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「ノーマライゼーション 障害者の福祉」 2006年10月号

ワールド・ナウ

ラオスの障害者スポーツ支援

中島和

1998年から支援

ラオスに行き始めて9年目になる。最近でこそ、ラオスの認知度も高まり、「ラオスってどこにあるの?」と聞かれることも減ってきたが、日本人にとってまだまだアジアのマイナーな国である。

私も1998年に初めてラオスに行くときは、当時のラオス駐在坂井大使から、アジアの障害者活動を支える会(ADDP)に対して、ラオスの障害者のために来てほしいというラブコールを受けて、おっかなびっくり出かけたのであるが、途端に大好きな国になってしまった。日本の原風景があり、国連の最貧国というのに、貧しさが感じられない。それどころか、心の豊かさが染み入るのである。

以来、ADDPはいろいろな形でラオスの障害者の自立をめざす障害者支援の活動を毎年行っている。目的は、ラオスの障害者が社会の中で自立して生きていくこと、障害者自身が助け合ってその仕組みを作っていくことである。まず、取り組んだのは、障害者の自助団体の結成であり、障害者リーダー養成セミナーを数回にわたって開催した。2000年、ラオス障害者協会は政府の認可を受け、現在ではラオスの障害者施策の一端を担う団体として活躍している。現在、17県中、支部のある県が6県であり、全国へ組織を広めることが現在の課題である。

近年の活動

障害者の就労支援、伝統的工芸、織物などによる障害者の自立の支援、また近年はITを用いて自立をしたいという要請に応えて、ITセミナーを開催した。ラオスは、1986年に経済開放化政策を導入、市場経済化、外資導入を始めたが、本格的になったのはつい最近のことである。ITなどの分野は、障害者も技術を身につける機会さえ得られれば、市場経済の中で対等に参加していけるのである。

若い障害者のグループが立ち上げたITワークショップに対して、小額事業資金の貸付なども行っている。このグループは狭い部屋を借りて、中古のコンピュータを設置し、入力の下請け、パソコン操作指導などを地道に行っているが、肢体不自由の若者たちは、視覚障害者にとって、ITが生活の質を変える画期的道具であることに気づき、視覚障害者支援プログラムも立ち上げている。

障害者スポーツ体育館の建設

この8年の間に、障害者自身の意識は変化した。特に若い障害者が、支援を求めるよりも、働く機会を求めて活動している姿はすがすがしい。関係者の意識も大きく変わり、政府は現在、障害者法の制定を準備している。

しかし、社会の意識は、社会に飛び込んでいこうとする障害者の行く手を阻んでいる。ラオスはきわめて相互扶助の考え方が強く、家族がお互いを支え合いながら、あるいは、困っている人を近隣の人が支えている社会である。障害者に対して決して冷たい社会ではないが、障害者の潜在能力に対する理解が十分でなく、彼らの社会参加を難しくしている。スポーツは、社会に障害者の能力を知ってもらう良い手段である。

2004年、ラオスにパラリンピック委員会が組織され、ADDPに対して支援の要請があった。関係各方面と協議の結果、障害者のための体育館の建設は、日本政府の「草の根・人間の安全保障無償資金協力」で行い、スポーツの指導、技術移転などには、ADDPが日本の関係者に呼びかけて協力していくことになった。体育館は、2006年10月に完成予定である。

第1回 スポーツ振興セミナーとバスケット・クリニック

ADDPは、日本の障害者スポーツ関係者に呼びかけて、ラオス障害者スポーツ振興への参加を依頼し、プロジェクトを実施している。2005年8月、第1回の車椅子バスケットボール・クリニックと第1回ラオス障害者スポーツ振興セミナーを開催した。

バスケット・クリニックの開催には、まず体育館探しから始めなければならなかった。ラオスの公共交通は、バスとトゥクトゥクという乗り合いの乗り物だけである。障害者にとって移動は大きな問題なので、体育館はビエンチャン市内でなければならない。ようやく見つかった工科大学の体育館を、わが会員が「鳥小屋体育館」との愛称を授けた。床はコンクリートで天井はあるが、周囲はコンクリートの柱に金網が張ってある。暑い国では、自然の風を100%活用した造りで理にかなっているが、夕立が来ると雨が吹き込み、床がぬれる。コンクリートの床には亀裂や段差があり、車椅子には辛い。しかし、これが唯一であるのだから仕方がない。

次の問題が、スポーツのできる車椅子。日本から持ち込んだり、かき集めたりしてようやく、6台を集める。障害者は交代でその車椅子を使って練習をする。小さい人が大きな車椅子に乗っては動きづらいが、ほかに無いのだから仕方がない。

