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「ノーマライゼーション 障害者の福祉」 2004年9月号

電動車いすのまま乗り込み、運転できる車
~ジョイスティック・コントロールカー~

渡邊啓二

リハビリに貢献した車

車いすを日常の足とする障害者にとって、〈車〉は社会参加をするうえで、なくてはならない道具であり、リハビリテーションの効果を上げるうえからも、もっとも大きな力となった道具の一つでしょう。ノーマライゼーション思想など存在しない時代、公共交通機関をはじめとする社会資源の多くが〈使えない〉環境であったため、トランスが可能なレベルの障害者の多くは、必然的に〈車〉に依存せざるを得なかったのです。

欧米に20年の遅れ

1970年代初頭、欧米各国で〈車いすのまま乗り込んで、運転できる車〉は、すでに重度障害者の日常の足として活躍していました。1980年代半ばにはアメリカで〈ジョイスティック・コントロール運転装置〉が開発され、全身性重度障害者にも社会参加のチャンスが広がりました。

では、なぜわが国では20年以上も遅れたのでしょう。車検制度という厳しい規制が、大きな壁になっていたことは否めない事実でしょう。運転免許制度においても、確たる根拠もなく〈自分で車いすから運転席に乗り移りができること〉が最低条件とされてきました。

しかしこれらの制度だけが原因でしょうか。家族や施設に依存しなければ生きられなかった全身性重度障害者は、生活の拠点であるべき地域の中に確たる目的を持ち得なかったのです。目的のない人生に活力が生まれるはずもなく、QOLの向上など望むべくもなかったことでしょう。また、〈しかたがない〉と簡単にあきらめてしまう国民性も災いしていたかもしれません。このような社会背景に起因するとはいえ、必要とする当事者が大きな声を出し要求しなかったこと、あるいは要求できなかったことが、その直接的な原因だったと考えられます。

1970年代半ばには、ようやく日本でも日常生活に介助を必要とする全身性重度障害者も施設や親元から離脱し〈地域生活〉にチャレンジを始めました。彼らはほとんど例外なく、トランスファーができないことを理由に運転免許を取得することができなかった人たちです。それから20年、彼らが各地で生活者として根を下ろし、社会的認知も広がる中で、個人的移動手段へのニーズが顕在化してきたのです。

リモコンでオートスライドドア、オートリフトを操作できる。車いすのまま運転できるよう、床を20数センチ切り下げている
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新システム車の早期導入活動

1995年、Joy Projectを設立し、活動を開始しました。まず、参議院運輸委員会で、〈車いすのまま乗り込んで、運転できる車〉の導入の可能性について、当時の大臣から「わが国の車両保安基準に適合すれば全く問題はありません」との答弁を得ることに成功しました。同委員会議事録を片手に運輸省(現 国土交通省)(当時)との交渉を開始したものの、当初は「運転席を取り外すなど常識では考えられない」「運転席を取り外した状態で動かし、事故が起きたらだれが責任を負うのですか」「詳細図面や電気配線図を用意してください」等々、大きな抵抗に直面しました。

しかし、全身性重度障害者が社会参加を果たすうえでなくてはならない道具であり、規制を緩和することは社会にとってプラスであることを根気よく説得し続ける中、最終的に「製造する国の保安基準に適合していることを、公的に証明する書類を添付すること」を条件として、現物を輸入し車両検査を行うことで合意に達したのです。

ここからJoy Projectと日本財団との共同研究事業として「新システム車の早期導入活動」を開始することになったのです。アメリカの改造会社に趣旨を伝え、全面協力の確約を得たことで、活動は急速な展開を始めました。1997年3月、待ちに待ったわが国初の〈電動車いすごと乗り込み、ジョイスティック・コントローラーを使って運転する車〉が横浜埠頭に上陸、同年4月には愛称をJoy―Vanと命名された車は、ついに運輸省(現 国土交通省)(当時)の認可を得ることができました。この認可によって〈運転席の脱着不可〉という規制は、実質的に意味をなくしたのです。

しかし車両は認可されたものの、ジョイスティック装置はわが国運転免許行政に明確な位置づけがないため、警察庁から「公道での運転は控えてほしい」との申し入れを受け、併設した手動運転装置を使って同年5月から12月まで全国キャラバンを実施したのです。

