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「ノーマライゼーション 障害者の福祉」 2007年7月号

本人の暮らし、家族の暮らし

自立生活と家族との関係

花田貴博

現在の生活:私は札幌市に在住している。進行性筋ジストロフィーで、全身性障害があり、人工呼吸器を常に使用している。1989年に国立病院に入所し、その後1996年7月1日に退院、自立生活を始めた。今年で11年になる。現在、障害者の自立を支援する活動をしている。

自立前の家族との関係:私は13歳まで家族と暮らしていた。12歳のある日のことを思い出す。私には弟と妹がいて、母が「将来はどうなるんだろうね」と子どもの将来について語りだし、弟には「スポーツ選手になっているかもね」妹には「結婚して子どもがたくさんいるかもね」と話したが、私の将来のことには触れなかった。それが「あなたには将来がない」と言われたようでとてもショックで別の部屋で泣いた。今思うと当時は母が介助できなくなれば、施設に行く選択肢しかなかったので母としては言葉に詰まったのだと思う。

私の家庭は母子家庭で、母が仕事をしながら3人の子どもを育て、私の介助もしていた。14歳から国立病院に入所したが、それからは家族に会えるのは、年に2回(7月と12月それぞれ2週間)の帰省と面会の時だけになった。その後、家族が近くに引っ越してきて月に2回外泊するようになった。当時は家族に対して迷惑をかけないように気をつけていたと思う。どこか他人行儀であった気もする。

自立後の家族との関係:自立生活を始めることになり、退院を国立療養所に伝えた時に医師に「ここを出たら何かあってもこちらでは何もできないですが、本当にいいですか?」と聞かれ、母は「息子のしたいようにさせたいので、もし何かあって命を落としても本望だと思います」と答えてくれて助かった。たいてい家族が一番反対するが、私の母はとても協力的だった。母は時々、私が立って歩く夢を見ていたそうだ。自立生活をした日に母は「たか(私の名前)が立って歩いた夢を見たのは、たかが自立するという意味だったのかもね」と話した。私の家族はそれぞれ住む場所が離れているが、それぞれの人生を生きていていいなと思えるようになった。病院に入院していたら疎外感があったと思う。恥ずかしい話だが、今年の春に母親を温泉に連れて行き、初めて親孝行をした。もっと早くすればよかったと思った。

今、自分も家庭を持ちたいという思いがある。私でもいいという人がいればの話だが。障害をもった自分が家庭を持つというのはさまざまな面で厳しい部分もあるが、やはり家庭を持ち子どもを育てたいと思うのは人間としてごく自然なことだと思う。自分はすごい親ばかになりそうな気がする。

(はなだたかひろ 障害者自立生活センター・IL―ism代表)