パオロ・ヴォルポーニ 著
『メモリアル』

―企業で働くことと「結核」のこと―

小野隆

 「ぼくの不幸は、ドイツの収容所から帰って2、3ヶ月後にはじまった。それはまるで、ぼくの母国が、長く辛い旅から戻ったぼくを迎いいれまいとしたかのようだった」。この小説はこうして始まる。第二次世界大戦に兵士として戦い、ナチスドイツの捕虜収容所から主人公のサルージャはイタリア北部のある町の母のもとに復員してくる。
 作者のパオロ・ヴォルポーニは1950年代から活躍し、戦後イタリア文学を代表する詩人・小説家である。
 この著作の内容はその題名のとおり『メモリアル』であり、戦後イタリアの北部の工業地帯で働く労働者の生活を、はやりのルポルタージュ風にではなく、日々の日記をしたためるように記したものである。
 小説のテーマは、平凡な若者が復員して労働者としての平和な生活を築くことを望んでいる。しかし、過酷な捕虜収容所生活で罹病した「結核」に悩まされ、職場とサナトリウムの間を行き来しながら、やっと社会復帰をして職を得るが、自分の望んでいた職場は厳しい「管理社会」であり、そこで働くことの意義に疑問を持ちながらも日々を送っていく。近代産業の落とし子である大企業と管理システム、無機物化していく労働、人間に悦びを与えてくれるはずの労働が人間を非人間化していく状況、マルクスが指摘した「疎外された労働」である。もう一つは無機化された労働過程の中で、サルージャのように「結核」に罹病し、いわば「生産力的弱者」=職業的障害者になっていく人間を、企業はどう処遇していくかという問題であろう。
 このような観点から見ると、60年代に発表され、世界の多数の言語に翻訳されたこの『メモリアル』は、現在のわれわれ人間が等しく直面している「労働」の意味とそれを統御する「企業」の役割について再考を迫ってくる。 
 舞台はトリノの有名な自動車製造会社である。「1945年のクリスマス少し前、雪が降った。ガラス窓を明け、鎧戸だけを閉めて寝た。起きると雪が積もっていた。この朝の眺めが自分の苦痛の朝、長い苦しみの最初の朝になろうとは夢にも思わなかった。流しで洗面のとき、胸の中にチクリと痛みを感じ、ついで、喉と胃に焼けるような痛みを覚えた。収容所生活のためかと思った。まさか、新たな収容所生活、新たな苦しみになるとはすこしも思わなかった」。
 年が変わり6月になると、二通の手紙が届く。一通は年金認定のためのもの、もう一通は復員局から工場関係に就職できるようにしてはどうか、との手紙であった。年金の話は心を不安にする。「認可されその瞬間から永久に収容所の囚人としてとどまることになる」。しかし、もう一通は「この手紙をもってX市の復員局に出頭してください。そうすればX市の大工場の採用予定復員者名簿に記載してもらえます」。これは解放の前兆だ。前に向かっての第一歩となるかもしれない。
 6月のある日の朝、 診療所の控え室で、トルトラ医師の診察を待っていた。「たぶん、あなたは採用になるでしょう。それは大体確かです。深刻なことはなにもないのです。あなたが労働してはならないとする特別の禁忌徴候はないのです。しかしね‥しかし、あなたの体の状態は芳しいものではないのですね。つまりからだの組織が弱っているのです。それほどひどくはないが弱っているのです。しかしあなたは若いから、元気になるでしょう。もし工場にはいったら‥そう、もと捕虜で、復員兵‥そう。あなたは工場に入れるでしょう。工場に入ったら、規則的な生活、労働はあなたの体にとってよいことと思います‥家族は、お母さんと一緒、ああそれならお母さんがいいようにしてくれるでしょう。沢山食べて、きちんと睡眠をとることですね」。
 こうして工場のフライス盤工として採用される。工場の息子である自分の仕事は深い満足感を与えてくれる。たくさんの手、たくさんの工程を経たあと、奇跡のように光る見事な新しい機械が、箱の中に納められ、世界各地へ向けて発送されて行く。どうして、だれもがこの仕事を愛さないのか。どうして彼らの多くが、仕事のこの成果を忘れながら働き、そして生活しているのか? こう思うサルージャも工場での生活が2か月も経つころ、何も獲得されず、何も失わなかったことに気がつく。間近に迫った変化はない。毎日、家を出て、バスへ乗り、仕事をし、食堂へ行き、何千もの人とすれ違い、仕事を習い、家に帰る。「ぼくは労働者だ。大きい工場で働いており、そこへ入っていくのだ」。
 1年が過ぎた頃ある日の朝、サルージャの名前が診療所のリストに載り、呼ばれてトルトラ医師の診察室に行く。診察の結果、薬と注射をうち、いずれレントゲン検査をとることにする。しかし、夏にもかかわらず暑さもそれほどではなかったので元気を取り戻す。10月が過ぎ、心地よい季節になった。毎日午後になると疲労感がフライス盤に寄りかからせるようになってくる。12月初めに診療所に行くように職工長から言われ、トルトラ医師が診断し、レントゲン検査を受けさせられる。20日後の結果報告で、両肺の開放性結核であるとの診断がだされた。「何時からこんな状態だったんだね」専門家のポンピェーロ教授が言う。「初めからだったのです」。診断を断り、自分の職場に走りこんでフライス盤に向かい、気の狂ったように仕事をした。自分は結核ではない。これは医師の陰謀だ。何人かの専門医に診てもらったが、工場の診療所の診断には口をはさめない、と断られた。
 復員してから3回目の1月末に、村の近くのサナトリウム(結核保養所)に入った。
 戦争と収容所生活から社会に戻り、新しい希望に満ちて自分の生活を作り直そうとする試みは、近代的な工場の無味乾燥さ、それに加えて「結核」を持ち出して、サナトリウムという「収容所生活」に送りこもうとする医師の企てによって失われていくとサルージャは考え始めるが、比較的短期のサナトリウム生活から元の職場に復帰することかできた。しかし彼がそこで再認したのは「特別の美しさのように見えていた工場とぼくとの間には部分的で一方的な、そして無言の関係しかなかったし、職場の友情も他の人びとの友情もなかった」ことだった。
 職場の同僚や医師に対して、極端に自分を排斥しようとしていることを感じ始めたサルージャは、関係機関に訴えるが相手にされない。むしろパラノイア状況にあると言われるだけである。再度のサナトリウム入所。3年を過ごし、家に戻ったサルージャは再び元の工場に職場への復帰願いを出したが、「見張り員」という工場の外の塀を見張る仕事が与えられたのだ。疲れて家路を急ぐ。自分の家の庭先に着いたとき、サルージャは「誰ひとりぼくを援けにはこないのだ」と悟るのである。
 仕事に就きたいという願い、現実の個人を押しつぶすような職場、そのなかで障害をもちながら働くという問題は、人間にとって「働く」意味を問いかけてくる。さらに、内部障害、中途障害、精神障害など仕事の場を得ることが難しい障害をもつ人たちにとって、「結核」という今ではあまり主要な疾病ではなくなった過去の「障害」を取り上げ、「結核」と戦いながら「働く」こと、同じ職場に復帰することを望むサルージャに仮託した願いは、今日どういう解決方法を示そうとしているのだろうか。現代社会のアポリアである。それは障害の有無を超えた問題であり、人類的課題でもあろう。加えて、この小説は近代産業社会の病める姿を描きだしているが、これは、今まさにわれわれの置かれている抜き差しならない状況でもあるのだ。

(おのたかし ノーマライゼーション企画委員)