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「ノーマライゼーション 障害者の福祉」 2005年2月号

座談会 グランドデザイン案をどう見る

赤塚光子(あかつかみつこ)
立教大学教授

大塚淳子(おおつかあつこ)
日本精神保健福祉士協会

星野泰啓(ほしのやすひろ)
全国社会就労センター協議会・制度政策予算対策委員長

山本創(やまもとはじめ)
全国筋無力症友の会

司会:藤井克徳(ふじいかつのり)
日本障害フォーラム幹事会議長

藤井(司会) 昨年1月8日に厚労省の中に介護福祉制度改革本部ができ、介護保険制度と障害保健福祉施策の統合という方針が出されました。これをきっかけに、障害保健福祉施策をめぐる議論は新たな段階に入っていったように思います。厚労省障害保健福祉部と民間団体との間で、また正規の審議機関である社会保障審議会障害者部会でもさまざまな角度から検討が加えられていきました。検討の過程で、「介護保険との統合論議の前に、今なすべきことは障害保健福祉政策に関する全体的な展望を示すべきではないか」、このことが団体側より強く訴えられました。とくに、昨年6月18日の障害者部会での関係8団体による意見表明は重要な節目になったのではないでしょうか。次年度予算の概算要求作業などで一旦中断した障害者部会は9月に再開され、10月12日の「改革のグランドデザイン案」の発表に至ったわけです。その後11月5日に今後のスケジュール、12月14日には応益負担を基本とする費用負担の考え方が示され、さらに12月27日に「障害者自立支援給付法(案)」の概要が発表されました。今年に入って1月25日に障害者部会が開催されましたが、障害者部会としての一連の審議はこれで終止符ということになろうかと思います。介護保険との統合が事実上先送りとなった今、介護保険と切り離した形でグランドデザイン政策が推進されようとしています。

当面の重要なスケジュールとしては、「障害者自立支援給付法(案)」ならびに関連改正法案の国会審議になろうかと思いますが、これと並行して進められていく政令や省令、実施要綱などについても注視していく必要があります。とくに、適合したサービス利用の前提となる「障害程度区分」の作成や、事業者に対する報酬基準の作成(おそらく5月ぐらいには固まってくるはず)などの動きは重要です。

そこで、今日は各分野で活躍されているみなさんに参集いただき、グランドデザインについての評価、最終局面とはいえ注文をつける点として何があげられるか、政令、省令などに反映すべき点、これらについて語っていただきたいと思います。

わが国の障害者施策の現状をどう見るか

藤井 本論に先立って、わが国の障害保健福祉施策の現状をどう見ておられるか、自己紹介を兼ねて一言ずつお話いただけますか。

◇知的障害者の自立生活は、始まったばかり

赤塚 現在は、大学で障害者福祉論を担当している教員です。大学は教育学部特殊教育学科でしたので、卒業後は特殊学級の教員として仕事をし、その後、東京都心身障害者福祉センターに移って、知的障害や身体障害の方の生活や就労への支援などに携わってきました。その中で、日常生活に介助を必要とする幼いときから障害をもつ方を対象にした、通称「自立生活プログラム」を担当したことがとくに印象に残る仕事です。これは、このプログラムに参加した脳性まひなどの障害をもつ青年たちと一緒に作り上げたプログラムでした。地域社会で、自己決定に基づく自分の生活をつくっていく「自立生活」実現のために、それぞれがもつ力を引き出し高めていくためには、普通の暮らしの中で学んでいくことが不可欠であることを学びました。社会リハビリテーションの内容を明らかにするとともに、ここにおける利用者主体の重要性の確認の仕事であったとも思います。「自立生活」にかかわる仕事は1980年代半ばからでした。また、センターでは当然のこととして個別支援を行っていましたし、さまざまな方と連携し、社会資源を掘り起こしながら行った支援は、障害者ケアマネジメントにつながるものであったと思っています。

現在は大学が仕事の中心ですが、社会的活動として、知的障害者通所更生施設を受託経営している社会福祉法人理事長や、重度の方の在宅生活を支えるための研究を行うNPO法人・全国障害者生活支援研究会の会長をしています。

仕事を始めて40年近くになるのですが、障害のある人たちに対する社会の様相もかなり変わってきました。さまざまな施策が進展する中で、障害のある人たちへの理解者が増えてきていることが実感できます。しかし、まだまだ「特別な存在」であるという見方がないわけではありません。また、施策が進展してきたとはいっても、そこにおける課題が明らかにされながらの進展であり、それが今回の社会福祉基礎構造改革やグランドデザイン提案のベースにあるように思います。

地域の中で、それぞれに必要な支援を受けながら地域で暮らす「自立生活」の実現ということについていえば、本人の意思と社会的な要件が整えば可能なのだということが立証されてきた過程であったと思います。自立生活の実現は介助の量の多寡でできるできないが決められるものではないし、それぞれに必要な介助などの支援が行き届くことが重要だということの確認です。知的障害のある人についても、その人に必要な支援があれば地域で親元から独立した生活ができることも確かめられてきています。

障害者基本計画で地域生活支援の方向性が重視され、また支援費制度が開始して、本人の選択に基づくサービス利用を市町村がしっかりと見定めていくことで、「自立生活」に必要な支援の質や量などがもっと明らかになっていくのだろうと期待していたところです。とくに知的障害のある方については、入所施設ではなく地域で、一人ひとりの意思が尊重された生活の実現をめざすことが施策として進められようとしてきたところです。今回提示されたグランドデザインによる改革は、ここまできた日本の福祉を前進させるものでなければならないと、強く思っているところです。

