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「ノーマライゼーション 障害者の福祉」 2006年9月号

1000字提言

人工内耳と僕

松山智

今回で最後になるエッセイは、自分自身の「人工内耳」について書きたい。

人工内耳装用者となって5年。最近は、見知らぬ者から、「あの、サイボーグの松山さん!?」と声を掛けられることが増えてきた。サイボーグ!?……確かに。

3歳児に失聴し、徐々に聴力が低下していく、若年性進行性感音難聴と突発性難聴に悩み、不安定な毎日を送っていた。やがて補聴器を装着しても、全く音が入って来なく、ただ耳にぶら下げておく「アクセサリー」と化していた。そんな失望のドン底にいた時、「人工内耳」との出会いは、まさに神からのプレゼントだった。

しかし、その後学生の頃、デフコミュニティにどっぷり浸かり、アイデンティティが揺らぎ、自分は一体何者なのかと、毎日模索しては、人工内耳装用者となったことに後悔していた。なぜ、自分ばかりがこんなことで苦労しなくてはならないのか、毎日が悶々たる日々だった。しょせん、障害者は「本当の自由」なんて存在しないのだと、そう思っていた。

だが、大学を卒業し、障害の有無にかかわらず、いろいろな人に出会ったことで、気持ちが大きく変わっていった。自分自身は一体何者なのか。第三の文化を新たに作り、そこに属さなければならないのか……それは全く違うものだ。たとえ人工内耳装用者になっても、周囲から言われる【聴者】にはなれない。

年々人工内耳を装用する人が増加している今、装用年齢もかなり低年齢化してきた。医療機器がますます高度化、最先端化しているなか、人工内耳を選択するのも、確かに一つの手段だろう。しかし、人工内耳をしても、文化的な失敗により後悔する場合も考えられる。そうならないよう、客観的にきちんと検討する必要があると思う。

人工内耳をしたことで、僕の人生は大きく変わった。頻繁に起こる突発性難聴(めまい、吐き気、耳鳴り、聴力低下等)、そのため、いつも不安がつきまとい、また入院かと、予定を立てることもできずにいた。でも、聴神経を抜き取ったことにより、その不安からも解放された。積極的に何事にも取り組むようになり、自信もついてきた。今では、人工内耳なしでの生活は考えられない。

最近は音楽やミュージカルなど、「音」に触れる機会が増えてきた。「サイレント」な世界から、「音」ある世界に変わってきたことが、何より新鮮。

だれもが僕と同じようにマッチするわけではない。あくまでも、僕にとって、人工内耳は最高のサポート機器なのだ。

(まつやまさとし 金町学園児童指導員非常勤)