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「ノーマライゼーション 障害者の福祉」 2006年10月号

沖縄県自立生活センターイルカの相談方法

長位鈴子

はじめに

沖縄県自立生活センターイルカの事務所は本島の宜野湾市という、人口9万人弱の小さな市にあります。多分県外の方々には「普天間飛行場がある」とか、「2年前に大学に米軍ヘリが落ちた地域」といったほうがよく分かると思います。

イルカは沖縄県で初の障害者組織団体だと思っていますが、1993年に数名の人たちで設立し、1年が過ぎたころ、全国自立生活センター協議会(JIL)に加盟をしました。本格的な障害者の自立支援プログラムやピアカウンセリングなどを展開して現在に至ります。

施設の中の虐待

私は障害がある自分の体にすごいコンプレックスを持ちながら地域で生活をしていました。そんな中で20数年、国立沖縄病院の筋ジス病棟に入院をしていたイルカの現理事長が退院して地域生活を希望し、実行した頃から障害者運動に関わるようになりました。何事にも飽きっぽく、理由をつけてはやめる性格の私があれこれと続けて12年になります。

今、私はなぜ飽きもせずここまで続けてきたのか考えることがたびたびあります。一つは幼少期に親元を離れ施設に入所しながら、併設している養護学校に通った寂しい思い出。今は地域で当たり前に生きることがどれだけ幸せなことなのか分かっているのに…。二つめは、療護施設で職員のわいせつ行為を新聞で見たとき。

その頃の記事内容は、療護施設に入所している数人の女性を裸にして写真を撮り、それを机の引き出しに隠していたのを、内部告発という形でマスコミに流れ大きな問題として取り上げられました。

児童施設とは大きく違い、療護施設の職員の意識や、それぞれの関わり方に大きな違いがあるということは分かっていましたが、裸の写真を撮ることが私には理解できない。しかも、その職員が平然と仕事をしていることにすごいショックを受けたのを覚えています。同時に、私の中の差別意識、「障害者のどこがよくてヌード写真なのか」と思った自分の心の奥底にある無意識の差別に、今は後悔しています。

障害者の置かれている沖縄県の状況

沖縄県は敗戦後米国の領事下にあり、日本の福祉制度は遅れて制度化されています。同時に莫大な資金で、中・大規模入所施設が人里離れた所に多く建設されました。そこには生まれてすぐ預けられる子どもたちから、一度も施設から外の社会に出ることなく、家族から看取られず天国に旅立つ人もいると聞きます。

高度成長期時代に人々の生活は豊かになり、現在はほしい物は手に入る飽食時代と言われていますが、一方では、生活保護も受けられず餓死していく人たちもいます。

施設や病院、親者からの具体的な自立支援

沖縄県内で私たち障害当事者が中心になって小さな思いから小さな任意団体を立ち上げ、この12年余りで何をやってきたのかをお話します。

イルカの設立メンバーの全員が施設に入所経験のある仲間で、地域で生きるための目的や当たり前の幸せという価値観は一緒であることはすごい結束力があります。どんなに議論をしていても、どんなにやめたくなったとしても、現実の社会では生きにくいことや介助なしでは地域生活ができないことをそれぞれが覚悟しました。

まず初めに、設立当初は自分たち(重度障害者の介護保障を何とかしなければ…)の行政交渉や自分の障害を受け入れるために、他県のピアカウンセリング講座や自立生活プログラム研修などを受けながら、切磋琢磨で育ち合いの時期が2年ほどあったように思います。

少しずつ独自の研修やイベントを企画・開催していく中で仲間づくりをしていき、その中から「施設から出て自立をしたい」「親の加齢で介護ができないので、一人でアパートを借りて生活したい」などの相談が出始めました。

こうして現場で実践をしていきながら相談事業の基盤ができたように思います。しかし、当時はうまくいくことが少なく、支援の仕方を間違えて親元に戻してしまったケースや、社会福祉協議会の支援者にお願いしなければならないことなど、今考えてもいろいろなことがありました。

支援費制度になってからの相談事業

重度障害者が、これまで地域で生活できないとあきらめて施設に入所していた方々が、支援費制度になったことで地域での生活が可能になるかもしれないと夢を持ち、動き出す人たちが増えてきました。

自立生活に至るまでの過程はさまざまです。障害者自身が運営している団体ということ、障害者同士のピアカウンセリングで精神的サポートをしていくこと、自立生活体験室を使用しながら地域生活に必要なノウハウを具体的に経験していくためにピアカウンセラーと一緒に組み立てて実行していくことなどを通じて徐々に自信をつけていきます。そして、自分の精神面と経験から本来の自信を取り戻して、1年から3年くらいかけて単身の自立生活が可能になっていきます。

最近の相談内容

最近の相談は、障害種別を越えていろいろな人たちから毎日のように寄せられ、面談や電話などの対応に追われています。

家族の抱える悩みには介護の不安が圧倒的に多いことは言うまでもありません。それと最近は、交通事故や病気などによる脳の損傷で高次脳機能障害者となった方からの退院後の活動拠点や、行き場の少なさの相談も後を絶ちません。

精神障害者の方々からは、働く場を探しているという相談や、家族の介護の悩みで疲れすぎて死にたいという相談も最近、受けました。相談内容によっては私だけでは抱えられなくて、精神的に私のほうが悲鳴を上げることもよくあります。しかしこんな時も、イルカの障害当事者や健常者スタッフは優しく私の悩みを聞いてくれます。だから、どんなに大変な思いをしていても続けていくことができるのではないかと思います。

最近、すごく考えさせられた家族愛がありました。知的障害者がこれまで何十年も家族と一緒に生活していく中で、社会の無理解から、家族が肩身の狭い思いをたくさんさせられてきた様子が痛いほど理解でき、傷ついているその方を見て不安を覚えました。

最初に家族から発せられた一言は、「この子を預かってもらえるところを探しています」というものでした。知的障害者といってももう50歳余りの方に、正直「この年齢でこの子はないよなー」と思いましたし、話を聞けば聞くほど家族の思いが伝わってきました。しかも「周りにこれまでたくさん迷惑をかけてきたので、迷惑にならないように関わってもらえることを望んでいます」と言われました。

私は相談を受ける立場を忘れ、怒りや悔しさ、また家族に対する偏見に対し複雑な気持ちをまだ解決できないまま、今もその方と関わっています。

相談窓口を担当すると苦情も多く耳にすることがあります。たらい回しにはしたくないと思えば思うほど自分自身の限界を感じますし、障害者差別や地域の格差や無意識の差別の強い島国を何とかしなければと思います。

おわりに

私は今の自分が大好きです。こんなことを紙面で書くと自信過剰だと言われますが、自分が生まれてきたことは意味がないと思い込んでいたことや、親への感謝ができない自分が今、生涯を通してやり続けられる意味のある関わりができること、また、こんな私でも仲間から必要とされ信頼されることが、人として幸せに感じずにはいられません。

人は一人では生きられないし、何もできませんが、小さな意見や力でも社会の役割が担え、いつか障害者が地域で普通に生きる環境が、日本のどこでも見られるようなことを思い描いています。

(ながいれいこ 沖縄県自立生活センターイルカ)