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第6回DPI世界大会と障害者権利擁護の課題
―権利条約への道―

楠敏雄

1.第6回DPI世界大会の論議から

 10月15日から札幌で開かれた第6回DPI世界大会は、世界の109か国から3000人以上が参加するというかつてない大きな盛り上がりをみせた。とりわけ今回はアジア、アフリカなど発展途上国から多くの障害者が参加し、彼らの強い意欲と熱気に溢れていたように思われた。
 大会初日はまずアメリカの自立生活運動のリーダーで、世界銀行障害者問題顧問のジュディ・ヒューマン氏から基調講演を受けた。氏の講演では、現在もなお発展途上国を中心に、無権利状態に置かれている障害者が多く存在し、中でもいまだに教育すら保障されず放置されている障害児が多数いること、このようなさまざまな差別やバリアを取り除くには、障害をもつ当事者によるリーダーシップが強く求められていること、そのためには障害の種別やそれぞれの属する国、社会、文化などの違いを尊重しあいながら、幅広い運動の展開が必要なことなどが提起された。
 また午後からは、アジア太平洋ブロックの議長であるビーナス・イラガン氏をコーディネーターとして「障害者権利条約への道」をめざすシンポジウムが開催された。シンポジストとして、最初に報告した国連社会開発委員会の委員でDPIの創設者の一人でもあるスウェーデンのベンクト・リンクビスト氏は、1975年の「障害者の権利宣言」以来、国連が発表した一連の勧告や取り組みについて紹介し、その権利と差別禁止の法制化に関する各国政府の状況を報告した。またDPI前議長のカッレ・キョンキョラ氏は障害者の人権確立、なかでもインクルーシブ教育や交通情報などのバリアフリーの実現にとって、障害者自身の主体的な活動がより重要な役割を果たすことを強調した。さらに現議長のジョシュア・マリンガ氏は、障害者権利条約の制定に関して、国連加盟各国の足並みが必ずしも揃っていない現状を踏まえ、条約制定に向けた国連および各国政府に対する当事者の側からの強い働きかけの必要性を訴えた。
 さらに2日目からは、自立生活や交通アクセス、女性障害者など16の分科会に分かれて活発な討論が交わされ、最終日には札幌宣言、および行動綱領を採択して閉会した。

2.日本の法制度の現状

 ところで昨年の第56回国連総会において、「障害者権利条約」の制定を求めるメキシコ政府の提案に、わが日本政府は残念ながら賛成票を投じようとはしなかったとのことである。政府の側にもいろいろな制約や言い分もあるだろうが、私たち当事者の側からすれば地団太を踏む思いでいっぱいだった。日本政府が条約の制定にこのように消極的な理由の一つは、やはり福祉サービスを当事者の権利として捉える視点の希薄さにあるように思う。すでに周知のように、1993年に成立した「障害者基本法」の第3条2項では、「全て障害者は社会を構成する一員として社会、経済、文化その他あらゆる分野の活動に参加する機会を与えられる者とする」と記されている。それまでの「厚生と保護」から、「自立と社会参加」へ踏み出した点では高く評価できるものだったが、それでも「機会が与えられる」という表現は、私たち障害者の期待を大きく裏切るものとなってしまった。
 また日本では伝統的に「高齢者や障害者のケアは家族の責任で」といった考え方が官民共に根強く存在しており、その結果、地域における社会資源の整備やサービスの提供および利用が著しく遅れてしまった。一方高度経済成長以降、急激に進められた大規模コロニーや入所施設の建設と、それに基づく施設収容政策の固定化が、すでに欧米で広がっていた「ノーマライゼーション」の普及を遅らせることとなった。
 また、21世紀に入ってわが国においても福祉の基礎構造改革に基づく介護保険制度や2003年4月からの「支援費制度」の導入により、利用者の選択権尊重のシステムへと踏み出しているが、サービス供給主体の多元化は一向に進んでおらず、障害者やその家族の多くが不安にさらされているのが実態と言えよう。

