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列島縦断ネットワーキング

北海道
第6回DPI世界会議札幌大会
1周年記念集会の開催とDPI北海道の設立

西村正樹

はじめに

 昨年10月15日から18日まで、110の国と地域から3,113名の参加者を迎え、3,300名の市民ボランティアを含め、多くの方々の支援により、国内外から高い評価を受け、成功のうちに終了した「第6回DPI世界会議札幌大会(以下、DPI札幌大会)」開催から1年が過ぎた。
 「大会までに何をつくり、大会後に何を残すか?」「大会を単なるイベントに終わらせない」ことを目標としてきた「2002年第6回DPI世界会議札幌大会組織委員会(以下、組織委員会)」に参加した障害当事者が中心となって、去る10月17日に「DPI北海道ブロック会議設立総会」と、翌18日に「DPI札幌大会1周年記念集会(以下、1周年記念集会)」を開催した。
 これは、大会開催地である北海道での、あらたな運動のスタートの一歩であった。
 28の障害当事者団体の結集した「DPI北海道ブロック会議(以下、DPI北海道)」は、その方針の中で、昨年の大会終了時に採択された障害者権利条約と差別禁止法の制定などを求めた「札幌宣言」の実現と地域における障害者に関する制度・政策提言なども含めた活動方針を確認した。
 「1周年記念集会」では、「障害者基本法改正と差別禁止法」と今年4月からスタートした「支援費制度」をテーマとした分科会、「障害者権利条約」を取り上げたシンポジウムを開催した。

DPI北海道設立総会

 組織委員会では、組織委員会解散後、大会の成果を引き継ぎ発展させていくための組織の設立が確認されていた。私たちは、今年の4月1日に、「DPI北海道ブロック会議準備室」を立ち上げ、この総会を迎えるまで20回に及ぶ運営会議を開催し、DPI日本会議初の地方組織となる「DPI北海道」の設立と「1周年記念集会」の開催の準備などを進めてきた。
 こうした準備活動は、DPI日本会議と組織形態や日本会議との関係などを協議し、地方の自主性を尊重しながらも連携した活動や役割などの確認と調整を進めてきた。北海道では、組織委員会に参加していなかった障害当事者及び団体にも参加を呼びかけた「DPI北海道ブロック会議設立発起人会」を結成し、障害種別を超えた当事者により議論し定款、活動方針や事業計画などを確認していった。
 そして、10月17日に札幌市身体障害者福祉センターで約60名の出席者を迎え、DPI北海道ブロック会議が設立したのである。

1周年記念集会

 DPI札幌大会終了後の1年間は、「札幌宣言」に関するさまざまな動きが国内外で起きた。
 障害者権利条約に関しては、今年6月に国連で2回目の特別委員会が開催され、来年1月には、作業委員会が開かれる。1周年記念集会の直前の10月14日から17日には、タイのバンコクで国連アジア太平洋経済社会委員会による会議も開催された。障害者差別禁止法制定についても、国会での障害者基本法の改正作業に併せて、その制定に向けて多くの障害者団体の取り組みも進められた。
 まさに、この1年間は、「札幌宣言」を確実に実現するための歩みが刻まれていった。
 私たちは、「障害者権利条約」などに関するさまざまな情報をシンポジウムなどで共有し、さらなる一歩を踏み出すことを目的として「1周年記念集会」を企画したのである。
 第1分科会の「支援費制度」では、厚生労働省、北海道、札幌市の行政と制度の事業者であり利用者でもある障害当事者団体をパネラーとして迎えた。第2分科会の「障害者基本法改正と差別禁止法」では、立法府の構成メンバーである、道内選出の全政党の前衆議院議員と日本弁護士連合会を迎えた。そして、それぞれに障害当事者運動として活動しているDPI日本会議のメンバーが加わった。
 衆議院の解散総選挙という状況にもかかわらず出席をいただいた各前衆議院議員の皆さんは、DPI札幌大会組織委員会の顧問に就任していただいた方々であり、大変な時期にもかかわらずご出席いただけたことに喜びを感じるとともに、このテーマを、党派を超えて、共有し実現に向けた取り組みの必要性が確認できたことは、大きな成果であった。
 特に日本弁護士連合会からは、「障害者を取り巻く現状を擁護する法律が無く、理念法としての障害者基本法の改正をもって実際の効力をもつ差別禁止法の制定が引き延ばしになるのなら、今回の基本法の改正は必要ない」との発言と具体的な障害者から受ける相談の事例の列挙と、それが、現行の法律では、たとえ訴訟を起こしたとしても障害者の権利として支持されるものではないとの説明は、差別禁止法の必要性をわかりやすく提起したものであった。
 こうして開催した1周年記念集会は、「札幌宣言」の実現のためには、障害当事者自身の声と行動の必要性を強調し、DPI北海道としての今後の運動を進めることの確認の場となった。

おわりに

 1992年11月に来札し、昨年8月、DPI札幌大会を直前にして亡くなった故ヘンリー・エンズ氏との出会いがなければ、DPI札幌大会の開催もDPI北海道の設立も、多分なかったと思う。私たちは、1994年5月に、カナダのウイニペグにエンズ氏とDPI世界本部を訪問している。
 その時にエンズ氏は、私たちにDPIについて、世界大会について、そして自身の障害者運動についての理念と活動を話してくれた。エンズ氏は、言った。「その運動がよりエンパワーメントをしていくために必要なのはニューリーダーの出現である。新しい人材を育成していくことである」。
 「いつかDPI世界会議を札幌で開催してみないか?」との言葉でDPI札幌大会は、開催した。今、DPI札幌大会は終了し、DPI北海道が、その1年後に産声を上げた。
 私たちは、今、北海道の若い障害当事者が、女性の障害当事者が、このDPI北海道の主力となってもらいたいと思っている。そして、札幌だけではなく、札幌以外の多くの障害当事者のエンパワーメントにDPI北海道が寄与していきたいとも思っている。
 私たちの運動は、障害種別を超え、国境を越え、さまざまな違いを超えて着実に進められている。DPI札幌大会は、ゴールではなく、新たなスタートであることを私たちは、今、改めて確認している。

(にしむらまさき DPI日本会議副議長、DPI北海道ブロック会議議長)