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会議

国際ユニバーサルデザイン会議2002

平田賢典

 昨年の11月30日~12月4日まで、第3回ユニバーサルデザイン国際会議2002が横浜国際会議場で開催されました。当日は、国内外からUDの研究、デザイン、コンサルタント、市民活動等に関わっている人々、約700人(うち外国から約200人)が参加し、「人間(ひと)のために一人一人のために」をテーマに活発な議論が行われました。ここではその一部についてご紹介させていただきます。議論は、「UDの基本概念」、「市民視点からのUD」、「建築」、「情報」、「交通」、「日常生活」といった角度からの全体会議と各専門分野別の分科会で進められました。
 また、日本の各企業におけるUDへの積極的な取り組み状況についての報告・展示会もありました。初日は、欧米におけるUDの現状と戦略についての公開シンポジウムから始まりました。欧米において、「UD」という思想を広げるための活動が進められていますが、すべての人々に対する「UD教育」が大切になっているといったお話がありました。続いて、「ユニバーサルデザインの現在」と題したパネルディスカッションが開催されました。みなさん共通の意見は「すべての人(すなわち使い手)がニーズを出し合い、ものやサービスづくりに参加できること」が大切であるということでした。
 2日目は、「そもそもUDとは」と題した全体セッションから始まり、私たちの周りにある物理的、情報的、社会的なバリアの本質を見極めること、「使い手と作り手の関係」を見直すことが大切であることいった議論が展開されました。次いで、分科会をはさんで午後は、「市民・消費者からの問いかけ」と題した全体会議が開催されました。この中では、UDを県政の中に積極的に取り入れている、潮谷義子熊本県知事がパネリストとして参加され、「県の施設や行政サービスを作っていく段階からすべての人が参画していく」ことを実践されていることと、UD理解のための県民教育の充実を図られているとのお話が感銘を受けました。さらに、分科会をはさんで「サステナブルデザイン」と題し、持続可能な社会の実現のために、高齢化と地球環境問題に注目し、アジアの問題も取り入れつつ、UDとエコロジーデザインとの融合が必要になるとの議論が行われました。
 3日目は、「情報アクセシビリティ」をテーマに全体会議が行われ、ITにおける調和はUD化にとって大切であること、ITがものづくりのUD化推進に果たす役割等についての議論が行われました。
 4日目は、「交通」面から、公共交通を利用者の視点で見直していくことをテーマに「ドアからドアへの継ぎ目がなくかつアクセシブルな交通システムのあり方」についての議論が行われました。「日常生活」面では、シンプルで状況に応じた変化が可能な日本文化の事例の中にUDがあるのではないかという議論や、ものづくりを行うためには、組織の中にこもらずたくさんの人の意見に謙虚に耳を傾けることの重要性についての議論が行われました。
 最終日は、会議の集大成として「建築」、「情報」、「交通」、「日常生活」といった角度から議論が行われ、特に一昨年の9月11日の同時多発テロ以降、「緊急避難」におけるUDの問題が注目され、緊急時にも利用可能な階段昇降機やすべての人が安全に避難できる避難経路等のシステム(建築技術、消防テクニック等)のあり方が今後の大きな課題として提示されました。最後に、「一人ひとりの人間性を尊重した社会環境づくりがUDであること」、そのため「使い手中心のしくみを作る必要があること」、「UDは即座にすべての問題を解決できる魔法の杖ではないが、時間をかけて目標に向かって取り組むことが大切であること」、そのために「使い手が積極的に声を出し、それをきちんと受け止め、応える社会のしくみづくりが大切であること」、「UDの目標は、すべての人の参画と自立の実現であること」を趣旨とする「国際ユニバーサルデザイン宣言2002」を採択して終了しました。
 今回の会議で私が感じたことを整理してみます。一つ目は、『「使い手のものづくり等への参画」の方法』について、私たちが改めて考えなければいけないのではないかということです。川内美彦さんがおっしゃった「交通に関わるすべての人に対して、根気よくUDを推進するという不退転の決意で臨むことが大切」といった趣旨の発言に代表されるように、すべての人が「使いにくさ」と改善策について根気よくかつ効率的に社会に伝えていくことが大切ではないかと思います。これまで「使いにくさ」の多くは少数意見として捉えられ、多くの人にとっては「気づきにくい」ことでした。私たちは、「使いにくさ」についての苦情を述べるのではなく、「使いにくさ」に人々に「気づいてもらう」ようにすることが大切なのではないでしょうか。
 二つ目は、『さまざまな角度から「UD教育」のあり方』について考えなければいけないということです。初日の講演でヴァレリー・フレッチャー氏が「UDは他の仲間、人に対する責任である」と述べられましたが、「UD教育」は「地球環境教育」と共に私たちが今後持続可能な社会を築き上げていくためのすべての人に対する責任だと思います。ここで私が『さまざまな角度から』と申し上げたのは、「UD教育」は単なるUDの考え方、知識だけを教えることではないと思うからです。私は、「UD教育」で大切なことは、作り手側に対する「使い手の言葉にだせないニーズをいかにすべての人に見える(理解できる)形として引き出すかについての方法」の教育と使い手側に対する「ニーズの伝え方」に関する教育ではないかと思います。つまり、使い手と作り手双方に対して「参画と合意形成に関するコミュニケーション術」についての教育が必要だということです。もちろん、作り手側が使い手のニーズを実現・活用するためには、UDの知識が必要です。しかし、聞きづらいニーズというものはあるものです。また、使い手側としても、作り手側に気持ちよくニーズを聞いてもらうための「意見の伝え方」について考えてみる必要があるのではないでしょうか。
 三つ目は、『経済界としてのUDへの取り組みの必要性』です。全体会議の中で、UD推進を経済面で支えていくために「UDと融資」のリンクが必要との意見がありました。今後、銀行等においてもUDに自らが取り組んでいくとともにUDに取り組む企業や団体等を経済面で支えていくことが社会的使命として求められるのではないかと思います。
 20世紀の資本主義社会は、競争原理に基づく経済的合理性を追求することで発展してきました。一方で、私たちは、経済的合理性の追求と引き換えに本来あるべき、使い手と作り手が「共創」する『人間本位の社会づくり』の大切さを見過ごしてきたのかもしれません。『競争社会から共創社会へ』、その実現に向けての方法をすべての人が考えていくことが、ノーマライゼーションに向けての私たちの使命ではないでしょうか。

(ひらたけんすけ みずほ総合研究所株式会社主任研究員)