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「アジア太平洋障害者の十年」
最終年記念フォーラムを終えて
アジア太平洋障害者の十年最終記念フォーラムからの提言

組織委員長衆議院議員 八代英太

 10月は日本の障害者福祉にとっても、アジア太平洋障害者施策にとっても今後の行動について大きなイベントの1か月であった。私は組織委員長として「札幌フォーラム」「大阪フォーラム」を、また「国連ESCAPハイレベル政府間会合」を多くの障害者団体のバックアップをいただきながら実りある時間を費わせてもらった。私たちにとって来年2003年がある意味での本格的21世紀ともなるだろう。
 私は10月25日に開催された「ESCAPハイレベル政府間会合」で「アジア太平洋障害者の十年」を振り返りつつ、また、札幌・大阪フォーラムの熱い障害者自身の付議の内容も総括しながら「第二のアジア太平洋障害者の十年」への願いも込めて次のような基調講演をさせていただいた。

 親愛なるESCAP加盟各国の皆様、ようこそ日本の湖の都滋賀、大津においでくださいました。私は今回日本で開催されました、三つの『障害者国際フォーラム』の組織委員長であります、日本国衆議院議員の八代英太であります。
 親愛なる皆様!
 このアジア太平洋61か国には多くの障害者が住み、生き、明日に希望を抱きながら毎日頑張っております。
 さて、この滋賀県は日本の障害福祉の原点の里と言われております。美しい自然に囲まれた福祉の里でもあります。そして、重い障害をもった子どもたちのために近江学園を開校され、生涯を障害児の教育のために尽くされた糸賀一雄先生のふるさとでもあります。その糸賀先生のご遺徳を偲び、毎年アジア太平洋の障害者で、障害者のために尽くされた人を表彰する「糸賀一雄記念賞」でもおなじみであります。
 糸賀先生の言葉に「この子らを世の光に!」という言葉があります。「この子らに世の光を」ではなく、この子たちが世の光になるのだと語られました。
 まさに障害者の明日への希望、自立の挑戦をうたっています。障害者が頑張ることによって人間社会の模範としての光になり得ることを糸賀先生は述べておられました。
 その琵琶湖の滋賀において、来年からの新たなアジア太平洋障害者の第二の十年のために各国ハイレベル政府間会合が開催されることはこれからの十年の目標の中に大きな責任を分かち合うことが大切であり、一同に会した各国の障害者担当の皆様にも強力なサポートを心からお願い申し上げ、「札幌フォーラム・大阪フォーラム」を含めた「アジア太平洋障害者の十年最終記念フォーラム」の宣言を要約して発表させていただきます。

 宣言は四つの柱になっております。
 一つは障害者の権利条約の早期実現に向け関係機関及び団体などと協力・連携しながら全力を挙げて取り組むことを域内各国政府に要望することであります。
 二つには第二のアジア太平洋障害者の十年の推進に積極的に取り組むことと、そのためにすべての障害者が地域社会におけるあらゆる活動に参加できるように、バリアフリー・コミュニケーション支援・地域リハビリテーション・教育・訓練と雇用・生活支援を数値目標を定めて実施することであります。
 三つにはRNNを発展させてAPDF「アジア太平洋障害フォーラム」とし、このAPDFに各国障害者が参加し、各国政府が援助し、国際機関・各国政府と協力し、長期プランを策定し、モニタリングの定期的検証を含め積極的に取り組むことであります。
 四つには日本とタイの協力によって設立されるバンコクの「アジア太平洋障害開発センター」を拠点とし、障害者のエンパワーメント及び、バリアフリー社会をめざし、自立支援プログラムを策定し、この域内の障害者施策支援センターとして各国政府も協力しつつ支援体制を作ることであります。
 以上が概略的な大阪フォーラム宣言であります。

 親愛なるESCAP加盟国の皆様!
 去る10月15日から4日間、北海道札幌で第6回「DPI世界会議札幌大会(札幌フォーラム)」が開かれ、アジア太平洋各国はもちろん、世界から109か国の障害者が参加し、熱い議論を展開しました。特に昨年の国連総会でメキシコ政府から提案された国連におけるアドホック特別委員会で審議が始まった「障害者の権利」に関する条約に熱い思いが寄せられ、この権利条約が早期批准されるよう国連はもとより各国政府に働きかけることを確認し合いました。

