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「ノーマライゼーション 障害者の福祉」 2007年7月号

知的障害者の自立生活に向けた支援活動
~ハッピーウォークの取り組み

桜井忍

ヘルパーさんと楽しく出かけよう!人生ハッピーに!

「ヘルパーさんと一緒に楽しく出かけよう!人生ハッピーに歩もうよ!」と名付けられたハッピーウォークの活動は、1998年に始まった。知的ハンディのある人が社会参加と自立をめざしてチャレンジするのを、個別に関わり支援するガイドヘルプ活動が主である。

メンバーさんは、毎月1回自分のとっておきの土曜日の過ごし方を決めて、手助けするヘルパーを希望し申し込む。当日は各々の時間を過ごし、最後にみんなが集まってその日のことを発表しあう。ヘルパーを使って外出するのがベテランのメンバーさんから初めてのメンバーさんまで、その日のチャレンジを拍手しあい、次はどうしたいかにつなげる情報交換ができる。みんな笑顔で帰っていく。その10日後あたり、翌月のハッピーウォークの申込書と一緒に、メンバーとヘルパーが協力して作ったハッピーウォーク新聞が届く。みんなの写真や絵、コメントが載っている活動の記録である。

また、当日メンバーさんたちが帰った後、ヘルパーたちが集まってその日の活動を振り返る。その話し合いから、他のヘルパーの関わりの様子を聞いてメンバーさんの別の面を発見したり、抱えているものを知らされたり…。そして次にメンバーさんに会う時は、今までより少し近くで向き合える…。問題ありの障がい者の対処方法をあれこれ話すのではなく、その人の今と自分がどう対面し関わろうかと思いめぐらすのである。

支援費制度でさらに活動が拡大

この活動が毎月続いてきた。その間、静岡市の知的障害者外出ヘルパー派遣事業が始まり、まもなく国の支援費制度が始まって、ハッピーウォークの活動は希望をもって展開された。知的ハンディがあるメンバーたちは、コミュニケーション支援を得て、自分の体験を積み、自信を付け、信頼できる人間関係を築き、他のだれでもない自分自身の一度しかない人生を主体的に生きる力をつけてきたのである。ハッピーウォークのメンバーの中には、グループホームに入居し「自分の生活」を実現してますます可能性を広げ、「人生満喫!!」している人も何人かいる。

自分のペースで自分で決めることができたMさん

そのうちの一人Mさん(34歳)を紹介したい。彼女は、何を考えているのか分からない、怒って動かなくなる、あごをたたく、他人の髪をつかむ等母親も困り、ボランティアも「関わるのに大変な人」と思っていた。きっと本人は、「また今日はどこに連れて行かれるのだろう」と不安と不満を抱えていたにちがいない。この級友が、ハッピーウォークのヘルパーに出会い、「みんなに合わせなくていい、自分のペースでいい、ヘルパーが自分に聞いてくれて自分が決めて行ける」ということを体験した。その後、毎月欠かさずハッピーウォーク。

初めのうちは母親が「この子は行きたいところなんて分からないし言えない」「太っているから○○は食べさせないで。プールに入れて。公園を歩かせて……」等と、行きたいところは母親が考えて申し込んでいた。ある日のハッピーウォーク。公園に行こうとするヘルパーに「ム」と言い、公園に背を向ける。どこへ行くかとついていくと、広い道路を渡って商店街、マクドナルドへ。アララ~!母親の依頼より本人の要請こそ優先、あなたの主張待ってました!

グループホームとハッピーウォークで変身したMさん

その頃、Mさんはグループホームに入居。初め母親は、いつも「ヘルパーさんの言うことをよく聞いてね」と言い聞かせていたが、それを言うなら「ヘルパーさんに自分のこと何でも聞いてもらって、自分で楽しく頑張りなさい」と言ってくださいと、母親に頼んだものだった。

だが彼女はしっかりヘルパーを使うようになっていく。グループホームに暮らすようになって、「何も言わない、動かない、よく怒る人」から「よく笑い、言葉を発し、楽しくまちを行くMさん」の変身ぶりに周囲は驚いた。彼女はグループホームの歩く広告塔となる。あのMさんがあんなに楽しそうにしているグループホームってどんなところ!?と、続々と体験希望者が現れたのだった。

グループホームで生活しながらハッピーウォークに参加し続けた。何をしたいか、どこに行きたいかを申し込む時も、ヘルパーとあれこれやりとりしながら自分で決めて自分で書いた。初めそれは「ケーキ」だったり「アイス」だったりした。おいしいものが大好きな彼女は、スーパーでのお買い物大好き。新聞に入ってくる広告を広げ、指差して「こう」「これ」と話しかけてきた。そしてハッピーウォークの申し込みの時のように、紙に書いた。カラーの広告はステキ、切り取って貼り付けた。食べ物だけでなく、服や口紅、旅行の本を見て行きたい所やお店等、何度も何度も見てたくさん書いて伝えた。こうして自分のコミュニケーションの一つの方法をつくったMさん。今、自分のしたいことを自分のやり方で自分らしい生活時間を過ごしている。自宅での生活は、母が(本人のために)つくってきた生活。そんな前の生活とは違う今の生活を見ようとせず、今までどおり○○させようと(操作しようと)した私を、しっかり拒否し目で強く抗議した。その時私は、Mさんは自立したのだと深く感動した。と同時に、私たちはいかに自分たちの生活の仕方をハンディのある人に押しつけているか。自分の意志を伝える術はその人自身が持っているのであり、それを互いのことばとしてコミュニケーションしていく支援こそが、自立の実現に向かう第一歩になれるのだと教えられた。

