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「ノーマライゼーション 障害者の福祉」 2005年5月号

文学にみる障害者像

エリナー・ポーター著 『少女ポリアンナ』

松本昌介

作者と作品について

作者エリナー(エレナー)・ポーター(1968―1920)はアメリカの女性で、この『少女ポリアンナ』は100年くらい前に出版されました。時代としては『あしながおじさん』『赤毛のアン』などと同じ頃で、少女向けの明るい作品が出た頃です。この作品は発売直後からベストセラーになりました。日本では、最初に弘中(山本)つち子が「パレアナ」として、村岡花子が「少女パレアナ」として翻訳し、その後何人かが翻訳し、映画やテレビアニメにもなりました。孤児のポリアンナがいつも明るく生き、どんな困難にあっても前向きに考えて乗り越えていくというお話です。

『ポリアンナの青春』はその続編で恋の芽ばえも描かれています。

この他にもポーターはいくつかの小説、児童読み物を書いていますが、この『少女ポリアンナ』が彼女の小説家としての地位を確立させました。

ポーター著、山本つち子訳の『デビド』(「ただデビド」JUST DAVID)という作品もあり、これは野上弥生子も「美しき世界」という題で翻訳しています。私はこの作品が好きで幼い頃からの愛読書ですが、与えられたテーマがポリアンナですので、ここでは省略します。機会があったらお読みください。

作品の概要

牧師の父が亡くなり11歳で孤児となったポリアンナは気むずかしい伯母に預けられます。近所づきあいもしないような伯母との息苦しい生活の中で彼女は明るく生きます。

この本のキーワードは、「喜ぶゲーム」です。どんな苦しいことがあってもその中に明るい話題を見つけて喜ぶ、そのことで目の前が開ける、そのゲームをポリアンナは父から教わりました。

いろいろな困難にぶつかった時、暗く辛い生き方をしている人に出会った時、彼女はこのゲームを自分で試み、人にも教えて乗り越えます。

やがて町じゅうがこのゲームを知るようになり、暗かった人たちも明るさを取り戻します。ある時ポリアンナは車にはねられ、脊椎を痛め、歩くことができなくなります。打ちひしがれた彼女のところに、彼女に励まされて元気になった人たちが見舞いに訪れます。彼女はゲームをすることを思い出し、自らを励まし、都会の医師の治療を受け、歩くことができるようになります。

これが『少女ポリアンナ』です。

『ポリアンナの青春』の舞台は田舎から都会ボストンに移り、町全体を見渡すことができない生活になります。今までのように町じゅうの人に声をかけ、ゲームを教えるということができなくなります。スラム街もお金持ちも共存する都会で、その矛盾を目の前にして生きていきます。そこに車いすの少年が現れます。生きる希望をなくした少年を彼女はゲームという手段で励まします。

作中の障害者

ポリアンナが歩けなくなったことを知った町の人たちは見舞いに訪れます。

「とにかくほとんどいきなりといっていいほどに、ハリントン屋敷に訪問客が押し寄せるようになったので、ミス・ポリー(伯母)はすっかりあわててしまいました。男の人、女の人、子ども――ミス・ポリーは、姪がどこでこんなにたくさんの人と知り合ったのかと、ただもう驚くばかりでした。」

なぜこういうことになったか伯母さんは訳がわかりません。見舞いの品は山と積まれ、ポリアンナに励まされて元気になったということ、その元気のもとがゲームにあるということをおばさんは少しずつ理解します。どんな苦境にあっても喜ぶことを見つけようというゲームが失意のどん底にあったポリアンナを逆に励ますことになります。

そのゲームというのは、いろいろな現象をプラス方向で考えよう、そうすればどんなものも輝いて見えるというものです。ピアノの音がうるさいと考えるのではなく、耳が聞こえてうれしいと考えてみようということで、亡き父に教わったのです。

このゲームで町じゅうの人が励まされます。長い病気で顔色も悪く、光を受けることも嫌がり、毎日カーテンを閉め切ったままで暮らしている女性が起き上がるようになったりします。そういう人たちの励ましを受けてポリアンナもまた元気になります。

作者の障害者観

この本が書かれた20世紀の初めは事故、病気あるいは先天的な障害によって歩行できない障害者に対する医療がまだ確立されていません。障害者に対する施設、病院などは宗教家、慈善事業家などがつくり始めた時期です。不運とあきらめるしかない時に、歩行できる可能性を信じて、いいほうにいいほうに考えていくポリアンナの姿勢は大勢の人を励ましたのではないでしょうか。

19世紀末から20世紀という作者の生きた時代のアメリカは、貧富の差、人種の差、そして性による差が極端に問題になった時でした。南北戦争が終わり、アメリカは急速に都会型、工業型の社会へと変わっていきます。その中で現れている矛盾がこの本の中で描かれています。

リボン売りの少女。「粗末なベッドに、欠けた水さしをおいた洗面台と、がたがたの椅子と、あとはあたしが入ったらいっぱいなの。夏はまるで暖炉のなかにいるように暑いし、冬は冷蔵庫のなかにいるみたいに寒いわ。」

ポリアンナの紹介でこの少女と知り合った資産家の女性は、それまで寄付をすることで自分を納得させていたのですが、本当の資産の使い方を教えられて、「働く若い女性の家」をつくります。車いすの青年を保護します。ポーターのそういう描き方には共感がもてます。障害者を一方的な保護の対象とだけ見るのではなく、彼らを意志を持った一人の人間として見ています。そして同情の対象だった人たちから逆に励まされます。ポーターも若い頃は病気がちだったということです。一方的な同情という見方ではなく、障害者の側からの見方をしていることは注目に値します。

ただ私としては「ゲーム」ということで世の中を明るく見ようということには、限界を感じます。ゲームでいいのかという疑問は残ります。

幼いころ母を失い、牧師の父は一人娘がしっかり生きていけるようにこのゲームを教えたのですが、父の教えは他にもあります。そのほうが私には印象に残っています。

最初の日に伯母が彼女に日課を示します。勉強、片付け、裁縫、音楽と日課が示されます。ポリアンナは言います。

「それじゃ、あたしにはぜんぜん時間がないわ――ちゃんと生きる時間が。」

「おばさんは、眠っている時だって息をしているでしょ。でもそれは生きているってこととは違うの。あたしは生き生きと生きるってことを言っているの。やりたいことをやるってこと。外で遊んだり、本を読んだり(もちろんひとりで)、おしゃべりするとか。それがあたしの言う、生きるってことなのよ。ただ息をしているなんて、生きていることにならないわ。」

その言葉のほうに私は魅力を感じます。

(まつもとしょうすけ 全国肢体障害者団体連絡協議会)

『少女ポリアンナ』
エリナー・ポーター著 矢口由美子訳、岩波少年文庫、原作発表 1913年

『ポリアンナの青春』
エリナー・ポーター著 矢口由美子訳、岩波少年文庫、原作発表 1915年