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「ノーマライゼーション 障害者の福祉」 2005年12月号

1000字提言

社会参加の諸相 1―「障害」と出会う

旭洋一郎

友人から尋ねられたことがある。小さい頃、自分の障害をどう思っていたのかと。私はしばらく考えて、「現在、自分が持っている障害者である意識は、小さい頃はたぶん持っていなかったと思う」と答えた。すると意外そうな顔をして、「ではいつから?」と当然友人は問うてきた。今度はすぐに、「やはり、近所の友達と同じ小学校に行けなかったことが、最初の障害体験だった」と答えた。この答えも友人にとっては予想外のことだったようだが、すぐに納得したという表情になった。

そうなのである。幼い頃からの障害者―私がまさにそうなのだが―は、小さい頃から自分は障害者だということを意識して生活しているわけではない。むろん、発達心理学の専門家が測定したわけではないから主観なのだが、自分に不便さや面倒なことがあっても、周りの人々と同じ人間だと感じているのである。祖母や両親が、どこにでも、どんなところでもおぶって連れて出てくれた成果だったのかもしれない。

しかし、小学校は違った。自分には門戸は開かれない。この時、明確に自分の持つ特別な状態に気が付いたのだった。よく言われることだが、人生の途中で障害をもった人とは違い、幼い時から障害のある人は、障害の受容は大きな問題にはならないと。たしかに激烈なギャップの経験はないかもしれないが、本質的には同じだと私は考えている。少しづつ少しづつ、私たちも障害を経験していくのである。

障害経験とは、しかし、適切な表現ではないかもしれない。障害者である自分を意識する時間と場といったほうが正確だろう。そしてそれは、24時間、365日いつもそれを突きつけられて生活しているわけではないということも追記しなくてはならない。寝ている時もある、気楽にドライブや散歩の時もある。そんな時は「自分には障害がある」というLEDは点灯していない。

では、警報LEDが点灯するのはいつか。私の場合、その時の多くは社会参加の場で見られる。すでに述べたように小学校がそうである。高校受験、大学受験もそうである。そして就職が最大のその時である。忘れていけないのは、そのたびに新たな課題が付け加えられていくことだ。大学院の後期課程に入学したその日もそうであった。諸先生から「君はとくに就職について覚悟するように」と老婆心とも引導ともとれる言葉をいただいた。「出会う」などと穏やかな表現は全く合わないが、今もそれは継続中である。

(あさひよういちろう 長野大学社会福祉学部教授)