◇福祉と雇用に分断された就労施策

星野 神奈川県小田原市及び隣接の二宮町に知的障害者の入所授産施設と通所授産施設を2つ、計3つの施設を運営しています。この2月1日に入所施設の定員を50名から40名にして、10名を地域生活に移行し、グループホームを7か所に増やします。4月からは神奈川で初めての就業・生活支援センターを始める予定ですが、今日は障害者の就労問題を中心にお話ができたらと思っています。

障害者の就労施策は、福祉と労働に分断され続けています。たとえば養護学校を卒業するとき、福祉事務所に行くのかハローワークに行くのかで、その人の人生が大きく変わってしまいます。労働分野では、障害者の雇用率は1・2級の重度障害者をダブルカウントすると1.48%ですが、実質は1.08%です。また、養護学校の卒業生で就職につながった人は19パーセントで、福祉施設に入所する人たちが70%を超えています。一般の労働市場もむずかしい時代ですから、障害者はなおむずかしい時代です。

企業への就労の支援策は短期・有期限のものばかりで、一定の期限が過ぎると失業するという実態もあります。一方、福祉での就労を担う授産施設は、5つの法律に基づいて15種類に分かれ、複雑多岐な形態になっています。地域偏在と、施設の機能も混乱状態で、そのうえに資源が不足していますから、小規模作業所がどんどん増えざるをえなくなっています。

私どもセルプ協では、平成11年度、12年度の2か年、施設を利用している障害をもっている方々の実態調査を行いました。三障害を共通して、5割ぐらいの人たちが働きたいと思っていますが、家族の7割近い方々は無理して働かなくていいと思っています。働くという気持ちが、年齢や長期間施設を利用することで年々薄くなっているという事実もあります。この実態調査を踏まえて、13年度と14年度に、我々の社会就労センターの方向性を打ち出しました。その議論の中で、施設で長期に働いても雇用になかなか結びつかないという実態がありますが、「働いている人」ときちんと位置づけ、労働者性という言葉で働く権利の保障を明らかにしていこうと結論を出し、歩み出そうとしたときに、今回の機能体系の見直しが始まったわけです。実態は、障害をもつ人たちの多様な働き方をきちんとつくっていくことまでに議論がいっていないと思います。

◇遅れている精神障害者施策

藤井 わが国の障害者施策にあって、最も立ち遅れが著しいのが精神障害の分野だと言われています。大塚さんは現状をどのようにみておられますか。

大塚 私は立ち上げたばかりの精神科の診療所で、精神保健福祉士として相談援助業務をしています。母体である練馬にある精神科病院で12年間、リハビリ病棟での社会復帰や退院促進、外来の相談援助業務をしてきました。それ以前に身体障害者の授産施設に勤めていたので、身体障害や知的障害をおもちの方がずっと精神病院にいることによって、より障害が重度化し、不適切な医療や処遇を受けているという問題に遭遇して、重複障害の人たちへの援助を心がけ、中でも聴覚障害者の精神保健福祉を専門分野に取り組んできました。また、東京の練馬で精神障害者の地域生活支援センターをつくる運動をさまざまな立場の方々と地域づくりという視点で行ってきました。なお、今日の発言は個人的なものとご了承ください。

「精神障害者」と法的に言えるようになったのは、1993年からですが、医療機関に身を置く私は、それ以前の精神医療がつくってきた問題の深刻さと大きさをまだ打ち破れないのが現実だと強く感じています。いまや国民の5~6人に1人が精神疾患にかかっていくだろうと言われていますが、精神医療の敷居の高さは、今までの精神医療の歴史がつくってきたものだと思います。

今後、三障害統合という横並びの形になるとのことですが、まだスタートラインに立てていないというのが実感です。保健医療に福祉が取り込まれている精神保健福祉法が大きな問題を生む源だと思いますが、福祉の問題というより医療政策の問題が非常に大きいと思います。早く、一般医療の中に精神疾患をもつ人たちの医療を受ける権利がきちんと保障されていくべきです。閉鎖性が強く、点検システムが弱いことにも伴う精神医療の質の低さ、精神科特例に象徴されるようなマンパワーの問題、情報公開のあり方、人権擁護の問題など、精神障害をもっている人たちが病院の中に隔離され続けているところからは、福祉の需要も見えてきません。

手帳制度にしても、写真の問題ですとか、実際に使えるサービスが少ないということなど、ほかの障害に比べて遅れていると思います。精神障害というレッテルを貼られてしまうことへの不安から取得率が低いという問題も大きいと思います。

一番大きいのは、社会的入院の解消という課題です。10年間で7万床相当の減少と病床数に踏み込んで書かれましたが、病床機能転換により病床とは呼ばれない形で長期入院者問題が形を変えて残る危険性もあります。精神病院が巨大な病院のまま存在し続けるとしたら、障害者福祉の中での精神障害者の対策はずっと遅れをとっていくだろうと思っています。

◇生活の困難さと障害認定の問題

山本 私は全国筋無力症友の会に所属していますが、最初に今回の発言はあくまでわたし一当事者の発言であることを確認しておいていただきたく思います。私自身、筋無力症の当事者です。4歳ごろから症状があり、高校ぐらいで消失したのですが、25歳で再発しました。難病ということで、私の場合、かなり症状に波があるので障害認定が受けられないという問題を抱えています。

私は25歳で再発し、社会復帰していこうと考えたとき、医療面は難病ということで医療給付事業がありましたが、生活面の支援を何とかしていただきたいと障害者手帳を取ろうとしても、なかなか取れませんでした。それはなぜかと勉強している最中ですが、JDの障害の定義・認定のワーキングループで、難病だけではなく、自閉症やアスペルガー症候群、高次脳機能障害などで社会的に生活の困難さを抱えているにもかかわらず、障害者手帳が取れない方がたくさんいるという報告を受けて、今の手帳制度がADLの自立に偏っていて、機能障害や欠損といった一部の障害認定項目に偏っているのが原因なのだとようやくわかってきました。

