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「ノーマライゼーション 障害者の福祉」 2007年5月号

知り隊おしえ隊

弱い視力と、体で感じるドラマ

高野定子

演劇への招き

私は中心性網膜萎縮症のため、両眼の視力は0.04しかありません、ある程度の視野はありますが、視野の中心部が欠けているので、文字は読めませんし、人や物の形は、ぼんやりしていて、目の前の人がだれであるかは分かりません。そんな私が演劇鑑賞を続けているので、どのように楽しんでいるのかを書いてほしいとの依頼を受けました。

演劇鑑賞を楽しんでいると書きましたが、特に演劇が好きだとか、戯曲に興味があったわけではありません。それは偶然の出会いから始まりました。平凡なOLであった若い日、近くに住んでいた女医さんが、その家での集会に誘ってくださり、その集まりの中の一人が、劇団“俳優座”の劇団員の奥さんであった関係で、俳優座の公演には、仲間とよく行きました。ファースト、ハムレット、フィガロの結婚、そしてチェフォフの翻訳劇等が盛んに上演されていた時代のことです。その後、女医の友人は地方へ転勤し、集まりもなくなって、劇団との縁も切れ、私の視力も損なわれ、仕事も辞め、鬱々とした日々を送っていたとき、幸運の女神が私を再び演劇の世界に呼び戻してくれました。

視覚障害者になって入った訓練センターの先生の紹介で、視覚障害者の観劇をサポートしている人を紹介されたのです。日銀を停年退職されたその人のサポートで、私は再び俳優座の後援会員になりました。とは言うものの、不安はありました。観劇、読んで字のごとく、劇を観る、その観る視力が衰えている今、果たして観劇が可能だろうか? 答えは、すぐ出ました。周りの人の配慮で、晴眼であった時とは違う観劇の楽しみを知ることができたのです。

まず、座席が毎回、最前列の中央部に用意されていました。視力が弱いので、前の席のほうが見やすいだろうとの配慮からでしょうが、最前列であれば、休憩時間に席を立った場合、一人で何とか席に戻ることができます。もちろん、頼めば席への誘導は劇団の人がやってくれますが・・。

公演の内容やスタッフ、俳優を紹介するパンフレットは、点字のものが準備されていますし、公演前に会員に送られて来る会報も、内容が録音テープに吹き込まれて送られてきました。ですから、あらかじめ次回の公演の詳細や見所、出演者などの情報を知ることができます。

読むべきか、観るべきか

同じ障害をもつ友人の一人が言いました。“目の見えない者が演劇を観るなんて意味がない。戯曲を楽しみたかったら、本を読めばいい。点字の本もテープ図書もCD図書もある。劇場へ行く苦労も要らない。”と。そう言う彼は全盲です。介添えなしで、劇場へ行くことは困難です。ですから、視力が残っていて、白杖を使いながら一人歩ける私は感謝せねばなりませんが、本を読むのと、役者が演じるのを身近に感じるのとでは、伝わってくるモノが違います。たとえば、俳優の興奮した息づかい、あるいは悲しみに沈む俳優の声、それは役柄にふさわしい特色をもって迫ってきます。役者の動きそのものは、さだかではありませんが、音の動きが、それを助けてくれます。これも、最前列という座席の良さのお蔭でしょう。

とは言うものの、かっては俳優の鋭い眼差しや、怒りに震えた手の動きまで、細かいアクションが見えたのに、今の私にそれは無理です。俳優の表情や衣装、舞台装置等は最前列の座席とはいえ、夢の中の世界のように、ぼんやりしています。あらかじめ送られてきた会報テープの内容を思い出しながら、それらを想像する以外、手はありません。でも、俳優の感情や作者が観客に訴えたいポイントは、正確に伝わってきます。

時には懐かしく、未知との出会いもあって…

藤沢周平が、江戸時代の庶民に焦点を当てた作品を書いていたことも、俳優座の舞台を通じて知りました。昨秋には、ドストエフスキーの“罪と罰”が上演されました。学生時代に読んだストーリーは、記憶に残っていますが、あの主人公の微妙な心理描写を台詞でどのように表現するのか、とても興味がありました。舞台装置や背景は見えないけれど、台詞の調子や間の取り方、音響効果とが相まって、登場人物の心の動きは、よく伝わってきて、久々に若い日の感慨がよみがえってきました。これも、演出の巧みさによるものでしょう。

今年の3月には、サム・シェパード作“地獄の神”を観ました。この作者も作品も私には馴染みが薄かったのですが、示唆に富む内容で、平凡で平穏な生活に安住している現代人への警告のように思えました。

今回は全盲の友人が付き合ってくれたので、感想を聞きましたら、私と同じような答えでしたが、舞台上の台所でコーヒーをいれている時、本物のコーヒーをいれているので香りが座席まで伝わってきましたし、台所の水音も本物の水道を設置していたので、臨場感が満喫できたと喜んでいました。

これからも、未知なる作品に舞台で逢えるのを楽しみにしています。

前述のように、私の視力は弱いので、困ることもあります。俳優座の劇場は、六本木にあり、地下鉄6番出口の目の前ですから、一人で行けますが、他の会場の場合、同伴者なしで行くことができず、後援会員でありながら、取り止めざるを得ないこともあります。視覚障害者にとって、単独歩行は、想像以上に大変なことですし、年齢を重ねることへの不安もあります。現に、一緒に会員になっていた年上の視覚障害者の友人は、3年前に世を去りました。でも、健康と時間、そして事情が許す限り、亡くなった友人の分まで観劇を楽しみたいと願っています。

(たかのさだこ 東京都北区在住)