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「ノーマライゼーション 障害者の福祉」 2007年8月号

1000字提言

「特殊教育」から「特別支援教育」へ

津島徹

学校教育法の改正により、これまでの「特殊教育」が「特別支援教育」へと生まれ変わりました(今年4月1日より)。これに伴って、5つの障害種別(視覚障害・聴覚障害・知的障害・肢体不自由・病弱)に分かれていたものが、「特別支援学校」という枠組みに統一され、複数の障害に対応した教育も行うことができるようになりました。

これまで、教育の特殊性から通常教育と分けられてきたものを、特別な支援を必要としている児童生徒を主役とし、一人ひとりの教育的ニーズに応じて、彼らの自己実現を支えていくための教育へと切り替えていくことが迫られているのです。

特別な支援を必要とする児童生徒は、今後ますます増えつつあり、障害の重度化・重複化とともに、LD・ADHD・高機能自閉症などの発達障害への対応も求められています。そして、それは特別支援学校だけで受け止めるものではなく、その生徒が居住する地域の学校の通常学級や特別支援学級(旧・特殊学級)も含めて、身近な場で教育を受けられるように考慮し、その際に特別支援学校がセンター的機能を発揮することが求められています。

近代的な意味での障害児教育が始められたのは、明治以降のことです。明治5年(1872年)の「学制」において、障害がある児童生徒のための学校に関する規定が初めて登場しました。その後、明治11年(1878年)に京都に盲唖院が創設され、これが日本での障害児教育のスタートとされています。視覚障害・聴覚障害児の学校から始まりました。

知的障害教育に関しては少し遅れて、明治23年(1890年)に長野県の松本尋常小学校に学業不振児のための特別な学級を設置したのが知的障害児のための特殊学級の始まりとされています。本格的な知的障害教育独自の教育内容や指導を伴うものとしては、明治24年に創立された滝乃川学園(映画「筆子その愛」の舞台となった日本最古の知的障害者施設)がその起源とされています。

肢体不自由教育の始まりはさらに遅れて、大正10年(1921年)に、東京・小石川に最初の肢体不自由児のための施設として柏学園が創設されたのが始まりです。このように少しずつ広がりを見せていった障害児教育ですが、障害がある児童生徒すべてを対象に義務制となるには、昭和54年(1979年)まで待たなければなりませんでした。

日本に障害がある子どものための学校ができてから義務制となるまで、百年かかってしまいました。その間、時代の変遷とともに障害児教育も紆余曲折がありましたが、その根底にある「たった一人のためにも全力を注がなければ、すべての子どもを大切にすることはできない」という思いは変わりません。

(つしまとおる 藤沢市立白浜養護学校教諭)