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文学にみる障害者像

ホルヘ・ルイス・ボルヘス著
『砂の本』

坂部明浩

 「迷宮の住人」の異名をもつボルヘスは、1899年生まれのアルゼンチンの作家である。幻想的な彼の作品が私たちを連れ出していく、何処(どこ)へ?
 …ということを問うこと自体がボルヘスの迷宮である。
 『砂の本』は彼が70歳を過ぎての短編集で、すでに失明状態で口述筆記によって完成された作品である。もっとも彼の手にかかると自身の失明さえ「緩慢な黄昏が1899年以来半世紀以上にわたり、劇的瞬間を迎えることもなく延々と続いてきたのです」と芳しい表現に姿を変える。
 その一生をかけて徐々に視力を失う過程をみごとに作品に横たわらせてみせたのが、『砂の本』冒頭の一作品「他者」である。
 川から数歩離れたところのベンチの端に1人の若い男が座っている。もう一方の端に「わたし」がいた。
 小説の始まりであるはずなのに、主人公の「わたし」には始まりでもなんでもなく、すでに経験したことがあるという印象をもつ。
 やがてその若者の吹く口笛と歌声に「わたし」は驚愕する。それは古い流行歌。「わたし」にとっては亡くなった従兄弟の声を思い出させる歌声。近寄って「わたし」が尋ねる。
 「失礼、あなたはウルグアイか、アルゼンチンの方ですか?」「アルゼンチンです。しかし1914年以来ジュネーブに住んでいます」とその若者。(まさにジュネーブに移り住んでいたのは、若い頃の作者ボルヘスその人であるが、小説はそうした現実をも物語に取り込んで)「わたし」はさらに尋ねる。
 「ロシア正教の向いの、マラニュー街17番地に?」。彼が、そうだと答えると、「わたし」は「それなら、あなたの名はホルヘ・ルイス・ボルヘスです」と言い切る。つまり「あなた」は「わたし」である、と。そして付け加える「1969年にわれわれはケンブリッジ市にいるのです」。
 若者は老人(わたし)の言うことが信じられない様子。1969年という未来の「われわれ」だなんて。が、すでにその若者の声はまぎれもない「わたし」自身の声になっている。「わたし」は立て続けに若者の未来が「わたし」である証拠を並べ立てる。が、若者はそういう夢をみているということだってあるじゃないかと反論する。老人に出会う夢だと。
 若者はこう質問する。「もし、あなたがぼくだというのなら、1918年に、彼も、同じくボルヘスだと称する老紳士に会ったことを、あなたが忘れてしまっていることを、どう説明なさるんですか」。が、「わたし」は「おそらく、あまり奇妙な事件だったので、忘れようとしたせいだろうね」と答える。
 そしてまた、さまざまな文学についての意見を交わすが、互いを理解することの不可能に気づいていく。「2人は、たがいに相手を欺くことができず、そのことが対話を困難にしていた」「助言も議論も無用だった。なぜなら、いずれは、わたしという者になることが、彼の避けがたい宿命だったのだから」。
 最後に彼らは互いにお金の交換をする。若者のもつ銀貨と、「わたし」のもつドル札。「額面は違っても、みんな同じサイズであまり有難味のない、例の」ドル札を手にした若者は1964年という未来の年号に驚く。
 夢か現か、二度同じことが起これば夢ではないはず、と「わたし」は若者との再会を約束するが、別れ際にこう告げた。
 「誰かわたしを迎えにくるはずだ」と。「迎えがくるんですって?」と若者が尋ねる。「そうだよ、君もわたしの年になれば、ほとんど目が見えなくなっているはずだ。…案ずることはないよ。徐々に盲目になるのは悲劇じゃあない。夏の、ゆっくりした黄昏のようなものだ」と「わたし」が言って別れる。が、二度と2人はそれきり会うことはなかった…。
 最後に出会いについての「わたし」の考察が入って作品は終わる。ここは言わないでおくことにしよう。
 それにしても最後の最後に、「わたし」が盲目であることが告げられたわけだが、そこで読者はハタと気づかされる。最初に若者を自分自身だと認めたのが「声」によるものだったこと。ドル札が同じ大きさで識別しづらいという指摘のこと。そしてとりもなおさず「晴眼」者としてのわたしと「視覚障害」者としての「わたし」との出会いであることを。