社会生活を送るうえでの困難さを加味した認定制度になっていないのと、さまざまな福祉的サービスに手帳要件が課せられていますので、手帳が取れないと支援が受けられないという現状をなかなか打破できないでいます。私の場合は、就労に制限がかかりまので、家督能力の減退がありますが、福祉と労働の連携がうまくいっていない原因もあって、就労の制限が障害認定項目に反映されない現状があります。

グランドデザインの評価―理念面では評価―

藤井 それぞれの立場から、現状と問題点をお話いただきました。ごく象徴的な話であり、本当はもっともっと問題点があろうかと思います。さて、本題のグランドデザインですが、各団体の主張が反映されている点、また各地の実践が活かされている点、つまり評価できる事柄と問題点があるように思います。今後の審議や検討の中で、評価できる点をいかに伸長させ、問題点をいかに好転させていくか、こうした視点で対応していくことが大切なのではないでしょうか。そこで、まずは評価できる点から述べていただけますか。

大塚 積極的に評価できるのは、理念的な面だと思います。精神障害領域は障害者の仲間入りをしているという実感をしっかりとはもてていませんので、統合化はうれしい方向性だと思っています。障害者の制度は財源問題に端を発して、ひんぱんに変わってしまいますので、きちっとした形で継続していくことが望まれるべきだと思います。

もう一つの評価は、自立支援型システムへの転換です。特に精神障害者は地域の中でコンフリクトを受けることがたくさんあります。新しい法律、新しい制度ができたから、サービスを開始しますと手続きから入っていくと厳しい壁にぶちあたりますが、ごく普通にたくさんの人たちが集まっている中に精神障害の方がいますと、垣根がとても低くなります。そういうところでは、地域の活性化が精神障害者の施策を変えてくれる大きな後ろ盾になっていくと思っています。理念が本当に実行性を伴ってきちっと具体化されていくのであれば、すばらしい方向性だと思います。

山本 評価できる点をと聞いたとき「はて困った、どこを評価しようか」と探しました。10月12日に発表されたグランドデザインの時点では、総合化がかなり前面に出ていたことと、市区町村にある程度権限が委譲していく面については、機能として果たす施策を構築できるかどうか疑問点がいくつかありますが、理念的には評価できるのではないかと思いました。しかしそれには前提があって、市区町村に権限委譲させる場合、きちんと市区町村が決定した実費分に予算措置がされること、難病などの谷間の問題について具体的な施策がされることが前提になります。厚生労働省から今回の法案に難病は含まれていないという説明を受けていますが、谷間の問題を早急に対応すべきだという認識は、政治の場や多くの障害者団体共通の問題意識として共有化されつつありますので、国会を通過する段階でどこまで実を結べるかだと思っています。

星野 三障害の福祉サービスを一本にするということでは一歩踏み込んだという評価はあると思います。大切なのは、福祉サービスを必要とするすべての人を対象として、障害を総合的に見る視点を前提にすべきで、もう一歩きちんと向かい合う方向性をつくらなければいけないと思います。

自立支援型システムへの転換では、保護から自立支援、自己実現、社会貢献という言葉が並び、その仕組みづくりを進めるとなっています。そのために必要なのは所得保障であり、住まいの場の確保であり、マンパワーを含めた支援です。そこが抜きになったら、ちょっと待てよとなります。また、持続がきちんと担保されることが費用負担につながってきたという意味では、しんどい現実が出されたという感じがあります。

働くことへの支援も、一歩踏み込んだと思います。雇用支援の方向性も議論されました。本当に福祉行政と労働行政が一体となって進むのであれば一歩と言えるのですが、踏み込んで議論してみると、相変わらず分かれていると感ずるのは残念です。

全体的には一歩踏みこんでいるのですが、この話が基礎構造改革の議論の延長できちんとされるのであれば違った方向に行ったのではないかと思います。支援費制度は、あんなに慌てないで、機能体系と財源をきちんとしたうえでスタートすべきでした。ところが制度をスタートした後で体系を考えると、今度は金がないという話が先行してしまう姿が、積極的な評価にならないところではないかと思っています。

赤塚 社会福祉基礎構造改革の理念についてもそうでしたが、今回示されたグランドデザインにおいても、今まで障害者福祉施策が取り残してきた、あるいは支援の中で作り出してしまったともいえるさまざまな課題を積極的に見直し改革していこうとしているところが評価の第1番目です。障害の認定範囲であるとか、入所施設や通所施設についての課題、ライフサイクルを通した安定した相談体制の必要性などいろいろありますが、それらは、私たちが繰り返し課題として提起してきたことでもあります。

グランドデザインの基本的な視点に示されたこと、「障害者福祉施策の総合化」を図り、「市町村を中心に」「自立支援型システムへの転換」を図って支援していくことについて、これは、方向性として評価できると思っています。「自己実現」や「社会貢献」という言葉もみられます。「安定した制度としての重点化、公平化、効率化、透明化」もこのこと自体は重要なことであるだろうと思います。「年齢、障害種別を越えた」三障害の統合についていえば、総合化という中で、福祉サービスを必要な人に必要なときに提供する状況をつくっていく方向に進んでほしいし、そのような期待を込めて評価しています。ですから、方向性もここに示された文言の範囲では評価できると思います。

