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「ノーマライゼーション 障害者の福祉」 2007年5月号

文学にみる障害者像

北杜夫著『遙かな国 遠い国』

桐山直人

北の作品と障害者

北杜夫は1927年生まれ、歌人の斉藤茂吉の次男、斉藤家は青山脳病院を営み、子どもの頃から精神病者と遊んでいたという。1952年東北大学医学部卒、慶応大学病院神経科、山梨県立精神病院、斉藤神経科医院で臨床医として働き、1960年『夜と霧の隅で』で芥川賞を受賞している。北は精神病者、知的障害者が登場する作品を数多く書いている。

◇1960年『夜と霧の隅で』

ホロコーストとして知られるユダヤ人や障害者を虐殺する計画が、1943年南ドイツの精神病院で実行されることになった。不治患者を収容所に移せとのナチスの命令に対し、不治ではないことを示すために「一か八かの博打」と批判される危険な治療を行う医師。ナチスに「生きるに価しない生命」とされた障害者を守ろうと苦悩する。

◇1964年『楡家の人々』

耳の穴から脳を見て診察し、言葉で患者を煙に巻いて治ったと思わせる独特の治療を行う楡脳病院長。病院の少し足りない看護人やせむしの飯炊き人、奇妙な節回しで新聞を読む患者。

◇1966年『もぐら』

精神病院で作業療法としてモグラ退治を行っている。院長はそれを題材に映画を作るという具体的な目標を患者に与え、映像によって自分を外から眺めることで治療効果を意図する。脅迫神経症患者、てんかんのある精神薄弱者、幻聴・幻視のある者、暗殺団に狙われている分裂病患者、碁は強いがぼけている脳梅毒進行麻痺の爺さん。互いに協力、対立しながら監督・カメラマン・役者となる。

◇1969年『さびしい王様』

革命により城から放り出されるが、森で蟻を尾行する自由を幸福と感じる「にぶい脳」の王様。

『遙かな国 遠い国』の正太

1960年9月、7月の芥川賞受賞直後にこの短編を「新潮」誌に発表している。ドイツの障害者虐殺批判に続いて、知的障害の青年正太を登場させる作品である。舞台は1953年の北海道の漁港、正太は17歳、障害に関する記述は次のようである。

のろくさとした挙動
間延びした話し方
小学校さえ皆についていけない
教室で泡を吹いて倒れたことがある
中学には総計10日ほどしか通わなかった
だらしなく太っている
鼻汁のあとがくっきりとこびりつく蓄膿症
何をやるにも覚えるのに時間がかかる
刺し網の修理など、覚え込むと人が休んでいる間も黙々とやるが応用がきかない
動物のあとを尾(つ)けるのが好き
夢を見たことがない

正太の母親キヌも「少なからず足りないという評判」で、魚の行商で釣銭の計算に苦労する知的障害である。父親は立派な漁夫・猟師で、何にでも有能な男であった。兵隊にとられて、ソ連国境で行方不明になっている。

てんかん発作があり不登校、応用がきかないが定型化された作業が可能な知的障害の正太は、北海道千島の沖合で鮭・鱒を捕る漁船の飯炊(かしき)となって働く。そしてソ連海域近くで捕鯨船と衝突して、千島列島のパラムシル島に収容される。このような展開の中に、北の障害者観が各所に示されている。

就職にチャレンジする

近所隣の者に、正太は鮭鱒漁船に乗れるわけがないと言われても、なんとか乗れるようにと、キヌは知人や漁業組合に就職を頼みに出かける。正太の能力を客観的に判断する知恵がキヌにないことが、息子を就職させようという強い意志を生むことになる。キヌが知的障害ゆえに就職後の正太の苦労や周りの困難を予想できず、就職にチャレンジした。障害者は、あらかじめ働く力を育ててから就労することも大事であるが、実際に職場に入ってからどのように支援すると適応できるか工夫することが重要である。キヌには支援の発想はなかったが、実際に働くことが大切であることを知っていたのである。

地域社会に生きる

キヌは夫の知人を頼りに職場開拓を行った。夫は、漁業組合の浜田理事がオホーツクの海に落ちたのを助けたことがある。夫がいなかったら組合で威張っている浜田はなかった、と正太の鮭鱒船への就職を迫り、浜田が就職させないことを行商に出て町の人々に話し歩く。浜田が正太の父に恩があることは、地域の者に知れ渡っている。浜田は縁故の親方の小さな漁船を紹介して、正太は就職する。夫がこの地域で生きていた過去における他者とのかかわりが、正太の就職を実現させるのである。夫が戦争にとられて8年以上たっており、その夫はいない。しかし、死んだ父が子を支えている。地域社会に生きるということは、障害者本人だけではなく、家族全体が築いた他者との関係の上に生活するということであり、そこには恩も「コネ」もある。死んだ家族さえも、地域においては障害者の支援者となっている。

働きながら成長する

正太は良い上司・同僚に出会っている。正太が乗る船の船長は、底引き網船から鮭鱒船に出世したばかりで、自分の責任で乗組員を「仕込むつもり」でいた。また、船員にいじめられても逃げるだけの知恵もなさそうだ、と障害のプラス面に気づく船長であった。正太の次に若い船員に、仕事を教える役割が与えられた。その者にとっては、正太が失敗すると自分の仕事が増え、うまく働けば自分が楽になる。閉ざされた船内では他者との入れ替えはできない。内部でなんとかしのがなくてはならない。正太が仕事を覚えると自分が得をするので積極的に教え込み、ジョブコーチあるいはナチュラルサポートが行われる。船員たちは正太をいじめて馬鹿にするが、飯を炊かなくなると自分が空腹になる。飯を炊く回数、タイミング、各自のおかずの好みを具体的に教える。やがて正太は、1日に5~6回の飯炊きをこなすようになる。

遙かな国を求める

正太は動物のあとを尾けるのが好きである。蟹、トンボ、蟻、犬、カラス、町を訪れる虚無僧のあとを追いかけて尾いて行けば、秘密が分かるにちがいない、と思っているという。その奇異な行動の謎が千島の収容生活の中で語られる。収容所内で、真新しい温かい服をもらい、火傷の治療をしてもらう。親切そうな女性が食事を用意してくれる。異国の人はだれもいじめたり馬鹿にする言葉を自分に向けない。この日本から遠い国で、自分が大切に扱われ、良いことばかりが続いている。ここが犬や虚無僧が知っていた国、町と行き来していた秘密の国であるにちがいない、と思うようになる。動物も人もだれもが、この幸せな国を目指して生きていて、身近な動物を尾けて行けばその遙かな国に行き着ける、と思っていたのである。他者には無意味と思われる動物のあとを追いかける行動は、正太にとっては幸福を見つける手段であった。正太は、人は秘密にしているだけでだれもがその遙かな国=幸福な国の場所を知っている、と思っていたのである。夢を見たことがないという正太にとって、これは現実なのであった。

周りの者にとっては異常、あるいは無益と思える行動が、本人にとっては充実した意味深いことであることを説明しながら、読者に知的障害者の行動の理解を促している。

◇ ◇ ◇

北杜夫は障害者を登場させる作品群を通して、また自分が躁鬱病という精神病であることを公表することで、障害を持ちながらうまく生きることができることを示している。障害に伴う人々の偏見・不安を無くそうとしている。

(きりやまなおと リハビリテーション史研究会)

(文献)

北杜夫『遙かな国 遠い国』新潮文庫、1971年

北杜夫『どくとるマンボウ医局記』中央公論社、1993年