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文学にみる障害者像

フランシス・ホジスン・バーネット著
『秘密の花園』

桐山直人

 作者バーネットは、『小公女』で知られる故国をイギリスとするアメリカ人である。1911年、62歳の作である。物語は9歳の少女メアリがインドで両親をコレラで失い、イギリスの伯父アーチボルト・クレイヴンの家に行く冬から始まる。そして前半は、病弱なおちびさんのメアリが、メードのマーサらとの関わりとヨークシャーの自然の中で元気になる春を描いている。後半は、せむしになってやがて死ぬと思っている車椅子を使う従弟(いとこ)コリンが、メアリとその友達ディコンと共に枯れた花園(コリンの母の死後閉じられていた)に再び花を咲かせる過程で歩くようになり、すっかり丈夫になる夏、そして自身がせむしであるコリンの父クレイヴンが息子を受け入れる秋、という展開となっている(障害の息子を見るのを恐れていた)。

 コリンのように、歩くことができず車椅子を使わなければならない子どもが、「歩く」ようになる物語が複数ある。近年訳出されたロイス・キース著『クララは歩かなくてはいけないの?少女小説にみる死と障害と治癒』によると、『すてきなケティ』(1872)、『ハイジ』(1880)のクララ、『少女ポリアンナ』(1913)も、歩けなかったのが「歩く」ようになるという。キースはそれを「奇跡的治癒」と呼び、「歩くことができない子どもは同情され、看病されるが決して『受け入れられる』ことはない」ことを表していると言う。また「これらの物語は、健常性は正しく望まれ切望されるべきである」として、障害のままに暮らし生きることが物語りとならない1913年以前の社会と障害者観を指摘している。
 キースは障害者が登場し治癒しているそれらの物語を章を立てて取り上げ、本文の中ではさらに多数の物語を引用している。その数の多さは、単に作者の想像や創作による奇跡ではなく、歩けないのが「歩く」ようになった人々、また障害が何らかのきっかけによって治癒した人々が、事実としてあったことを示しているのではないだろうか。

 『秘密の花園』には3人の病と障害が描かれている。メアリは痩せていて、いつも病気ばかりしている子どもで、ヨークシャーの太陽と空気の中で暮らし遊ぶことで、元気な明るい子どもに成長していく。それがこの物語のテーマである。
 ここ「文学にみる障害者像」では、せむしで周りの者には半分狂っていると見えるクレイヴン、背中が痛み、頭痛がし、やがて自分はせむしになって大人になる前に死ぬと思っているコリン、2人の障害がテーマとなる。作者バーネットは、2人の病と障害を記述するとともに、心の状態を分析的に描いている。障害の様子、他者の受け止め、治癒について本文の記載を取り上げて整理してみよう。

 背が高いクレイヴンは、子どもの時分に背骨が曲がるのが見えはじめ、青年期にせむしとなった。顔はひどく悲しそうで、額にひどい皺がよっている。その容姿ゆえに内向的になり、人との関わりをうまく保てなくなっている。本人は、非常に身体の具合いが悪く、不幸せで心が落ち着かない、と語っている。
 一方、健康な面の記述がある。メアリが初めてクレイヴンに会った時、せむしというより肩が少し曲がっていて、顔は悲しそうでなかったら美しい顔立ちだろうにと思えた、とある。
 表情や心情の改善を示す記述が巻末にある。花園で背の高い立派な少年になったコリンと出会い、一緒に屋敷に向かって歩くクレイヴンは、「今まで見たことがなかったようなようす」をしており、それは笑顔で背中を伸ばした頼もしい父親の姿を想像させる。

 コリンは生まれてすぐに母親を亡くしている。弱々しく、死んでしまいそうな赤ん坊に見えた。読者は、歩かないコリンは麻痺による運動障害である、と予想する。父クレイヴンは、息子が成長して立って歩くようになると、体重の負荷によって背骨が曲がり自分と同じようにせむしになると思い、立たせないで寝て暮らすことを望んだ。また、自分と同じようにせむしになるならコリンは死んだほうがいいと言っていた。クレイヴンの親類の医者は鉄と革で作った背中を真っ直ぐにしておく道具を付けさせ、みんなは坊ちゃんの背骨が弱いと心配して大切にするあまり、寝かしっぱなしにしている。
 コリン自身は周りの者から、せむしになる、長生きできない、と噂される声を聞いて、病弱で我儘(わがまま)なだだっ子となっていた。たとえば、新しく来たばかりの園丁がものめずらしそうにコリンを見たことを、「自分がだんだんせむしになりかけてるもんだから、その男が自分をみた」と言って熱を出す、といった状態であった。
 コリンのそのような状態に対し、異なった見方をしている者がいた。ロンドンから往診した偉い医者は、背中を伸ばす道具はくだらないと言ってそれを取り、コリンをいい空気の中へ置いておくように指示した。何人めかの看護婦は、コリンの病気の半分はヒステリーと癇癪(かんしゃく)であると言った。
 そのようなコリンは、自分が歩くようになったのは花園の魔法の力のおかげ、と思うようになる。太陽が動き陽を照らし、草花が大きくなったり根を動かす魔法の力が、コリンの胸を押したり息を早くさせ、妙に幸せな気持ちにさせる、というのである。メアリという友達がいることは、楽しい会話ができて、励ましたり、喧嘩(けんか)したり、自分の弱い所、強い所を気づかせてくれる。コリンはそれも魔法と思う。また、土地の少年で草花・動物を知り尽くすたくましいディコンの存在は、コリンにディコンのようになりたい、という生きる目的・希望を持たせた。それも魔法である。

 このように見てくると、クレイヴンはせむしというほど背骨が曲がっていたわけではなく、容姿を気にするあまり心に病が生じていたように思われる。コリンは麻痺があるのではなく、父クレイヴンの心の病が育児や看護を行う使用人に反映して、歩かない環境を作り、歩けなくなっていたようだ。いずれも、疾患としての障害がなかったのに、行動レベルと心理的な障害をもち、それによってせむし、歩けない障害となっていたのである。背骨が曲がるのではないかという恐怖、死んでしまうのではないかという恐怖、それにより障害にならなくてもよい者に障害が生じ、死ななくてもよい者が死ぬということが起こっていたのではないだろうか。将来どのようになるか分からない見通しを持てない不安が、その恐怖を増大させたように読みとれる。病気や障害の正しい知識がない中では起こり得ることで、またコリンが言う魔法によって治癒することもあり得たように思う。

 現在において障害者とされる人々が、医療・教育・福祉の充実、機器の利用、社会参加の増加によって、将来障害者の枠組から抜け出ていくことが予想できる。その時、コリンは歩けなかったが実は身体障害ではなかったというように、20世紀に障害者となった人々が後の社会においては障害者ではない、と語られるようになることを期待したい。それには、コリンが花園で見つけたような魔法が必要だ。障害者とその家族が親しく悩みを話し力を借りる人が地域にいて、困難はあっても希望を持って生きることができる社会となることが重要だ。それが魔法となるだろう。
 コリンは、メアリとの関わりの中で生まれた魔法によって希望を持ったとき、恐怖を打ち消して、自分が本来持った力を発揮して立ち上がり、歩き出した。読者は、花園の「魔法」を現代に引きつけて考えるであろう。

(きりやまなおと リハビリテーション史研究会)

【引用・参考文献】
・バーネット、滝口直太郎訳『秘密の花園』新潮文庫、1954年
・ロイス・キース、藤田真利子訳『クララは歩かなくてはいけないの?』明石書店、2003年