しかし、その文言にあることがどのような意味で捉えられているのか、それをどのように施策の中で実現していこうとしているのか、ということが重要です。「自立」の概念、「公平化」「効率化」とは何かなど、この中味の共有化が必要です。私たちが支援実践をしながら検証してきたことと一致したものであってほしいのです。また、こうした理念や方向性を現実化していくためには、現行サービスを受給しながら生活しているたくさんの障害をもつ方たちがいること、そのご家族もいるし、仕事として関係している人たちもいることを忘れてはならないと思うのです。急いではいけない大きな仕事であり、今回のスケジュールをみるとそうした点で不安感にとらわれます。

グランドデザイン案の問題点

藤井 こうして伺っていますと、民間の実践や事業、また運動を通して要望してきたことなどが反映している点も少なくないように思われます。一方で、問題点や課題もたくさんあるのではないでしょうか。いかがですか。

◇残る「障害の谷間」の問題

山本 まず各個別の問題点に入る前に全体としての大きな問題点を二つ挙げます。一つはグランドデザインで書かれた文言、理念と具体的に出されつつある施策の乖離が大きいこと。もう一つはあまりにも性急にスケジュールが組まれすぎていると思います。実際生活し利用している当事者や実施現場である市区町村との一方的な意見を聞く場だけでなく、協議は十分されたのか非常に疑問に思っています。このような問題は運営上の制度設計にもあらわれています。サービスの支給決定の際に、「こういった生活がしたい」といった当事者の協議への参加が十分に保障されていません。認定審査会や障害程度区分で杓子定規に画一的な基準のみでは、実際の必要な生活は計ることができません。生活する現場からの乖離も目立ちます。

個別の問題であれば、グランドデザインが総合化をめざしたにもかかわらず、難病、慢性疾患、高次脳機能障害も含めて、谷間の問題は積み残しになっていますので、早急に対応していただきたいと思います。

自立の定義も議論が必要です。自立の定義はかなり明確に打ち出されましたが、グランドデザインでは何でも自分でできるようになることが自立であるという言い方をされています。必要な支援を利用しての自立であったはずのものが、本人の機能障害に帰結していく訓練が重視されるような自立とされるのであれば、明らかに理念の転換であって、30年前に逆戻りするのではないかと危惧しています。

移動介護に関しては、個別給付から各市区町村の実施事業に移るとも言われていますが、個別性があって当然の社会参加を促進する基本的な福祉サービスの一つであるはずです。難病がなぜ障害認定をされないかというと、社会生活上の困難さが十分に反映されていなくて、社会生活を送るうえでの支援がないのが問題になっているわけです。その重要な支援をどんどん後退させるような方向に向かっているのではないかと危惧しています。移動介護に関しては、個別給付にしていく必要があると思います。

市区町村に権限が委譲しつつあるのは評価できると思いますが、市区町村が「支援が必要である」と判断してつけた予算に国が2分の1の支援をするグランドデザインではなく、事前に国で障害程度区分を決めて、その範囲の中でしか予算配分をしない仕組みとなっているようです。難病など一律の基準で計れない人たちは、現場の協議の場でどういった支援が必要か話し合われて、支援を決定していかなければいつまでたっても谷間の問題は解消しません。市区町村が生活現場を見て、協議の場で決定した支援にも国が2分の1の予算をつけることを明記していただきたいと思います。応益負担、扶養義務も、強化の方向に向かっていると受け取れます。

◇どうなる障害程度区分、評価尺度

赤塚 具体的に知的障害のある方の支援ということでみますと、障害の程度によって利用できるサービスが決まる区分けがあるようです。たとえば、住まいはケアホームとグループホームなどに分けられ、雇用対象者かどうかで日中利用する事業も違ってきます。しかし、この区分けは、だれがするのでしょう。雇用についても、ジョブコーチ事業の導入や、生活と就労を一体的に支援する事業が制度化されたりして、支援の仕方によって雇用就労は無理であるとされてきた人たちが生き生きと働く状況がつくられてきました。グループホーム利用についても、一人暮らしの実現についても同じことが言えます。障害のある人たちについて、その人を最初から「何々は無理であると決めつけてはならない」という教訓です。こういう丁寧な支援が引き続き可能なのかどうか、不安を感じます。

こうしたことと関連して、移動介護に関する変更も大きな問題です。知的障害のある方たちは、支援費制度導入後に移動介護の利用が飛躍的に伸びて、家族から独立した存在として社会に参加していく土壌ができたと考えていました。支援費制度の仕組みがもっとも望ましい形なのかの議論はあるにしても、今回の改正が、社会に生きる芽をつぶすことになってしまはないかと懸念しています。

ニーズ評価する尺度の設定についても、同じような理由でその決定の基準や決定の仕方に不安感を持っています。障害程度区分は施設内での程度の区分でしたが、今回のニーズ評価尺度は、地域での生活におけるニーズの尺度です。現在作成中と聞いておりますが、この難しい課題をどのように設定するのか、これは提示されてから意見を申し上げたいと思います。

今回の改革では、定率の利用負担制度への変更に加え、施設利用などにおける利用者負担の増加も示されています。こうしたことも、適切な利用に結びつくのか反対の結果をもたらすのか、みえないままに進められているように思います。

◇なお課題残る、精神障害分野

大塚 今回のグランドデザインで評価をすべき大事な点は、「良質な精神医療の効率的な提供」の文言が入ったことです。「良質な」とうたったのであれば、その質を問える基準をきちんと記さなければいけないはずですが、権利擁護機関の置き方、医療審査会への当事者や権利擁護を担う人の参加などが盛り込まれていないのは非常に弱いと思います。看護師さんと患者さんの割合は、措置入院を受け入れる病院については3対1と踏み込みましたが、医療保護入院については触れられていませんし、医者の配置数については外れてしまって、良質の「良」の認識がずいぶん違うという思いがあります。

