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「ノーマライゼーション 障害者の福祉」 2005年11月号

民間団体による支援

見晴台学園の取り組み

藪一之

学園設立~一人ひとりの要求に応える教育を求めて~

学習障害児の学園「見晴台学園」(愛知県名古屋市)は、1990年無認可父母立の5年制”高校“として産声を上げました。「自分にあった勉強がしたい」「学びあう友達がほしい」、義務教育終了後のLD(Learning DisabilitiesまたはLearning Difficulties=学習障害の略)や軽度の発達の遅れをもつ子どもたちの切実な願いに応える進路が地域に全く見当たらない当時、「制度が整う頃には自分の子どもは学校を必要とする時期を過ぎてしまう」「今すぐほしいんだ」という親たちを中心に運動が広がりました。学習障害児の親の会を牽引役として「学習障害児の高校教育をもとめる会」(1995年より学習障害児・者の教育と自立の保障をすすめる会に改称。2000年NPO法人取得)を立ち上げ、全国的にも初めての父母が直接運営する学園として見晴台学園が開校したのです。

普通学級にも障害児学級にも収まりにくい、まさしく制度の狭間に置かれた存在の子どもたちの教育権保障をめざす取り組みは、その後中等部と青年部(19歳以上)を開設、高等部も教育課題から「本科」「専攻科」一環の5年制へと内容を充実させて今日に至っています。これらもすべて子どもたちや親からの要求を実現させたものです。平成17年4月には名古屋市中川区の新校舎に移転、現在26名の軽度発達障害の子どもたちが通っています。

特色あるカリキュラムと教育実践

見晴台学園は制度上無認可ですが、生徒にとっては、毎日取り組む時間割や授業があり、先生も友達もいるという意味で”学校“そのものに他なりません。学園は教科を「言語と数量」「自然と社会」のように大きな枠組みで捉えています。常勤スタッフや音楽・美術、外国語などを仕事に持つ専門の講師による授業は、学園の理念である「わかる喜び、学ぶ楽しさを知る」ことを大切にしています。苦手なことやできないことにも本人のペースや意思を尊重しながらゆっくりと取り組むことができます。中等部、高等部本科から専攻科へと続く時間の中で、生徒たちはたくさんの人に出会い、本物に触れる多彩な行事を経験し、じっくりと自分に向き合って互いを認め合う友達をつくります。そして、自らの意思で自分らしい生き方を歩むべく卒業の時を迎えるのです。

ユニークな個性の集まり~中等部~

中等部の生徒は地域の中学校に学籍を置いて毎日学園へ通っています。先日途中入学したTさん(中1)の親は小学校卒業の段階で学力的な問題と、人間関係の面から地域の中学校への入学に不安を感じていました。本人が仲の良い友達と同じ学校へ進みたいというので入学はしたものの、1学期を終える頃には授業のペースについて行けず、友達との関係でも孤立することが自分でもわかるようになりました。3年生一人だけの障害児学級へ行くことも彼女は拒み、3週間の体験入学を経て中等部入学の運びとなったのです。母親は「学校では娘にとって難しいと思われる課題が出されると先生が『やらなくてもいいからね』と助け舟を出してくれる。本人はうまくできなくてもやりたい気持ちはあるのに、やらせてもらえない。そんな状態で3年間学校へ通うことに意味があるとは思えなかった」と言います。中等部に入った彼女は水を得た魚のように初めての電車通学を覚え、「早くみんなの名前を覚えたい」と友達作りに積極的です。「芸術と文化」で描いた栗とぶどうのデッサンを「見て見て!」と誇らしげに私たちに見せてくれます。

Tさんを受け止めてくれた中等部には明るく積極的でバイタリティー溢れ、でも読み書きはとても苦手なSさん、アスペルガー症候群で特定のものへのこだわりの強さに周囲も一緒に翻弄されるけれど、友達といる安心感を大切にしているAさんなど、障害の特性や困難さのまったく異なる生徒たちがいます。しかし、そのことで私たちが大変さを感じることはありません。中等部には評価や失敗を恐れずにやってみたい!という生徒の意欲が溢れているからです。

5年間のゆっくりとした時間の中で~高等部本科・専攻科~

高等部には中学生時代を学園の中等部で過ごした人と、地域の中学校を卒業してきた人がいるわけですが、普通学級の卒業生の多くは高等部に入ると同じ壁にぶつかります。「どうせ僕はできないから」「やったって無理だってわかっているからやりたくない」という自信のなさや、自己否定の気持ちです。

現在、専攻科1年生のH君は文章や計算をノートに数行書くのが精一杯な自分をよく知っています。中学校卒業後、高校卒業資格の取れる専門学校へ進学するものの授業がわからないので机に伏せる日が続き進級もできず、「このまま肩書きだけ高卒になったとしても将来どうなるんだろう」と心配した親の勧めで学園の高等部本科へ入学しました。当初は「今まで頭の上を通り過ぎていた授業が初めてわかった気がする」と言っていた彼も、次第に要領の良さを発揮して苦手な書くことをうまく避けるようになりました。学校のやり方に自分を合わせるのとは違い、授業や行事を含めたあらゆる取り組みを生徒一人ひとりに合わせていく学園の方針は、強制力を持たないかわりに、自分で自分を律する厳しさがあります。本科時代の彼はそこで甘えてしまう弱さを引きずっていました。

本科を終了し専攻科になった今は、失敗への不安も少しずつ言葉や態度に出します。「卒論」の授業でHIVを取り上げた新聞記事の要旨をまとめる課題が出ると、「うわぁ、苦手な国語と保健体育が一緒になったみたい」と苦笑いで原稿用紙の埋まらないマス目と格闘しています。夏に登った石川県白山登山では、体力と気力の限界に挑戦できた達成感を『白山は一歩一歩の積み重ね』という詩で表現しました。彼の中で書くことの困難さが消えたわけではありませんが、ありのままの自分を受け入れて、そこを逃げずに踏みとどまってみようとする姿勢は見えてきました。文字通り時間をかけて一歩ずつ膨らませてきた自信を支えに、書くことはもちろん、将来の自己実現に向けて踏み出そうとしている今の彼を見るにつけ、一人ひとりの全面的成長をめざし、自己肯定観を育んできた学園の教育実践に改めて確信を抱く思いです。

学園の課題と将来

特別支援教育の制度化や発達障害者支援法の成立など、軽度発達障害の子ども・青年を取り巻く教育や福祉の環境が大きく変化する中で、私たちの学園もNPOとして地域に根ざした活動を充実させたいと思います。学齢期の教育の場としての見晴台学園のほかに、子どもや家族の相談活動(「悩まないで一緒に話そう会」月1回開催)や放課後・余暇活動の支援(土曜教室)、そして学校卒業後の自立と就労支援のための活動(自立支援センターるっく)、実践の交流と理論化を進めるための見晴台学園研究センターによる出版活動や第6回全国LD実践研究集会(2006年2月11、12日)の開催など、生涯にわたり子ども・青年たちの課題に寄り添った実践や支援体制の拡充を進めてきました。学園自体もNPO立の学校としての認可を含めた将来構想を持ち、保護者の財政的負担が軽減され入学希望者がだれでも利用できる安定した学園運営をめざして、父母と教職員と子どもたち、そして地域を巻き込んだ協同の取り組みを一層進めていきたいと思います。

(やぶかずゆき 見晴台学園学園長)