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スリランカ
スリランカの友人・クマーラさん

アッタナヤケ・ムディヤンセラゼ・ヘマンタ・クマーラ
那須里美(当協会職員)

 私の友人、クマーラさんはクンブッカナ盲ろう学校でボランティア教師をしています。彼に学校のこと、スリランカの状況、クマーラさんの願いなどさまざまな話を聞きました。ここに紹介するのはその一部です。
 「私たちの学校は5年前に小さな家からスタートして、今では建物が五つになりました。いろいろな場所でコンサートを開き、それで得たお金を運営にあてています。生徒は60人(聴覚37人、視覚23人)、先生は10人います。政府から給料をもらっている教師は4人で、他はボランティアです。
 この学校ができて周りの人たちの考え方が変わりました。しかし、政府のサポートが少ないので、寄付がなければ学校を続けることができません(注:スリランカの宗教では障害のある人はかわいそうな存在であり、「善意」の施しをすれば自分の来世がよくなると考えられている)。
 私の国には視覚と知的など重複障害をもった人を支える施設はありません。また、そのような人たちに仕事を作るという考え方もありません。障害者にできる仕事はたくさんあるはずです。私はウィズ(注:浜松市にある全国初の視覚障害者中心の小規模授産所。クマーラさんはダスキン・アジア太平洋障害者リーダー育成事業第3期研修生として来日し、ウィズで研修を行った)のような授産所を作りたいと思っています。そうすれば、視覚障害者や重複障害者も収入のある仕事ができます。そして学校もお金の問題が減ると思います。
 そして視覚障害者が利用できる図書館も作りたいです。晴眼者にはどこにでも図書館があります。しかし、点字図書館はコロンボにしかなく、本を読みたければどんなに遠くてもそこに行って本を借りなければいけません。私たちは情報を得ることができないので、とても困っています。たとえば、たくさん勉強したい人に点字の本はないです。
 政府やスリランカの人々は私たちの権利について全然考えていません。私の国には白杖の日があります。その日だけはラジオやテレビで視覚障害者のことをたくさん取り上げますが、次の日には忘れてしまいます。「障害者は前世で悪いことをした」と思う人も多いのです。政府はお金の問題などいろいろな言い訳をして私たち障害者の声を聞きません。
 これからやることはたくさんあります。しかし、障害者だけでなく、障害のない人の理解がなければやれることは少なくなるかもしれません。でも私たちはやらなければなりません。一生懸命やれば、政府も私たちのことや障害者の権利を考えるようになり、本当に必要なサービスが始まると思います。」
 今回、クマーラさんの友人である視覚障害のシアニさんにも会うことができました。彼女は政府の障害者福祉部に所属しています。「週に一度職場に行っておしゃべりをする」それが彼女の仕事です。それでも給料はきちんと一か月分もらっています。同僚や家族は「あなたに仕事なんてできっこない。今のままでいいじゃないか」と言うそうです。仕事とは「責務」とそれを果たすことで得られる「評価(給与を含む)」があってこそ、やりがいを感じ、自信にも繋がっていくものなのに…。周囲の「善意」こそ、彼女の障害になっていると言っても過言ではないでしょう。私はスリランカで多くの善意に触れ、温かい気持ちをたくさんもらいました。しかし一方で、使い方を誤った「善意」ほどやっかいなものはないことを私たちは肝に銘じておかねばならないと思いました。
 クマーラさんのように熱心なボランティア教師もいれば、報酬を得ているにもかかわらず教育に情熱を注がない教師もいます。そんな状況を知ってか知らずか、政府は質のよい教育をめざし、数年前に新しい教育システムを導入しました。教師や生徒が「目」で見て墨字で書くことを重視したそのシステムには、視覚障害のある教師や生徒がいるという考えが欠落しています。皮肉なことに、視覚障害をもつ子どもは質のよい教育を享受する機会を奪われようとしているのです。質のよい教育とは、想像力を伸ばすものだと私は考えています。豊かな想像力こそ、さまざまな思考や活動の源ではないでしょうか。新しい教育システムに欠落しているものは何かということも少しの想像力があればわかることです。障害をもつ子どもからその力を奪わないでほしいと願って止みません。
 クマーラさんは「日本でのさまざまな出会いを通して、自分の考え方が大きく変わった」と言っていました。前向きでしなやかな感性を持つ彼も、スリランカの仲間に理解してもらえずくじけそうになることがあります。そんな時支えになっているのが、今も続く日本との温かく確かな絆です。それが今の彼を強く、そして優しくしているように感じました。
 クマーラさんは教鞭を取るかたわら、人が多く集まるところに行っては自分や視覚障害のことを話したり(視覚障害の友人を誘っているのに、仲間が増えないのが悩みだとか…)、ラジオや雑誌に点字の必要性を訴える記事を投稿したりと、知恵を絞って啓発活動を展開しています。今はまだ地味な活動かもしれません。しかし、彼の地道な努力は無駄にならないはずです。日本で芽吹いた種がスリランカの土壌に根付き育っていく姿を、友人の一人として応援していきたいと思います。