精神障害者は病状としての障害特性があって、医療従事者は悪いときの状態でその人の生活能力を判断しがちな傾向がありますが、安定しているときはすばらしい可能性を持っています。そこを継続してみて、伸ばしていく支援のあり方についてはあまり触れられていません。なぜ触れられていないかと言うと、体験するシステムがないのです。就労の話も、本人の希望でチャレンジする、体験することがあっていいと思います。その体験の中で可能性を引っ張り出していくことが、質の高いスタッフの仕事だと思っています。また、精神障害の多くの方が生活保護を受けているという経済状況があり、退院が決まらないと住居は設定できないのですが、体験宿泊をしてみると、医師や看護師が驚くほど「できるじゃない、すばらしい」となる人がいます。就労も住まいも生活も体験する場、練習する場を福祉サービス化していく発想を持っていただきたいと思っています。

また、精神障害者は保護者制度がたいへん厳しいという状況があります。当事者と関係者団体は医療保護入院制度撤廃をずっと言い続けていますが、実際、保護者の負担がたいへん大きいために、家族と障害をもつ方の縁が切れているケースが多数あります。入院の保護者に自治体の長がなっていて、ご本人を知らないものが判を押して入院を継続させられていることも含めて、保護者問題を解決しないと前に進まないと思います。費用問題も含めて、本人の所得、本人の意思を中心に据えないことには逆行するのではと思っています。

もう一つは公平性です。保険になると公平、税金で行われている福祉は不公平という感覚を持っているのかもしれませんが、サービスを利用する障害者の方々がなぜ負担できない現状にあるのか、国民に理解してもらう政策を先に行わないで、公平・不公平の話が感覚論で進んでいる気がしています。精神障害者の所得保障の問題をきちんとしていかないと、サービスを受けることを制約していく方向に進んでいくと思っています。地域偏在が激しいことも問題です。精神病院や精神障害をおもちの方が少ない地域は遅れをとっています。市町村でという方向は間違っていないと思いますが、市町村にサービス提供の体制整備を強いることが、ニーズ把握や計画策定の力が不足する地域においては、提供できるサービスを逆に縮めていってしまうのではないかと危惧をしています。

藤井 具体的には、まだ仮称ですが「障害者自立支援給付法」などといった実体法の新設や市町村の義務の明確化などは重要であると思いますが、その辺はいかがでしょう。

大塚 本来は障害者福祉法の統合化が先にあるべきだと思っています。先に具体的なサービスについて検討が進められるために実体法が動いていくことについては、危なさがたくさんあると思っています。精神障害者の場合、生活者として地域に根づいていくためには、サービスを受ける前提としての支援が先に必要です。それが医療モデルのリハビリテーションという形で、福祉サービスとして言われてきていないので、前提から検討し直すことが必要だと思います。生活モデルの視点に基づき、精神障害者福祉を法的にきちんと検討する作業を抜きに、いきなり生活自立支援サービスや、介護だけが統合化されていくことについては、障害程度認定等々の問題を含めて、精神障害者本来のニーズにどれだけ対応できるかと心配です。

もう一つは、波が激しくて安定度が低いという障害特性がありますが、精神障害に対する福祉施策のほとんどがハードの単発のものが多く、継続性の保証がしきれていません。ニーズの掘り起こしやご本人たちの社会参加へのきっかけづくりといった福祉のサービスが、これから考えられればいいなと思います。

藤井 精神障害分野のもっともシンボリックな問題として社会的入院問題があげられますが、今般のグランドデザインで展望が開けそうですか。

大塚 平均残存率と退院率を数値として出したことは、少し踏み込んだと評価できますが、地域偏在を解消するような診療圏域の問題とか、地域の中で暮らしている人たちが気軽に受けられる救急体制の問題には触れられていません。それと退院促進支援事業が予算化されていますが、長期の社会的入院患者さんたちは、社会生活のイメージが持てなくなっている「浦島太郎さん」がたくさんいます。外に連れ出してイメージを回復させていくような支援への予算の裏づけは書かれていませんので、かなり厳しいだろうと思います。

◇「働くこと」を広くとらえた施策を

星野 企業で働きたいと願う障害をもつ方々の支援策がもっと充実されるのは大事ですが、そこだけを取り上げて、働くことを願いながら雇用につながることが難しい方々の対応を逆に重視しない雰囲気を感じます。福祉工場の拡大という言い方で、就労継続支援事業があります。雇用を前提としていますが、まずは、仕事がきちんと確保されなければ成り立ちません。福祉工場が増えないのは仕事の確保が難しいからです。官公需の優先発注など少しずつ手立ては出ていますが、民間企業から仕事が流れてくるような施策はありません。雇用という契約できちんと仕事を確保し、労働法規に適用された権利保障をされるかというと、大きな難しさがあります。

次に企業就労につないでいくための就労移行支援事業がありますが、大きな課題として企業の地域差があります。今春卒業予定者の就職内定率のデータを見ても、産業が活発だと言われている東海地域では58.8%、北海道では14.7%と、地域差がはっきりしています。その実態をきちんと見据えてほしいと思います。また、就労移行支援事業に入っていても、就職できない人たちはどこに行くのか、可能性を踏まえた受け皿をつくることを要求しなければならないと思います。雇用施策を重視すると言っても難しいのは事実です。労働能力評価という言葉は出てきていますが、どんなニーズがあるのか、どんな状態の人たちがどれくらいいるのかをきちっと踏まえる作業がおろそかになっているのではと思います。