 親愛なるESCAP加盟国の皆様!
 このアジア太平洋においては来年からの第二の十年の行動計画の目玉として、この総会において決議をしていただき、「障害者の権利条約」がESCAP域内から産声を上げるべくイニシアチブを取っていただきたいと考えます。
 すでにESCAPにおいて「21世紀におけるアジア太平洋地域の障害者にとって包括的でバリアフリーの権利に基づいた社会の促進」に関する決議が採択されたことを考えても、このアジア太平洋地域にあっては国連の「障害者権利条約」批准への道は光が差し込んでいるものと思っております。

 ESCAP加盟国代表の皆様!
 1993年から始まった「アジア太平洋障害者の十年」はあっという間に過ぎました。この間アジア地域にあっては経済的危機等、また局地的紛争等、波乱の十年でありました。そうした中でいつも涙し、苦しむのは障害者であります。地雷等紛争の後遺症によっての後天的障害者も多く存在し、障害者の社会の参加は拒まれ続けてまいりました。私たちは何より平和を望んでおります。その平和があってこそ貧困からの脱却と障害者自立への意欲が生まれて来るのであります。

 親愛なる皆様!
 「私たちは物乞いにはなりたくない、私たちに自立する機会を与えてほしい」とこの域内の障害者は絶えず訴え続けております。
 1992年ESCAP北京総会で決議された「アジア太平洋障害者の十年」をさらに来年からも再び十年継続しようと決議していただいたことにアジア太平洋の障害者は心から歓迎し、札幌フォーラムも、大阪フォーラムも、次なる十年こそ「実りある十年」にしなければならないと決意しました。
 繰り返して申し上げますが、そのためにも障害者の人間としての尊厳が担保され、権利が保障され、人権が守られなければなりません。その基礎が「国連の権利条約」の早期批准であることをご承知ください。

 親愛なるESCAP加盟国の皆様!
 10月21日から始まった大阪フォーラムは10年前、日本の沖縄から始まったRNNの最終ゴールとして大阪での過ぎ去った十年の総括と第二の十年への取り組みがテーマとなり熱心に議論されました。
 障害者はこの地球上に人口の10%の6億人、そしてこのESCAP域内には60%、3億6000万人が住んでおります。
 多くの障害者は50メートル進むにも、100メートル歩くにも社会のバリアを超えなければならない苦しみがあります。「バリアフリー」は第二の十年の強い風にならなければなりません。
 健康な人を標準とした社会にあって障害をもつことによってメインストリームに障害者が参加することができない。人間社会としてこんな不条理なことは許されません。
 「だれもが行きたい所へ行ける社会」こんなごく当たり前の言葉が障害者にとって社会のバリアを思うと大きな心の叫びでもあるのであります。
 「バリアフリー」は心のバリアも取り除かなければなりませんが、バス・鉄道等の公共交通機関をはじめ住宅・建築物等バリアは障害者の前に大きく大きく立ちはだかっております。

 親愛なるESCAP加盟国の皆様!
 一つは障害者の権利、二つ目はバリアフリー。札幌の熱い議論も、大阪に参集したアジア太平洋の仲間も第二の十年の目標は異口同音に「権利とバリアフリー」と叫びました。
 折しもタイのバンコクには「アジア太平洋障害開発センター」が日本政府とタイ政府の協力で建設されます。私たちアジア太平洋の障害者はここを第二の十年の司令部としてアンテナを張り巡らし、情報を集積してESCAPと共同歩調を取りつつ各国政府に呼びかけて、実りある実行ある「第二のアジア太平洋障害者の十年」の幕を開きたいと思っております。

 ESCAP加盟国代表の皆様!
 この琵琶湖は日本で最大の湖であります。世界で最大の湖ではありませんが、私たち日本人にとっては最大の美しい誇りの湖であります。
 この湖は周囲の山々の木々の小さな雫が集まり、小さな川となり、大きな川と合流し、この琵琶湖に注がれて大きな湖となっているように、ESCAPが長い歴史の中で61か国と大きく育ったように、アジア太平洋の小さな国の障害者が大きなうねりとなって障害者の組織や、障害者問題を共に考えるNGOが無数に誕生したように、すべては小さなひとしずくから大きく育っていくのであります。
 一人の力は弱い。されど一人が始めなければ何も始まらない思いに立って今、アジア太平洋の障害者は大きな連帯の時を迎えております。この琵琶湖の美しさに負けないたくましい歩みを見せてもおります。
 近江学園創設者、日本の障害者福祉の原点を作られた糸賀一雄先生の地、琵琶湖から「この子らを世の光に」を引用しつつ「この地球の障害者がアジアの光に」との思いに立って、この「琵琶湖ミレニアムフレームワーク」が立派な行動計画として策定され、決議していただくことを心からお願い申し上げて、私の「アジア太平洋障害者の十年最終記念フォーラム」の報告とさせていただきます。
 ありがとうございました。