3.障害者権利条約への展望

 すでに国連総会およびILOなどの関連諸機関においては、1975年の「障害者の権利宣言(“Diclaration on the Rights of Disabled Persons”)」以降、障害者をはじめとするマイノリティーの人々の人権に関する条約や勧告が次々と採択されてきた。とりわけ1993年に採択された「障害者の機会平等化に関する基準規則(“Standard Rules on the equalization of opportunities for perons with disabgilities”)」は、私たち障害者の人権確立にとって、極めて重要な原則を掲げたものと言えるが、先に記した日本の法制度の現状との間には、かなりの隔たりがあることを認めざるをえない。
 私たち日本の障害者運動は、まず何よりもこのような日本政府の消極的な姿勢を改めさせるための取り組みを急がなければならない。わが国の政府は1979年に国連の勧告に基づいて、「国際人権規約」をほぼ批准しているにもかかわらず、いまだにこの規約に対応した国内法の整備を行っていない。現在日本政府はようやく重い腰をあげ、今春の通常国会に「人権擁護法案」を提出しているが、この法案はマスコミなどのメディアに対する規制が含まれているとの懸念から、さまざまな批判が出され立ち往生の状況にある。ただ、私たち障害者運動の立場から見ると、障害者に対する意図的な差別行為や煽動を禁止し、人権を擁護するための「障害者差別禁止法」の制定をめざすうえでは、この論議は避けて通れぬ課題であるように思える。
 さらに、現在中央の関係省庁や国会議員の中から障害者基本法の改正をめざす動きも開始されているようであるが、改正を急ぐあまり「部分的な手直し」でお茶を濁すべきではないと私は考えている。もちろん現行の「障害者基本法」を抜本的に改正する必要があることはいうまでもないが、その際最重要の課題の一つは、障害の定義および範囲の大幅な拡大を図ることである。
 さらに、私たちが検討すべきことは日本の障害者が現実にどのような差別を受けているのか、またこのうち法律によって規制すべき差別とはどのようなものをさすのか、などについて明らかにすることである。
 このほか、アメリカのADAやイギリスのDDAなど、世界各国の差別禁止法に明記されている雇用、教育、交通、情報など具体的な課題に関する差別禁止規定や権利保障の内容をも盛り込むよう提起していく必要がある。
 一方、私たちは日本政府に対するこのような働きかけと並行して国連レベルでのロビー活動や、アジア地域の各国政府に対する影響力の行使も行わなければならない。当面の目標は2003年7月の開催が予定されている国連のアドホック(特別)委員会に向けた活動である。そのためには、この委員会の前後の時期にESCAPやJICAなどと連携してアジアにおいて「障害者権利条約」の内容に関するシンポジウムや研修会を開催することも有効な戦略となるであろう。
 この際、私たちが踏まえておくべき点は、今回のDPI世界大会の分科会や大会宣言において強調された原則をしっかりと確認することである。すなわち私たちがめざす「権利条約」においては、社会経済の開発に力点をおいたものではなく、あくまでも各国政府に対し、障害者の人権保障につながる拘束力のある法の整備を求めることである。
 さらに、私たち日本の障害者運動が日本政府や国連に対する運動を展開するうえでクリアしなければならない重要な課題は、障害者団体や家族さらには関係諸団体間のバリアを取り除く努力を進めることである。もちろん、障害の種別によって、それぞれに運動の歴史も利害もあるいは文化も異なっており、それらは十分に尊重されなければならない。しかし同時に権利の確立やノーマライゼーションの理念については、ほとんどの団体が合意できる地点に到達しているはずである。もはや個々ばらばらの要求や運動では抜本的な法改正や新しい法制度の成立は期待できない。今私たち当事者運動に求められているのは、強力なリーダーシップと同時に、団体相互の主張や利害を的確にコーディネートできる力量を獲得することなのである。
 「DPI日本会議」は今回の第6回世界大会において、障害者の自立と社会参加を阻む障壁の除去と権利の全面的な確立をめざす取り組みに大きな成果をあげることができた。こうした運動の成果を持って、国際的には障害種別を越えた組織であるIDA(国際障害同盟)との連帯を強めつつ、国内における障害者団体間の情報交換を図り、地域における自立に向けた諸課題の実現と新たな法制度の成立に全力を傾ける必要が求められている。

(くすのきとしお DPI日本会議副代表)