一方で、競争を主とする企業で働くことを選ばない人もたくさんいます。企業で働いてダメージを受けて離職をした方もいます。企業で働くことを望まない人たちはどうするのか。ILO99号勧告を日本も批准していますが、そこでも必要とされている保護雇用が成立していない。我々が求めてきたそこの部分をきちっとして、働く視点をもっと広げていく。障害者基本計画では、「障害者が能力を最大限発揮して働くことによって、社会に貢献できるよう、その特性を踏まえた条件の整備」「障害者の働きやすい、多様な雇用・就業形態の促進」「働く機会の支援、環境づくり」といいことを書いていますが、実態は働くことを狭くとらえすぎていないかと思います。

もう一つは、雇用に結びつかない障害の重い人たち、でも働きたいと願っている人たちが、必要なサポートを受けて働く場所がはっきり見えません。授産施設の9万人近い人たち、小規模作業所の8万人ぐらいの人たちの行く場所をどうするかが重要です。グランドデザインの6事業に入り込めない人たちはどこへ行くのだろうと思います。

「グランドデザイン」とは言えない!

藤井 だいぶ問題点があげられましたが、共通の認識の一つとして、果たして「グランドデザイン」になっているのだろうか、こんな素朴な疑問が出されたように思います。逆に言えば、どの点で決定的な要素が欠けているのか、これについてはいかがでしょう。

山本 グランドデザインというからには、総合化を真にめざすべきだと思います。その点で、難病、高次能機能障害、発達障害と言われる障害者基本法の付帯決議に盛り込まれた人たちがしっかり制度上にのっていないという点ではグランドではないと思います。

赤塚 グランドデザインであるからには、今回改革される障害保健福祉施策とその他の関連施策を利用することで、生活支援の全体像が見えるものであってほしいと思いますが、それがよく見えません。障害のある子どもをもっても、自分や家族が障害をもっても、こういうサービスをこのように利用すればいいのだという安心感につながるグランドデザインであってほしいということです。

一部介護保険との統合を視野に入れる、他施策とのバランスに配慮するということに重点をおいているようですが、グランドデザインにはもっと他の要素も必要なのではないでしょうか。たとえば、ライフサイクルを通した支援についてですが、社会保障審議会障害者部会の「中間的なとりまとめ」にはこれが入っていましたので期待していましたが、それがありません。他施策との関連でも、一人の人を中心に必要な他施策も含めたケアサービスの提供を支援する事業をより重視していく必要があると考えています。旧障害者プランで誕生した市町村障害者生活支援事業や障害児(者)地域療育等支援事業のような身近なところでの相談支援事業の実施が市町村などに任されたままです。サービスにつなぐ仕事、サービスを作り出していく仕事、権利擁護の仕事がもっと重視されていく必要があるのではないかと思います。ライフサイクルをとおしてこの相談支援の事業は重要だろうと思えるし、グランドデザインにもっとしっかり位置づけてほしいところです。

大塚 グランドというよりは、部分的なところにとどまって、障害者施策全体ではなくて、サービスの仕組みの問題に限局されていると思います。理念はそれぞれの団体が主張してきた経過を盛り込んでいますが、裏にあるところが見え隠れしていて、最後に福祉施策の議論から国民全体の信頼を得られるようなところに急に矮小化されて、グランドではなくて、グラグラしているという気がします。所得保障政策はきちんと検討されていないし、費用負担、応益負担の議論の進め方など、もっていかなくてはならない方向に合わせて無理にまとめているという気がします。

星野 相変わらず、サービスを受けようとする時の最初の相談窓口、ケアマネジメントシステムについて、厚生労働行政がきちんと一体化していない。相談支援の窓口は、地域障害者就労支援チームとサービス調整会議と2つに分かれています。相談は、最初の受け皿はどこで受け止めてもワンストップになるべきだと思います。

事業形態を見ていると、個別給付、義務経費化があり、一方で地域生活支援事業は市町村だという。同じサービスで種類の違いだけなのに、財源を分けるのはなぜなのかも含めて、市町村によって格差が出てくるものをなぜつくらなければならないのか。サービスを受ける側には分けられる必要は何もないわけで、その辺をきちんとしてほしいと思います。

赤塚 障害のある人への支援の総合イメージという点で、グランドデザインとしては不満があるのです。これが、わが国の社会がめざす到達点を見据えた中でのグランドデザインなのか、そこに至るどこかの段階までのデザインなのか、これもよく分かりません。私たちは、将来の日本がめざす福祉社会の姿を語りたい、そこに向けて力を合わせたいと思いながら仕事をしているのです。

定率負担(応益負担)について

藤井 せっかくグランドデザインというのですから、所得保障制度確立や障害の定義や認定制度の改訂が入っていないなどは、決定的な弱点です。最も重要なことが抜け落ちているという点で、グランドデザインに値するかどうか、疑問です。

全体としては、深刻な財政問題が暗い影を落としています。この点で、最も象徴的なのが、応益負担導入を明言したことではないでしょうか。主要な施策を国や自治体の責任で実施するという、いわゆる義務的経費という財政の仕組みをとることになったのですが、これとの交換条件で応益負担を導入しなければならなくなったものと推測されます。厚労省は応益負担という表現を「定率負担」と置き換えていますが、実質は変わりません。私たちの思いとしては、グループホームを利用してぎりぎりの状態で地域生活を維持することが「益」なのでしょうか、疾患と障害を併せもつ精神障害やてんかん、難病にある者が医療受診することが「益」に当たるのでしょうか、深い疑問が残ります。経過措置は講じられるとはいいますが、介護保険の自己負担分が2割、3割に引き上げられた場合に、一緒に引き上げられていくのでは、考えればいろいろと不安が拭えません。働く場を含めて費用負担が増していくという、この応益負担についてどう思われますか。

