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「ノーマライゼーション 障害者の福祉」 2005年8月号

1000字提言

米国障害者団体と行政機関との関係

田門浩

2004年2月6日、米国連邦通信委員会のヒアリング(公聴会)に出席する機会があった。私が全米ろう者協会でインターンシップをしていたときに、上司のケルビーさんが、「今度、連邦通信委員会のヒアリングに行くので、一緒に来てほしい」と言われたので、そのお供として出席することになったのである。

連邦通信委員会とは、米国における電話・放送などの事業の許認可、規制等を行う独立行政機関である。私が出席したヒアリングは、「テレコミュニケーション及び自国安全分野における障害者問題」をテーマとし、この結果に基づき、連邦通信委員会が電話等の規則の見直しをするということであった。

ヒアリングには数多くの障害者団体が出席していた。聴覚障害関係では、全米ろう者協会のほかに、難聴者自助協会、北部バージニア聴覚障害者リソースセンター、ギャローデット大学(聴覚障害者だけが入学できる大学)などいくつかの団体・機関の関係者が出席していた。連邦通信委員会の担当者がいくつかの項目に分けて出席者の意見を求め、出席者から活発な意見が出された。ケルビーさんもいくつか意見・提案を述べていた。私は米国籍を持っておらず、全米ろう者協会のインターンシップとしての立場にすぎなかったので、最初は意見を言うことにためらいがあった。それで、ケルビーさんが、私も意見を言うよう言われたときは驚いた。私は、連邦通信委員会の担当者に聞いた。「私は外国籍ですが問題ないでしょうか」と。連邦通信委員会は、即座に答えた。「どうぞどうぞ。何なりとおっしゃってください」と。そこで、私は、「いつも電波文字通信装置(ページャーというもの)を持ち歩いていますが、地下鉄に入ると電波が届かなくなってしまうので、何か起こったときに心配です」と意見を述べた。連邦通信委員会の担当者は、うんうん、とうなずき、「それは検討に値しますね」と回答してくれた。ヒアリングが終わった後、ケルビーさんから「君は良い意見を言ってくれた」と誉められた。

私が感銘を受けたのは次の3点である。第一に、行政機関が自らの責任において障害者から直接意見を聞いていること、第二に、行政機関が多様な障害者団体の存在を当然のこととしていること、第三に、障害者から直接意見を聞いた結果に基づき行政機関が自らの責任において決定を下すという意味で責任の所在がはっきりしているということであった。民主主義の徹底がこのような面にも現れていると感じた。日本においては、審議会方式が多用されているようであるが、問題は委員の構成が行政の選択に委ねられていることと責任の所在が不明確になるということである。一口に障害者といっても、障害の内容が多様であり、そのニーズもまた多様である。同じ「聴覚障害」であっても、一人ひとりに応じてニーズが著しく異なる。それゆえ、審議会方式を使って意見聴取の相手方を委員に限定する方式が果たして民主的と言えるか、疑問を感じているところである。

(たもんひろし 弁護士)