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「ノーマライゼーション 障害者の福祉」 2005年4月号

1000字提言

パラサイト・シングルと障害者

土屋葉

「パラサイト・シングル」という言葉をご存知の方は多いだろう。学校を卒業しても親と同じ住居に住み、食事や洗濯などの基本的な生活の条件を親に依存、つまり寄生(パラサイト)する未婚の若者のことである。パラサイト・シングルと障害をもつ子どもは、親に「依存」しているという意味では同じ存在である、と言うと乱暴すぎるだろうか。

両者が似ているのは、第一に、かれらの多くが自立したいという欲求をもっていること。しかし第二に、自立を支える社会的な制度が整っていないということ。そして第三に、代わりにかれらの生活を支えているのは親であるということだ。パラサイト・シングルは、親に甘えてリッチな生活を謳歌していると見られることが多いが、自立の意思をもたないわけではない。いつかは自立したいと思いながらも、不安定な雇用、低い賃金、高い住宅費などが、かれらが家を離れることを妨げているといったほうが正しい。一方で、障害をもつ人も、いうまでもなく社会的な制度が整備されていない状況に置かれている。雇用状況の厳しさもあるが、同時に所得(経済的)保障がないこと、基本的には家族が担うことが前提とされているため、介助保障が整っていないことなどが挙げられる。

注意しなければならないことがある。障害をもたない若者にとって、自立は少なくとも選択の一つとしてある(生活レベルを落とせば家を出るという選択肢もありうる)が、障害をもつ人にとっては、これが容易な選択になるには至っていないということだ。また親も、非障害の子どもであれば無理やり家を追い出すこともできるが、そうでなければ扶養や世話をやめることは難しい。

この2月には「障害者自立支援法(案)」が国会に上程されたが、応益(定率)負担が明記されていることが議論をよんでいる。もしこれが実現すれば、サービスの利用量に応じて定率1割の利用料を負担することになり、利用者の経済的負担は増大する。家族と同居しており、自己負担分を払うのが困難な障害者の場合、主となって生計を維持する(障害者を扶養する)家族が負担を負う。自立の意思をもっていても自立できないパラサイトの障害者が増大し、同時に家族への依存も増すことはまちがいない。

親や家族による子どもの抱えこみや扶養は当たり前ではない。加えて、親は多くの場合、子どもよりも先に亡くなるのだから、「持続可能なシステム」でもない。より重要なことは、家族の資産や意思により子どもの生活の質が決まってしまうことだ。このような「不平等社会」を一体だれが望むのだろうか。そしてこの不平等は、障害者にとどまる問題ではないのである。

(つちやよう 日本学術振興会特別研究員)