星野 会社に働きに行って、利用料をとる会社がどこかにあるかという話で、とても納得できる話ではありません。人的サービスを受けるからと言われても、それはその人にとって必要な支援です。グループホームも、地域で暮らすための場所の提供だとしたら、それを支える仕組みも含めて、なぜ利用料が必要なのかわかりません。授産施設は働きに行くのになぜ利用料が必要なのかと利用者からも追及されていましたが、そこを乗り越えて、解決策をつくらないといけないと思っています。

大塚 現場で仕事をしていて痛切に感じるのは、診療所はたくさんできましたが、コメディカルスタッフを置いているところは必ずしも多くないことです。福祉制度の情報を提供する役割を持っている人間がいないので、私どもの診療所にも公費負担制度を知らなかったという方がたくさんいらっしゃいます。必要な情報すらまだもてていない通院患者さんたちが少しでも利用費を少なくしようとして、適切な医療を受けなかったり、または中断したりすることがたくさんあるのは、たいへん大きな問題です。

もっと言えば、所得保障がきちっとなっていない中で、応益負担の問題はあるまじきだと思っています。個々の選択で豊かな生活を望むときの応益はあってもいいと考えますが、ノーマライゼーションのレベルでいう普通の生活を送れていないという差別状況を禁止する法律がない中で、人として相応の生活をするところまでは「益」ではないと思います。

藤井 難病も、影響があるのではないでしょうか。

山本 当たり前の生活をするために保障されるべきもので、「益」でないことははっきりしていると思います。そのうえで、払えるものは払っていくという過程を経ることで、障害者が恩恵的にサービスを受ける状況を打破していくことは必要だと思います。その際は、絶対に所得保障の問題を解決するという手順があっての話です。今回は、所得保障に関してまったくセットで論議されていないので、問題外だと思っています。

赤塚 昭和40年代、50年代の話ですが、脳性まひという障害をもつ方たちが自立のためには「自分の財布を持つこと」が必要なのだと訴え、所得保障制度確立の運動に取り組みましたね。稼働能力がないからサービスを提供してもらって生活するというのではなく、所得保障制度の中で自分がサービスを利用し、それに必要な負担はしていくのが筋なのだという考え方です。この所得保障制度は、国民年金の障害基礎年金受給という形になりしたが、同時に制度化された特別障害者手当がこれに加わっても、独立した生活を望んでも賃貸の住宅費まで出すには十分な額ではなく、自治体の手当類はあっても自治体間の格差が大きいのが実態です。今回、1割という定率の利用負担が提案されているのですが、人間として基本的な生活を送るために必要な福祉サービスを利用するのに、上限が設けられているとはいうものの、利用した量に応じた負担の導入はどうなのだろうかと考え込んでしまいます。人間として生きるために必要な福祉サービスを提供することについて、国の姿勢が問われているように思います。

藤井 そうですね。結局、本人がサービス利用を我慢するか、もしくは家族に負担が及んでいく、そんなふうになっていくのではないでしょうか。たしかに厚労省の案では、単純な応益負担ではなく応能とのハイブリッドになっています。利用者の所得水準を生活保護受給者・低所得者1・低所得者2・一般と4つの階層に分け、低所得者には配慮をすると言っています。しかし、世帯同居者の収入を含めるとなると、実質的にはその多くが配慮の及ばない「一般階層」に属することになるのです。図柄では4つの階層が均等に存在しているように見えますが、これは錯覚というものです。今言いましたように、家族同居が大半の知的障害者を中心に、実質は1割負担の影響を受ける「一般階層」がほとんどということになるのではないでしょうか。

最終局面への注文と要望

藤井 今後、法律が国会上程されますが、関係法を含むと改正法は多岐に渡ります。さらに障害程度区分に関わっての政令や省令、実施要綱の作成が進められていくことになります。まだまだ、注文や要望を出せる余地があろうかと思います。これだけは何とかしてほしい、これだけは言っておきたい、これらについてお話していただけますか。

赤塚 移動支援の変革は大きな問題です。一部、個別給付となりましたが、対象は限定されているようですね。支援費制度の中で確立されてきた知的障害の方たちの移動の支援は、自立に向かう支援として、しっかりと位置づけたいところです。利用者負担の定率制度への移行については、所得保障制度の見直しを先行させてほしいところですが、その時間がないままにこの改革が実施されると、利用者の利用負担増は免れないところです。適正な、生活が成り立つ決定になりうるのでしょうか。

また、どのようなことでも相談できる総合相談の窓口と障害者ケアマネジメント制度を確立し、事業が展開できる状況が生みだされなければなりません。権利擁護事業が機能していく状況をつくるためにも必要です。それから障害程度の尺度の決定については、提示されてからの話ですが、当事者も含めてぜひ多くの人の意見を聞きながら生活ニーズを反映したものになっていってほしいと思います。

しかし、スケジュールをみますと、果たしてこのスケジュールで混乱なく実施できるのかということが懸念されます。改革の手順をしっかりと考えて進めていかなければならないし、5年という期間を重視しすぎずに、慎重に、利用者にとって意味のある現在より質の高い利用しやすいサービスや事業を作り上げていくことを重視すべきと思います。

星野 繰り返しになりますが、我々の場での所得保障で言えば、基本的には仕事の確保、雇用も含めた施策を抜本的につくりあげてほしい。官公庁では少しずつ広がりつつありますが、企業の仕事が流れてくる施策、具体的には税制優遇とか、本当に必要なところで見なし雇用制度を含めた労働施策がぜひほしい。