 そのように考えると「他者」というタイトルも意味深となる。ましてや「わたし」が若者だった頃に、老いた「わたし」に出会ったという奇妙な事件を忘れようとしたというのも、取りようによっては失明後の「わたし」に会ったことを忘れようとしたとも取れる。しかし。
 「助言も議論も無用だった。なぜなら、いずれは、わたしという者になることが、彼の避けがたい宿命だったのだから」の一文はどうか?
 互いが互いを理解できない状態でありながら、なお助言も議論も無用なほどに「若者」には避けがたい宿命であるということ。それを「知って」いるのは老いた「わたし」である。その「わたし」ゆえに「わたし」の若い頃に、失明した老人に会ったということを思い出したくはなかったのではないか。若い頃に老人に会って「いない」ことにすれば、今の「わたし」も若者の宿命を感じずに済むのではないか! そんな儚(はかな)い思い。あなたはわたしじゃないかもしれないじゃないかという思い…。
 作者ボルヘスの失明は遺伝の可能性があった。父も視力障害で、父方の先祖にも視力障害をもつ者がいた。
 遺伝、それは過去からボルヘスに覆いかぶさる宿命のようなものであったに違いない。それをあたかもメビウスの輪でも巡るように彼は反転してみせ、未来からその宿命を覆いかぶせてみせたのではないだろうか。これぞ迷宮作家と呼ぶにふさわしい芸当である(ちなみに同じ『砂の本』の中の一編「疲れた男のユートピア」では視覚障害こそ言及がないものの、主人公が紛れ込んだ未来には、主人公の時代には「空白」としてしか認識できない「色」で描いたキャンバスの絵が登場する)。
 さて、最後に気になる「砂の本」というタイトルについて言及しておこう。短編の中の一編に同名の作品があるのだが、それによると、主人公のわたしの家を訪ねた聖書売りが、ある村で手に入れたという「砂の本」をわたしは買う。とても不思議な本で砂と同じく始めもなければ終わりもない。本の間に指を挟んで開いてもみるみるうちに何枚ものページがはさまってくる。「本からページが湧き出てくる」かのように。この辺は幻想文学ファンにはたまらないボルヘスの独壇場だ。床につくが眠れない。本の悪夢にうなされる。そしてとうとう以前勤めていた国立図書館の90万冊の一画にそっと砂の本を忍び込ませるという話である。
 ここでも作者ボルヘス自身の姿がほうふつとされる。この作品では主人公は視覚障害とはなっていないのだが、ボルヘス自身、50代半ばにしてアルゼンチンの国立図書館の館長を務めていたからだ。そして皮肉なことに、ちょうどその頃に彼はいよいよ失明へと「黄昏ていく」。
 が、彼はその皮肉を「天恵の詩」冒頭でこう書き記す。
 「誰も涙や非難に貶めてはならない
 素晴らしい皮肉によって
 私に書物と闇を同時に給うた
 神の巧緻を語るこの詩を」
 ボルヘスはまさにこの皮肉を基点にして、以来「バベルの図書館」をはじめとする本の迷宮の話を創作し、また古今東西の幻想文学のアンソロジーを編集し始める。
 私には「砂の本」というのは、その彼の皮肉な状況にあってのぎりぎりの表現であったように思えてならない。すでに目次を繰ることも意味をなさなくなった視力でなおも本を相手に知的格闘をしようとする意志。そこに砂という触覚的なサラサラとした無限の本があったのではないか。
 砂については、この本の数年後にエジプトに旅行した際、こんなことを書いている。
…ピラミッドから少し離れた場所で私は屈みこんで一握の砂をつかんだ。少しばかり遠くに移動して静かにそれをこぼし、小声で呟いた。
 「私はサハラ砂漠の姿を変えようとしている。それは些細な出来事であったがこれをするために自分の全生涯は必要とされたのだと私は思った」…。(『アトラス』ボルヘス著)
 まさに知のピラミッド(アカデミズム)のはじっこでさっと砂の本を相手にしてみせた迷宮の軽業師ボルヘスにふさわしい直観的名言である。

(さかべあきひろ 著述家)