各地での障害当事者の反応は〈歓喜〉と〈落胆〉の振幅の大きなものでした。確かに最先端テクノロジーを駆使した〈見たこともない車〉を目の当たりにして、自らの人生の可能性に大きな扉が開いたと感じたであろうことは容易に想像できます。しかし、その価格を聞くや、再び可能性が閉ざされたと感じたのも無理のないことだと思います。何しろこの種の車は、日常生活に使用している電動車いすのまま乗り込み、運転することを可能にするため、車両の床を20数センチ切り下げ、スライドドアとリフトがリモコン操作で自動化されていて、これらの改造に約200万円かかります。運転に必要な各種操作も指1本で集中コントロールできるよう、コンピュータ制御システムが組み込まれていますが、この装置にも約200万円かかります。さらに、ジョイスティック・コントロールシステムには約250万円(いずれも1996年当時の為替で換算)。これに車両価格を加えると、約1000万円の、とんでもない車なのですから。

1998年1月から、警察庁運転免許課と話し合いを開始し、8月には〈ジョイスティック運転免許制度〉の創設に成功し、第1号免許を取得したのです。この間、警察庁が頭を悩ましたのは、「ジョイスティックは手で操作するのだから、手動運転装置の一つとして取り扱うか」「新たな運転装置として取り扱うか」の選択でした。結局最終的には「操作性が異なるので、新たな運転装置として取り扱う」ことで決着し、手動装置限定免許を持つ我々も、限定解除試験を受けることになったのです。

床の黒く見えるボックスが車いす自動固定装置。ハンドルの左側にハンドコントローラー。右側にジョイスティック・コントローラー。ダッシュボード上のディスプレイが各種操作表示パネル
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その後の国内状況

Joy―Vanの認可を受けて以降、国内各メーカー、改造会社等の間で〈自操式車両〉に対し、にわかに関心が高まってきました。いくつかのメーカーは実際に自社車両の運転席を電動車いす化し、そのまま車外に出て走行できるというコンセプトの車を開発し、一部では発売もされています。しかし、これらはいずれも〈運転席〉を車いす化しているところに無理があります。障害が重度になればなるほど、車いすは体の一部なのです。体を車いすに合わせることができないのが、〈全身性重度障害者〉なのです。ただ、ここで触れておかなければならないのは、国内メーカーがわが国の厳しい車両保安基準をクリアして車両の床を20cm切り下げようとすれば、途方もない高額な開発費を必要とするであろうし、結果としてさらに高額な車両になるであろうということです。

某改造会社がイギリス製ジョイスティックを輸入し、国産車両に取り付け、販売していますが、こちらは運転席部分の床だけを約10cm堀り下げることによって、〈通常に近い型の専用車いす〉を運転席として固定するよう改造している点、ユーザーサイドから見ると、より使いやすいと言えるでしょう。

ただ、これまで寄せられた当事者からの問い合わせで最も多かったのが、「普段使っている車いすのまま運転できないか」というものだったことを付言しておきたいと思います。

今後の課題と可能性

Joy―Vanが認可を受け、免許制度が確立してから今日まで、この種の車はアメリカ車をアメリカで改造したものが2台。日本車をアメリカで改造したものが2台。日本車にイギリス製のジョイスティックを装着したものが4台。アメリカ車にアメリカで乗り込み装置を装着し、日本で手動装置を装着したものが1台走っています。さらに、現在、改造を進めている3台が、近日中に走り出すことになるでしょう。6年間で12台という現実を少ないと見るか、多いと見るか…。

この種の車はマーケット規模が限られているので、スケールメリットを期待できる商品ではありません。一人ひとりに合わせて手作業で改造しなければならないので、どうしても高額になってしまうのはやむを得ない現実です。この車の持つ可能性を考えれば、決して〈高額〉とは言えないのですが、必要としている人たちは〈移動の手段がないために就労困難な人たち〉すなわち、確たる収入の当てもなく蓄えもない人が圧倒的多数と考えなければなりません。

このような状況は何も日本だけの特殊な現象ではありません。欧米も事情は何ら変わらないのです。ではなぜ欧米にこの種の車のマーケットが存在し得ているのでしょうか。答えは簡単です。「高額な改造費用といえども、補助することで全身性重度障害者が納税者になることを期待できるのであれば、決して高くはない」と、政治家も行政官も認識しているからに他ならないのです。

改造費用に対する公的助成制度が実現しなければ、この種の車の正常なマーケットがわが国に実現することはないだろうし、改造会社の開発競争も期待できません。

自動車テクノロジーの向かう先が、〈環境〉と〈安全〉であるならば、内燃機関がモーターに、ハンドルやアクセルがジョイスティックに取って代わり、全自動走行車両の実現も案外早いのではないでしょうか。

いずれにしても、リハビリを推進するうえでの基本理念の一つである「失われたものを数えるな、残されたものを生かそう」という考えを現実のものとするためには、「残された機能を生かすための機器の開発と、容易に手に入れられる環境の整備」が急務であり、公的サポートは将来のコスト低減のためにも必須だと考えています。

(わたなべけいじ Joy Project代表)

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