費用負担の話で言えば、雇用契約という形態での利用者負担はなじまない。さらに生計をひとつにするという負担能力の勘案の話がありますが、本人の所得に限るとしなければならないと思います。もう一点は、障害者が働くという場合、支援があって働ける人、支援があっても限定的な働きしかできない人、働きたい意思があっても通常の働きに届かない人といろいろなタイプがあります。働きたいと願っても、障害が重くて雇用につながらない人たちが、毎日安心して働ける場をきちんと位置づけなければならないと思います。

さらに、審査会には、障害についてきちんと理解ができる人が入れる仕組みを作らないといけないと思います。また障害者の労働能力や適職、仕事などの理解をもった人たちが入るのも必要ではないかと思います。

山本 難病などの慢性疾患、その他の障害を含めた真の総合化を実現すべきだということと、そのためには一律の障害認定基準や程度区分では計れない部分が必ずありますから、更生相談所、障害者職業センターや主治医、当事者の意見を踏まえて、市区町村の協議の場で支援が必要だと決定したことに対して、国が予算をつけることをしっかりやっていただきたいです。また、一律に当てはまらない部分に対して、補完するシステムを早急につくっていただきたいと思います。

大塚 今回示されている居住サポート事業に期待するところですが、社会的入院の解消を推し進めるためにも、福祉施設ではない、住まいの対策を打ち出してほしいと思います。保証人がいなくて使えないことがとても多いので、公的保証人制度のようなものを各自治体で義務づけることをしていただきたいし、居住資源や社会資源の数値目標と何年までに達成するのだという整備目標を盛り込んでほしいと思います。それから相談援助体制と合わせて、ケアマネジメントの体制整備をきちっとしていただきたい。また、医療保護入院の問題に関する現状把握と対策を早急に着手していただきたいと思います。

藤井 グランドデザインについては、精神障害分野の関係者の間では賛成が多いようですが…。

大塚 一つは、総合化・一元化の中で遅れを取り戻したいというのがかなり大きな要素だろうと思います。精神保健福祉法の解体が難しいのだったら、グランドデザインで何とかできないだろうかという焦りというか、そういうものも大きいと思います。

障害者施策のあるべき方向を見据えながら

藤井 こうしてみていきますと、グランドデザインと銘打ってはいるものの、これで立ち遅れているわが国の障害保健福祉政策が一挙に大きく変わるとは思えません。わたしたちは引き続き、向こう10年、20年、中長期の展望を持っていく必要があります。最後になりましたが、福祉分野を中心にわが国の障害者政策の近未来像をどのように描いたらよいか、この点についてお聞かせください。

赤塚 私は、介護保険の活用に反対というわけではありません。条件が整えば、将来的には、必要な人が必要なときに必要なサービスを利用する共通ケアサービスと、障害者特性から生じる必要なサービスが提供され、これを組み合わせて利用する状況が望ましい姿であると思っています。しかし、条件が整えばという話です。その一端を申し上げてきましたが、今回のような忙しく迫られるような状況下ではなく、そのための議論を先にしたかったというのが本音です。そういうことであれば、施策の内容も、そこに至る手順も少し変わっていたかなと思うからです。

今後の障害者施策を考えると、障害のある人たちが、一人の人間として自信をもって生活できるような状況をつくることに邁進すべきと考えています。邁進というのは、幅広い取り組みが必要だと思うからです。

障害のある人たちを特別視する社会環境がまだ残っています。障害のある子どもには、できるかぎり制約がない環境の中で、障害のない子どもたちと一緒に育ち学び、生活していく環境が必要です。働くということについても、そうです。社会の一員であることを実感しながら生活できる環境を用意していくことが必要です。これに連なり、貢献する障害者福祉施策のあり方をこれからも考えていきたいと思っています。

大塚 人間としての生活を保障するための住まいの場、お金を得るための政策なり手段、それから働く機会の保障という最低限のことを保障していくためにも、障害者差別禁止法はぜひ持ちたいと思います。そのうえで、できれば障害者施策は2階建てぐらいにして、障害種別、疾病、年齢に関係なく、共通部分についてはある程度施策化できる体制をつくり、そのうえに個々の評価をできるようなシステムをつくることによって、必要なサービスを受けられるようにしていく。制度のためには基準は必要だと思いますが、カテゴライズしないような体制の下での障害者施策がいいと考えています。

山本 何度も繰り返しますが、障害種別を越えた真の総合化をめざすべきで、その際には、生活上の困難さ、社会モデルに基づいた総合化をぜひ進めるべきだと思います。福祉は人間らしい生活を支えるものですから一律の基準では絶対くくれない部分があり、計れないものがあって当然です。数値化のみに依存した、人と人との協議、ソーシャルワークの敗北を自ら進めるような施策は絶対推進すべきではないと思います。財源ゆえにある程度の尺度は必要ですが、それを当事者参加が保障された人と人との協議、話し合いで補完するシステムとその分も含めた国の保障が必要ではないでしょうか。

星野 要は、一人ひとりの障害の状況、その生活をつくっていく条件整備に私たちが絡むことだと思います。働き方、その支援策という視点からいけば、厚生労働省は真の一体化を前提に進んでいただきたいと思います。所得、住宅、労働施策、そのほかに生活を楽しむという視点も考えて、今までの積み重ねをさらに上昇していく流れをつくっていくためにも、今お話したような条件をきちんと用意をする必要があるのではないかと思います。

藤井 審議会での議論、民間団体と厚生労働省との折衝という段階から、審議の舞台は国会に移っていきます。かつて「子ども国会」とか「女性国会」というのがありましたが、今度の第162回通常国会は「障害者国会」、そんな位置づけにしてほしいと思います。とにかく障害のある人々のニーズを基本に据えながら、あるべき方向を見失わないようにさらに力を尽くしていこうではありませんか。みなさんのご活躍を期待して、この座談会を終わりたいと思います。ありがとうございました。