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「ノーマライゼーション 障害者の福祉」 2006年10月号

文学にみる障害者像

ジュゼッペ・ポンティッジャ著
『家の鍵―明日、生まれ変わる』

桐山直人

ジュゼッペ・ポンティッジャ

1934年生まれ、2003年亡、イタリアで最も栄誉ある文学賞=ストレーガ賞を受賞した作家である。この作品は2000年刊、発表されたとたん大好評を博した。訳者の「あとがき」によると、作者は「実際に障害児を持ち」、この作品は「作家生活30年後、重い口を開いて語る半自伝的小説」であるという。「自分の経験や身のまわりの出来事をテーマに、こつこつと地道に書き続けた作家」とのことだが、障害のある息子に関わる作品は、死去する3年前66歳で発表した、この『明日、生まれ変わる(原題)』一作だけのようである。

映画「家の鍵」

『明日、生まれ変わる』を原作に映画作りの依頼を受けたジャンニ・アメリオ監督は、原作からインスピレーションを受けて、障害の息子と父親の別の物語を「家の鍵」(2004年)と題して映画化した。麻痺による運動障害と知的障害を持つ主人公の少年は、鍵が与えられていること、その鍵を高くかざして見ることで、家族として受け入れられている安堵感を持っている。映画のほぼ真ん中で、障害児を長年育ててきた初老の母親が、病院で『明日、生まれ変わる』を読んでいる。若い父親に「これは読むべきよ。私たちに直接関わる話だわ」と薦める短いシーンがある。親が読むことによって、障害の子どもと共に生きていく力を得ることができる本であることを示している。

ストーリー

誕生の時、鉗子による脳の傷と酸素欠乏で脳性麻痺となったパオロ、デパートに出かけると父親フリジェリオは彼に寄り添ってエスカレーターに乗り、街の中では距離をおいて離れて歩く。生まれた時の医師・同僚・祖父母の言葉、就学時の校長との交渉・病院での訓練とカウンセリング、その時々の自分の感情を短い格言のような表現でつないでいく。

美術学校教授の自分の人生、30年の家庭生活の中で、障害の息子からの逃避・絶望があった。しかし、パオロを神との仲介者と感じるようになり、助けを彼に求めるようになる。壁に寄りかかって歩いているパオロの姿を見ながら、パオロがいない人生を想像する。しかし「考えることはできない」、「この人生をあきらめることは決してできない」と結ぶ。苦悩から受容へ、自身の再生の物語である。

30年の時間

障害の子どもと共に前向きに生きていこうという心境になるまでには、長い時間が必要となる。混乱、悲しみや不安の段階を経て、受容・再生にたどり着く。

フリジェリオはパオロの障害が「2歳になるまでに完全に治癒されること」を日曜日のミサで祈り、「願いは叶うだろう」という声を聞く。障害の告知による混乱からは脱したが、正しい情報の不足による安易な認識である。家に帰るとヒステリックな訓練を行い、リハビリ専門医の「痙攣性筋緊張異常の四肢不全麻痺」との診断に絶望する。

作者の執筆時と同じ年数である30年が過ぎた時点で、フリジェリオは障害や病の完治はできずとも、絶望からの回復はできる、と考えるようになる。その30年の間には、どのようなことがあったのだろうか。「サポート、希望、自己受容」をキーワードに紹介してみよう。

サポート

出産直後の深刻な症状が緩和して退院したことを同僚に話す。てんかん発作の再発の懸念はなく安心できる結果となったことを報告する。すると同僚は、一度でも脳に病変が起こったら発作の危険があるから注意するようにアドバイスする。細心のケアを行うようにとの親切心によるものだが、フリジェリオにとっては「脅し」と思え、親切どころか疎外される思いになってしまう。障害と向かい合うにあたって親が頼りにする医師においても、また。

誕生から13年目、治療の助言を求めた医師に、長年続けてきたドーマン法を「まったく無意味でしたね」と言われる場面がある。母親が中心となって多数の支援者を集めて、頭や手足を分担して動かして脳に刺激を与えて、生理学的な活性化を図るという訓練である。フリジェリオは「息子に脅迫観念にとらわれたような訓練を日々強いてきたが、それを通して私たちは回復を信じる気持ちを彼に伝えることができた」、そして「それ(ドーマン法)は私たちに希望を与えてくれた」と語っている。たとえ効果が不確実で、負担の多い訓練であっても、手術・薬など治療の手段がない状況において、パオロと家族にとっては、希望が持てる具体的なサポートであった。フリジェリオのその時の感情や障害受容の段階において、よりよいアドバイスや正しい話を聞いても、サポートになりはしなかった。

15歳のパオロを映画館や中古レコード店に連れていくボランティアの青年を見て、フリジェリオは「自分で責任を持って報いなければならない」と感じる。ボランティアの「親切で控えめで思慮深く」、パオロを「変えようとしたりせずに陽気に受け入れ」、必要な時にだけ「親愛の情をも与えている」サポートを見る。親は子どもに学習すること、成長することを期待し、それが子どもにとって迷惑なサポートに思えてしまう。ボランティアの支援は何ら見返りを期待せず、子どもにとって受け入れやすいサポートである。それに気づいたフリジェリオは、ボランティアから子どもとの係(かか)わり方を学び、変わっていく。

希望

バカンスで出かける旅行先でも、フリジェリオは「まっすぐ歩くのだ!」と命令口調で言う。パオロにとって叱責・懲罰と感じるだろうことが分かっていても、親の「希望をつなぐため」に言ってしまうという。毎日の障害児の養育には苦悩が伴う。これからどうなるかと不安も大きい。そういった時には将来の見通しにつながる希望が必要となる。ドーマン法が「希望」であったように。

楽しくあるべきバカンスでも、将来も歩けますように、との親の希望が命令となって出てしまう。もっと他に希望を持つことはできないだろうか。たとえどんなに小さな力であっても、障害の子どもが持っている力を発揮できる場があることを親が知ると、たとえうまく歩けなくても、それが希望となるのではないか。訓練で効果が見られなくても、わずかな成長があるのではないか。それを見つけたり、伸ばしたりすること=教育が「希望」になるのではないか。

パオロには言語障害があるが、学生集会で自分の意見を発言した。そのことを父に話す時の満足げなパオロの表情が、フリジェリオにとってたまらなくうれしかった。学校での成長の姿は父をうれしくし、明日への希望が生まれる。パオロと父にとって、学校は希望を見つけ出す場所であった。

親の自己受容

フリジェリオは、30年経っても感謝している医師の言葉を覚えている。 「このような子どもたちは2度生まれるのです。まず体を動かすことから学ばなければならないので、最初の誕生は、彼らにとって非常に厳しいものです。さて2度目の誕生ですが、これはあなたたちから与えられるものによって変わってきます。彼らは2度生まれ、1度目から2度目に生まれ変わる道のりはさらに苦痛に満ちたものになるでしょう。しかし、その果てにあなたたちの再生も待っているのです」

フリジェリオは、パオロがいない人生を考えることができない、という心境になった。障害児の親となった自分自身を受け入れて、「一瞬のうちに、ずっと永遠に出会っているかのよう」な新たな「別人」となった。

最後に、本書の巻頭の言葉を紹介する。

正常になるためにではなく、
自分自身になるために
闘っている障害者に

(きりやまなおと リハビリテーション史研究会)

〈文献〉ジュゼッペ・ポンティッジャ『家の鍵―明日、生まれ変わる』今村明美訳、集英社、2006年