体験を積み自分で築く自分の生活

Mさんの生活ぶりに安心して、母親はお店を始めたので、今まで自宅に帰っていた土曜日の夜もグループホームに泊まるようになった。ふだんは仲間のペースに合わせているが、土曜日は個別に自分のヘルパーを使って一日じっくり自分の生活ができるようになった。若く新米のヘルパーと付き合いの長いヘルパーとを使い分けて毎週外出を楽しむMさん。そうしてMさんマップができあがった。馴染みの食堂、お気に入りのお店等々。

何年かに一度(今までに2回)、一人で出かける。みんな大騒ぎして探し回ると、以前ヘルパーと行った駅の南にある喫茶店で、アイスコーヒーを飲んでいた。帰り道、駅をまっすぐに脱けようとすると、駅ビルの中をしっかり回っていく。地下道の階段を上がろうとしたら、「ム」と言って、エレベーターに案内してくれた。自分の歩くコースをしっかり持っているMさん。「地域で暮らす」ってこういうことか。一人で行けないからと言っていつもだれかに連れられて行くばかりだったらどうだろう。自分で行って自分で分かる体験をいっぱい積まなければ、どうして自分の住み慣れたまちになりうるのか。Mさんマップは「自分で言えない、分からない」とされていたMさんの、自分で築いた自分の生活があることを証明するものである。

母親の自立

母親は、Mさんが家に帰ることに気が進まないのを淋しがるが、母親が作った生活や人間関係より、自分が作った生活や人間関係の方が楽しいのは当然と言わざるをえない。自分のコミュニケーションの仕方を大切にし、真剣に取り組んでくれる人たちと作り上げてきたからこそ、そこに、Mさん自身の可能性を拓く魅力があるのである。ついに母親は、「家では何もしない」と言いつつ、「Mの幸せを願うばかりだ」と言うようになった。本人の幸せは本人に任せたということだなあと、自立した親子関係を思う。母の思いを綴った一文を紹介しておく。

(母親からの手紙)

早いもので、娘のMがめぶき寮にお世話になりましてからじき十年。母親としても、とても寮生活等無理だと思いましたが、自立への第一歩と思い、心配しながらもお願いしました。そこにはめぶきの仲間がいて、やさしいヘルパーさんたちに助けられ、何ものにも代えられない生活の場において、毎日楽しく過ごすことができたからこそ、Mにとって今が一番大好きなめぶき寮ではないかと思います。週2日、実家の方に帰ってきますが、仕方なく帰って来る様子が見え見えで、母としてさびしく思いますが、いつか親なき後のこと思います。

Mは一人ではどこにも行けない子だから、ヘルパーさんといろんなところに行けるということは、本当にいいことです。M自身も今それが楽しみなのだと思います。いろいろな世界がみえてよいだろうと思います。「Mがヘルパーを連れていく」……あそこへ行く、ここへ行くと、自分が行きたいところにヘルパーを連れて行くと聞かされますが、これが今までのMにはないところで、親としては、ちょっと信じられないところです。

これからもMには、幸せになってほしいというのが、母としての願いです。どうぞよろしくお願いします。

本人自立のための重要な支援

このように、ガイドヘルプというのは、まさにコミュニケーション支援であり、知的ハンディのある人にとって、実に重要な、なくてはならない自立のための支援であることが分かる。

しかし、ガイドヘルプが本当に本人の自立支援を行えるためには、権利擁護の視点を堅持しなければならない。

知的ハンディのある人のガイドヘルプサービスは、今や必要な支援であると認められ「移動支援」という名で制度化された。しかし「移動」というと、目的地に一人で行けない人をヘルパーが連れていってあげると受け止められてしまわないだろうか?「自分で分からないし行けないからこのサービスを使うのでしょ」と、連れて行かれる支援(?)になったらとんでもなく恐ろしいことになる。しかし実際は、かつてのMさんの母親のように「ヘルパーさんの言うことをよく聞いて」と送り出してはいないか?ヘルパーもそれを真に受けていないだろうか。目的地に何事もなく行くことが、支援の中身で一番重要なわけではない。Mさんのヘルパーのように、本人の要請に応えるという本人支援の基本を決して外さないこと、本人の生活は本人のものであると尊重すること、これらが当たり前でなければならないことを大いに声に出して語り合い、明記していくことが求められる。

ハッピーウォークの活動も、分からない人を支援するボランティアの活動ではなく、ヘルパーを使って自分の行きたい所に行こう、世界を広げて自信をつけようという本人主体の活動として位置づけてきた。

Mさんと違って、「一人で行ける、買える、言える」人は、ガイドヘルパーはいらないのだろうか。障がいが軽い人たちは、自分の障がいが分かりにくいので、本当に自分が必要としている支援は何かをみつけることが難しい。何でもできるように見られながら、実は分からない不安を抱えている。ちゃんと教えてもらいしっかり分かるチャンスもないまま、社会の荒波にもまれるばかりの人も少なくない。そんな彼らも積極的にヘルパーを使って自分のこと、社会のこと、自分と自分を取り巻くさまざまなことを自分で分かり自信をつけてほしい。認め合える仲間と支え合い、信頼できる人間関係を築いてほしい。施設で暮らす人にもガイドヘルプの支援が保障されることによって、どんなにか本人らしいユニークな自立した暮らしが誕生してくるか…考えただけでもワクワクする。そしてそれを受け止め共生できる、寛容な、自立した私たちの社会でありたい。

(さくらいしのぶ ハッピーウォーク事務局)