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「ノーマライゼーション 障害者の福祉」 2005年8月号

無年金障害者救済法の評価

特別障害給付金と無年金障害者解消運動の歴史

妻屋明

「重度の障害があり、生活に困窮しているのに障害年金がもらえない」

全国の仲間からこんな切実な声を受けて全国脊髄損傷者連合会(全脊連)は、1975年6月に初めて全支部を挙げて無年金障害者の解消運動に取り組み始めました。

それからちょうど今年で30年が経ちました。そして94年に衆参両院が「無年金障害者の所得保障については福祉的措置による対応も含め検討する」とした付帯決議を行ってから11年が経った今年4月、制度の谷間で取り残された、学生やサラリーマンの妻の無年金障害者、約2万4千人に特別障害給付金が支給される無年金障害者救済法がようやく施行されました。全脊連のこれまでの30年間にも及ぶ無年金障害者の解消運動がようやくここで一つ実ったことになりました。

しかし、無年金障害者の問題はこれで終わりというわけでは決してなく、むしろこれからの運動が大変重要になります。今回の無年金障害者救済法が施行された後も、全国で無年金障害者の裁判は依然として続けられています。全脊連はこれを全面的に応援していく必要があると考えています。

無年金障害者は全国に約12万人いると推計されていますが、今回対象から外された残りの9万6千人以上の無年金障害者解消のための運動がさらに重要となります。つまり、国民年金に加入義務のあった自営業者などが未納、未加入の間に1・2級の障害を負った方たち9万1千人や、1982年1月1日の国籍条項撤廃前に障害を負った在日外国人約5千人。1986年4月1日以前に海外滞在中に障害を負った方たちの3類型の無年金障害者の救済のための運動です。

この運動はこれまで以上に、さらに難しい運動になることが予想されますが、今回の特別障害給付金の支給に関する法律には、次のような付帯決議が記されています。「無年金障害者の生活を支える家族の高齢化等の実情を踏まえ、国民年金制度に加入できなかった在日外国人その他の特定障害者以外の無年金障害者に対する福祉的措置については、本法の付則の規定に基づいて、早急に検討を開始し、必要があると認められるときは、その結果に基づいて所要の措置を講ずること。」などの付帯決議があります。今度こそこの付帯決議を基に私たち障害者は同じ仲間として、力を合わせて一刻も早く無年金障害者の解消に向けて運動を進めていくことが重要であると考えます。すでに年金を受給されている障害者は、同じ障害者でありながら無年金となってしまった障害者を本当に応援してもらいたいと私は切に願っております。

さて、私たちが75年以来たゆまずに取り組んできた、その30年間にも及ぶ運動の記録を振り返ってみると、無年金障害者に対するアンケート調査は、75年、78年、93年の計3回も行い、それを基にそのつど厚生省(現 厚生労働省)との交渉に当たってきました。また、国会への請願活動は13回にも及び、厚生省との交渉は実に24回にものぼります。国会議員に対する陳情も記録されているだけでも10回以上にもなります。また、94年3月には、総勢200名による国会周辺での車いすデモ行進まで行っているほか、議員会館前での座り込み運動や署名活動など実に粘り強い運動であったことがわかります。とくに、厚生省との交渉では、次のようなやり取りがいまでも印象深く残っています。

全脊連は、80年から年金の掛け金納付期間不足のため無年金となった障害者の救済について、老齢年金で3回も実施した特例納付制度を障害年金にも適用するよう要望していました。これに対して厚生省は「障害者になってから年金に加入して障害年金を受給するのは無理です」と回答。また、81年6月の交渉でも厚生省は「これは保険制度から全く外れたもので、諸事情から老齢年金に無年金者が若干出ることが判明したので保険原則を曲げて特例納付を行いました」と回答。82年5月の交渉では「言ってしまえば、火事になって保険に入るようなもので、それでは保険制度が成り立たない」。さらに、83年3月の交渉では厚生省から「無年金を制度のなかで救済する運動を今後も続けるのは労力の無駄になる」というようなことまで言われたほどでした。

このように全脊連による無年金障害者解消運動の歴史的な記録は、またその一方で、無年金障害者問題に対して国は一体どのように取り組んできたかを示す歴史的な記録でもありました。

全脊連はこの記録を陳述書としてまとめ、学生無年金訴訟弁護団全国連絡会を通じて東京地裁など全国9か所の裁判所に提出しました。この陳述書は、04年3月、東京地裁が「法の下の平等を定めた憲法第14条に違反する」として立法不作為(怠慢)を認めた判決に、この陳述書はいくらかの貢献ができたのではないかと思います。いずれにしても、立法不作為という司法の判決を受けて国会が特別障害給付金という新たな法律を作ったということは事実ですが、やはり、03年に設立された超党派の国会議員160人で構成する「無年金障害者問題を考える議員連盟」(八代英太会長)という政治の力に加えて無年金障害者の先頭に立って裁判で闘っている勇気ある原告たちと、その弁護団の活躍が何よりも大きな力となったといえます。

(つまやあきら 社団法人全国脊髄損傷者連合会理事長)