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1000字提言

社会という名のスクリーン

佐藤きみよ

 自立生活をしている私は、ベンチレーター(人工呼吸器)を寝台車いすに載せて、週3、4回の外出をする。レストランで友人と美味しいものを食べたり、ショッピングをしたり、映画を観たり。映画は大好きで月3、4本くらい観ている。
 数年前までの札幌の映画館は、まだどこもバリアフリーになっていなくて、長い長い階段を通行人や映画館の店員に担いでもらい観ていた。担がれている最中、この急な階段でもしだれかが足を踏み外したら…と、ドキドキしながら、それでも命懸けで映画を観ていた。映画を観たいというそれだけの願いが、私にとってはエベレストの山を登るように長くて苦しい道のりだった。
 この頃はバリアフリーの映画館がちらほらできてきている。いつも私が行っている映画館は1階と2階にスクリーンが10くらいずつあり、それぞれの部屋にスロープが付いている。スクリーンの中でこれから起こる恋の物語やサクセスストーリー、さまざまな人生の事件を主人公たちがどう乗り越え生きていくのかと、考えるだけでわくわくする。
 新作のポスターが貼られている壁の前で次はこれを観ようなんて物思いにふけっていると、どこからかいい香りが…やっぱり映画を観る時は、片手にポップコーンがなきゃ始まらない!と、いそいそと売店へ行く。と、ここまではいつものコースであるが、その日は観たい映画が2階で上映中だった。ここの映画館は2階に行く場合、必ず裏口にある通路を通ってエレベーターに乗らなければならない。この裏口通路はいつ行っても汚い、暗い、臭い。他の客の飲んだコーラの空きカップやポップコーンの入れ物が入った袋がいくつも並んでエレベーターの前に置いてある。中には袋からはみ出て、カップに残ったコーラが床にベチャベチャこぼれている。正直言ってこれから映画を観るんだ!というわくわく気分がいつもここでしらけてしまう。なんで車いすだからってそれだけでこんなところを通らないと観られないの? あんまりだよ、だって表はあんなにきらびやかなんだよ、このギャップは何? 思わず私は店員に言った。「責任者と話させてください!」と。そして店長と話す日はやってきた。相手側はひたすら謝り続け、もう裏口の通路にゴミ袋をけっして置かないことを約束して帰っていった。
 まだ造られて新しいこの映画館にこんなことをいっても無駄かもしれないが、言わずにはいられなかった。「私たち車いすと他の客を分けないでください!」と。これは社会のあらゆる場面で見られる風景ではないだろうか。車いすの方のためといって、分けられ、特別にされ、私は差別を受けてきた。「裏口人生もうやめたい」何度つぶやいてきただろう。
 社会という名の大きなスクリーンに描きたいと思う。どんなに障害が重くても自分らしく生きられる姿を、差別のない世界を。

(さとうきみよ ベンチレーター使用者ネットワーク代表)