九州車椅子バスケットボール連盟から、指導者と審判が参加して指導にあたった。たった2日間のクリニックだったが、車椅子で走り回る人たちはうれしそう。パスやシュートといった基本的な練習をした。2日目の午後は、ラオスパラリンピック委員会や、保健省、労働福祉省などから視察があった。

スポーツセミナー

第1回ラオス障害者スポーツ振興セミナーの参加者は、ラオスパラリンピック委員会委員長、国立リハビリテーションセンター所長などをはじめ、ラオス側の関係者と障害者、日本公使、JICA所長、そして日本からの参加者を合わせて60人ほどで、どんなスポーツをラオスで行ったらいいか、体育館の建設とその利用方法などについて、丸1日かけて活発な議論があった。

日本の代表からは、日本の障害者がスポーツを通じて経験と自信を重ねて社会参加につながった経験が語られ、ラオス側からは、ラオスの障害者スポーツを育てたいという強い意志と日本の障害者への熱い期待が語られた。

パタヤ国際車椅子バスケットボール大会へのエントリー

今年の春、8月にタイ・パタヤで開催される国際大会への招待状が届いた。ゲームが成り立つかどうか不安ながら、何とかしてこの大会に参加することはできないか、ラオスと日本の関係者から同時に声が上がった。大きな問題は、費用と練習であった。

費用は、日本とラオスでカンパを募り、最終的に男女2チームを派遣する費用3600ドルを集めた。練習は、難民を助ける会の車椅子製作を担当されている岡山さんに、メンバーの確保、車椅子の調達、練習場の確保からメンバーの移動まで大変尽力していただいた。6月から、練習が始まった。

バスケットの練習をしての感想をメンバーから聞く機会があったのだが、「体力がついた」「体が丈夫になった」「ぐっすり眠れるようになった」「友情が深まった」「障害者の仲間ができた」「互いに思いやることを学んだ」「自分に自信ができた」と感想が語られた。

本格的バスケット・クリニックの開催

参加することに意義があるとはいえ、やはりスポーツには技術が必要である。日本車椅子バスケットボール連盟から、2人のベテランコーチ、滝沢さんと坂田さんが参加され、クリニックが8月1日から4日間開催された。会場は、前回と同じ工科大学の体育館。

車椅子の基本操作、バスケットの技術、バスケットをするための体力づくり、ルールの習得と4日間はあっという間であった。

盲人卓球

国際視覚障害者援護協会からは、山口和彦さん、天野享さん、佐々木憲作さんの協力が得られ、8月2日と3日の2日間、盲人卓球のデモンストレーションを、国立リハビリテーションセンター内の盲学校で開催した。視覚障害者がスポーツをするということに、大変な関心が集まり、数社の新聞、テレビの取材も受けた。

参加した視覚障害の若者たちは、あっという間にコツを習得して、実に楽しそうにゲームをした。ラオスの視覚障害者が、スポーツを楽しむための環境はまだまだ整っていない。今後どのように環境を整えていくか、大きな課題である。

第2回振興セミナーの開催

8月4日に第2回ラオス障害者スポーツ振興セミナーを開催し、今後のラオスの障害者スポーツ振興について、特にもうすぐ完成する体育館の運営について議論した。障害者からは、障害者が中心になって運営利用できる施設にしてほしいという強い要望が述べられ、政府側からは、ビエンチャンで最初の立派な体育館であるから、一般の人も使えるようにしようという意見が出て、前途多難を予想させるものだった。

今後に向けて

8月15日から開催されたパタヤの国際大会では、2ゴール入れられれば上出来という予想に反して、何と女子チームが一勝するといううれしい結果があった。

10月の体育館完成に合わせて、第1回ラオスバスケットボール大会開催を計画している。今回の参加者たちが、それぞれ所属する場所でチームを結成し、10月をめざして練習している。

2007年1月には、障害者スポーツフェスティバルを計画している。ひとつはタイ、マレーシア、日本は九州車椅子バスケットボール連盟が参加しての国際親善試合である。そのほか、盲人バレーボール、盲人卓球、車椅子テニスなどの種目についてもそれぞれの関係者の協力を得て、実施する予定である。このようなスポーツを屋内体育館で実施するだけでなく、日本で言えば歩行者天国のように人の集まるところでもお祭りのように行い、多くの人に見てもらうことも計画中である。

障害者のために造られる体育館を、本当に障害者の使えるものにするためには、運営、管理、障害者スポーツの組織化などのノウハウの移転が必要である。現在、方法を模索中である。

ラオス障害者スポーツプロジェクトの最大の特徴は、日本の複数のNGOが協力していることである。文中で言及した団体のほかにも1月のスポーツフェスティバルには多くのNGOの協力を得ることになっている。

(なかじまかず アジアの障害者活動を支える会事務局長)