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ホームヘルプサービスの区分はこれでいいのか

冨田昌吾

 支援費制度が始まって半年、落ち着いたとも落ち着いてないともいえる状況の中、早速、次年度に向けて制度の見直しが検討されはじめている。
 私が現在所属している団体や関係しているグループなどで、支援費のサービスの中でもっともかかわりの深いのは居宅介護である。私の所属している団体だけに限れば、特にその中でも移動介護中心、いわゆるガイドヘルプが中心になっている。また、精神障害者や介護保険のホームヘルプサービス(訪問介護、居宅介護等)も提供しているので、いろいろな形のホームヘルプサービスにかかわっていることになる。しかし、制度をまたがる、またがらないにかかわらず、とにかくこのホームヘルプサービスの区分というのに首をかしげたくなる。
 そもそも、制度上のことでいっても、介護保険は身体介護と生活援助。支援費は身体介護中心、家事援助中心、移動介護中心、身体障害者の場合はこれに、日常生活支援。精神障害者は、身体介護/相談、家事援助。それぞれで区分けも考え方もまるで違う。
 やればやるほど疑問に思うのは、人の生活が「ここからここまでが身体介護で、移動介護で」なんて本当に分けられるのか、ということである。
 たとえば、移動介護中心の依頼があって、利用者の方のお宅にヘルパーが訪問する。約束の時間にお宅に着いたが、利用者の方の気分がどうにも、外出に向かわない。ヘルパーに家の中に「おいでおいで」をされる。利用者の方は、明らかに家でヘルパーと遊びたいと意思表示をされているのだ。でも、サービスは移動介護で受けているし、計画もそのようになっている。だから、「家の中では遊べません、外出ではないのでキャンセルですね」となる。
 また、もっと細かに、社会参加の目的の外出は移動介護中心で、病院の通院は身体介護中心で、という決定を出している自治体もある。
 これに拍車をかけるのがヘルパーの資格制度である。たとえば、社会参加の外出はできるのに、病院の付き添いができないヘルパーが存在する(その逆もある)。いくら考えてもおかしすぎる。
 当たり前のことだが、人間の生活は連続しているのだ。もっと、生活の連続性を尊重するような、欧米でいうパーソナルアシスタントのような考え方に、早く日本もなってほしいと願う。

(とみたしょうご 寝屋川市民たすけあいの会)