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ワールドナウ

タイ
アジア義肢装具士大学開設される

澤村誠志

 切断者に装着する義肢やマヒ足に取り付ける装具は、障害のある人々の体の一部となり、生活を支援するだけでなく、社会参加への道を開くうえで最も重要な福祉用具である。アジアには、義肢装具を生活上必要としている障害のある人々が2,000万人を数え、このうち切断者が500万人を占め、今なお対人地雷や交通事故などで増加の一方を辿っている。しかし、その障害のあるほとんどの人々が、義肢装具のサービスの行き届かない過疎農村地域に住んでいるために、CBR(Community Based Rehabilitation)システムと義肢装具サービスの連携が最も大きな課題となっている。
 このような現状の中で、私は過去20数年にわたるISPO(国際義肢装具協会)という義肢装具の国際組織の活動にかかわり、アジア担当の国際コンサルタントの立場から、長年ODAによるアジア開発国を対象とした義肢装具士のリーダーを養成する大学の設置の実現をめざしてきた。そこで、ISPO日本支部田澤英二会長とともに、わが国の厚生省、外務省、そして、インドネシア、タイの保健省、日本大使館などを毎年のように訪れた。多くの壁が立ちふさがり、極めて難産であったが、最終的には日本財団のご厚意を得て、昨年タイに義肢装具士4年制大学の開校を実現することができた。

アジア義肢装具士大学設立までの経緯

 私は義肢装具をライフワークとして選び、昭和34年UCLAの義肢教育プロジェクトで研修の機会を得た。昭和44年兵庫県立総合リハビリテーションセンターの設立にかかわり、開設前3か月にわたり、世界におけるリハビリテーションセンター、義肢装具研究施設を訪問し、各国のリーダーに会う機会を得た。特に、デンマークでは、後にISPOの創始者となったヤンセン教授から、義肢装具の国際的分野において日本の活動や役割が見えてこない。私に、わが国の窓口としての役割と積極的な国際協力をしてほしいと依頼された。これが後にISPOを通じての国際協力の契機となった。

●ISPOの活動と低所得国に対する義肢装具サービスについて

 ISPOは、義肢装具およびリハ工学の分野において、多くの国際組織に対する専門的、諮問的、協調的な立場で活動しているNGOである。ISPOが、これまで最も重要視し取り組んできた問題は、義肢装具の製作技術者の教育水準を高めるための「国際資格の標準化」であった。WHOとの連携の中で、義肢装具製作技術者の資格制度を3つのカテゴリーに分けている。カテゴリー1は、4年制大学教育、カテゴリー2は、3年制のもので、それぞれの詳しい業務の内容、試験の方法については、すでにISPOの情報パッケージに纏(まと)めている。
 1981年、私はISPOの理事就任とともに、アジア担当の国際コンサルタントの任命を受けた。そこで、毎年アジア諸国を訪れ、そのニーズを肌で感ずる機会を探るようになった。その結果、アジア低所得国の義肢装具サービスを進めるために必要なことは、1.カテゴリー1、または、2の義肢装具士の教育、2.地域のニーズに合う部品、材料の供給、3.地域リハビリテーションシステムによる地域中核病院などにおける義肢装具製作所機能と農村地域への巡回相談、製作修理機能、4.地域のニーズに合う部品の開発と評価できる工学的、臨床的な機能であるとの結論を得た。これが、アジア義肢装具センター構想の原点となった。

●アジア義肢装具センター構想の実現に向けて

 1992年、沖縄で開かれた「アジア・太平洋障害者の十年NGOキャンペーン」にて、義肢装具士の教育施設を中心とするアジア義肢装具センター構想を発表し、厚生省、外務省に提出した。このアジア義肢装具センターの設立には、まず当該国から日本政府に対する要望が出されることが先決問題である。そこで、ODAの対象国であり2億の人口を抱え、義肢装具に対するサービスが遅れているインドネシアに焦点をあて、私の長年の親友であるハンドヨCBRセンター長の協力を得て、田澤英二氏と共に、インドネシア保健省を何度も訪れた。ようやく、インドネシア保健省大臣の理解を得て、ジャカルタのファットマファテイ病院に設立する動きとなったが、スハルト大統領の失脚に伴い政情不安定となったため見送られることになった。
 しかし、当時の厚生省篠崎障害福祉部長のご支援から外務委員長八代英太氏のご指導を得て、タイに拠点を移し、バンコクに国際的認知を得るカテゴリー1の義肢装具士の教育機関を中核とするアジア障害者センターを設置する方向となった。しかし、この4年制の義肢装具士大学構想は、低所得国では8か月の短期教育で十分であるとする日本外務省の担当者により否定された。予算の問題よりも、日常義肢装具に関する国際的な情報を欠き、国際的な動向に無関心でネットワークを持たない外務省の姿勢に対して、腹立たしい思いの連続であった。 特に、タイでは、過去においてすでに、2年制、3年制の義肢装具士の教育に失敗し、4年制の大学教育にこだわるタイ政府の合意が得られるわけがない。私共が、この外務省案に対して最後まで反対したため、プログラムから削除された。しかし、私共のめざしたセンターは、結果としてアジア障害者開発センターとして結実したことを喜んでいる。
 さて一方、兵庫県立総合リハビリテーションセンターは、1992年よりタイ国立シリンドホーンリハビリテーションセンターと姉妹センターとしての契約を結び、JICAの協力によりこれまで長く、義肢装具士、医師、看護師などスタッフの教育を通じて連携と交流を重ねてきた。
 このような経過の中で、一旦頓挫したアジアの義肢装具士大学の計画が、田澤英二氏のご努力と、日本財団の心温まるご理解により実現に踏み出した。タイ政府とのたび重なる相談と協働の中で、地元のタイ政府が強く要望したカテゴリー1(大学4年制)の大学がマヒドオル大学に開講され、12人の新入生が誕生した。2002年9月4日にバンコクの国立シリンドホーン医療リハビリテーションセンターで開講式が行われた。2年目からは、タイ国立シリンドホーン医療リハビリテーションセンターで実技教育が開始される。

わが国の義肢装具における今後の国際協力のあり方

 義肢装具サービスにおける国際組織との連携協力の必要性は極めて高く、国際的に目に見える支援が必要である。これまでのわが国の国際援助は、はこものの建築や経済的な支援が中心であった。しかし、これからは、このタイの義肢装具士大学のように、わが国の多くの義肢装具士が参加して 現地のNGOや政府の人々と一緒に汗をかく活動が極めて大切である。アジア諸国には、わが国の若い専門職の腕を生かす、また、逆に、その地域の中で障害のある人々の生き様から学べる宝の山がある。長い人生の中で、少しの期間でもいい、アジアの現地に飛び込んでいく若者のチャレンジ精神に期待したい。

(さわむらせいし 元ISPO(国際義肢装具協会)会長、兵庫県立総合リハビリテーションセンター顧問・名誉院長)