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百聞は一触にしかず

奥野真里

 数年前に大英博物館を訪れた際、有名な某石碑を目の前にしたとたん、私はどうしてもそれに触れてみたくなった。確かに触れてもOKとは書かれていなかったけれど、思いきって手を伸ばした瞬間、“Don’t touch it!”(触るな)、と警備員らしき人に止められてしまった。石碑まで50センチも離れていなかったと思うが、触れてはいけないと言われ、たいへん歯がゆい気持ちだった。
 私たち視覚障害者にとって、触れるということは実在する物体を確認あるいは知る手段であり、手で「見る」と言っても過言ではないほどに情報を得る大切な感覚である。これまで、あまりミュージアム関係には縁のなかった私だったが、最近手で触れられる美術館・博物館も多くなってきたこともあり、足を運ぶ機会も増えた。それでも、まだまだ触れることをNGとする所も多い。
 では、触れるとはどのようなことなのだろうか? 視覚と比較して大きく違う点は、部分が集合し一つの全体像を創り出すということである。まず、指をさしだし、ぱっと指先が触れる所は1点にしかすぎない。そこから指を移動させることによってイメージが線になり面に繋がっていく。この繰り返しで一つの全体像が完成していく。
 ロンドンにあるトラファルガー・スクエアには大きなライオン像がある。人の背丈ほどの台の上に体調2メートルほどの(だったと思う)ライオンが寝転んでいる。よく待ち合わせ場所などにも使われるそうだが、やはりこの時もその像に触れて見たいという好奇心に見舞われた。最初は手の届く範囲でここがしっぽだのなんだのと言いながら触っていたが、それでは物足りなくなり、ライオン像の全体に触れてみたいという衝動にかられた。
 視覚障害の有無に関係なく、実際のライオンに触れることはめったにないと思う。それでも、ふだん視覚的情報を得られない私たちはライオンはどれぐらいの大きさでどのような特徴があるかは、説明を聞いたり立体図を触るなどしてイメージしているが、像(またはレプリカのようなもの)に触れて本物に近いものが実感できるのなら、チャンスだ!と思い体験してみたくなったのだ。そして、なんとか友人の手を借りて台の上によじ登り無事ライオン(像)を目の当たりにすることができた。
 このように、触れることから私たちは知識を養い、そしてイメージ化する時のより具体的な情報源として活用していく。大人になるとどこか触れることに対して躊躇(ちゅうちょ)しがちだが、多くの物に触れ、今後もさまざまな物を手で「見つめて」いきたいと思う。

(おくのまり 名古屋盲人情報文化センター)