音声ブラウザご使用の方向け: ナビメニューを飛ばして本文へ ナビメニューへ

カラーイメージ

奥野真里

 「目の見えない人は、夢をみる時、色はありますか?」とよく小学生から質問される。私は「無色かな」と答えると、子どもたちはとても不思議そうにリアクションを返してくる。そのストレートな疑問と率直な反応をほほえましく思う。
 初対面の方からときどき戸惑いながら「こんなことを言ったら失礼かもしれないけど、とても夕日がきれいなオレンジ色をしてますよ」と言われる。おそらく、視覚的情報をどのように伝えればよいのか分からないのだろう。しかし、そういう気遣いは徐々になくなるとして「色」に関する情報を伝えてくださるのは、私はとてもうれしい。そして、戸惑いながらもその情報を伝えたいと思ってくれる気持ちも。
 私たちの日常生活の中で「色」に関する表現・情報は錯綜している。色は視覚的に訴えるだけでなく、ときには雰囲気や音を表したりもする。ある小説の中で、「茶色く太った声」という表現があった。色と声とはいっけん無関係のようだが、「黄色い声」とも言うように、意外と関連しあっているのかもしれない。みなさんは「茶色い声」と聞くとどのような声をイメージしますか?
 洋服のコーディネート、信号の色、料理をもりつける時の色彩バランスなど数えればきりがないほど色情報は生活に溶け込んでいる。同時に私たち視覚障害者にも当然のごとく密着している。ようするに視覚障害者も色の情報を活用していかなくてはならないと思う。
 私は色の説明をうけるたびに果たして解説者の伝えたい色と私のイメージする色は同じなのだろうかと不安になる。でも、よく考えると、多少実物とイメージするものとの間に差があってもそうたいしたことはないと思うようになった。それは、同じ色を複数の人が目で確認しても、その見え方は微妙に違うと聞いたからだ。それならば、イメージする世界も同じだと。
 ある社会言語学者が、その人が住む環境や文化によって色を表現する言葉の種類も異なるとレポートしている。けれど、すべての人に共通して存在する色があるという。それは何色か? 答えは白と黒だそうだ。
 また、ある先天盲の小学生が書いた詩に「ねずみ色の雪が降った」というフレーズがあった。「雪=ねずみ色」というのは大人あるいは健常者が考えると、どこか奇妙な感じもするが、その子はねずみ色をどんなふうにイメージしているのだろう、と、冒頭で紹介した小学生のように疑問がわいてくる。

(おくのまり 名古屋ライトハウス盲人情報文化センター)