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「ノーマライゼーション 障害者の福祉」 2007年9月号

私を支えてくれる人たち

加藤みどり

私は、1956年、山形県東根市で生まれた。17歳の時、原因不明の病から、全盲、車いすの障害者となる。「両眼視神経萎縮症、四肢体幹機能障害」の1種1級だ。

父母が早くに亡くなり、幼い頃から家庭的に恵まれず、しかも突然、障害者を余儀なくされ、施設に入所するしかなかった。入所した施設は米沢市にあり、さまざまな障害を抱えた70人もの人たちが生活をしていた。みんなが明るく元気に生活している様子は、生きる気力を失っていた私にとって、大きな励みとなった。

しかし、隔離され管理された施設の生活には、長くはいられなかった。私は、1年半がかりで施設を出た。二度と施設に戻らない決意をして……。この時から米沢市内での私の地域生活が始まった。とは言え、私にとって介護は不可欠のものである。当時、法的介護保障のない福祉は、厳しかった。ボランティアを集めるビラをまきながら、数少ない介護者に支えられていた。

地域生活をする中で、結婚とともに出産の経験をする。娘は今年27歳になり、4歳の孫がいる。娘を出産してから保育園に関わるようになり、ますます地域の人たちとのつながりができるようになってきた。これが生きているということだと実感できる場面に出会った。

出産したことで障害も進行し、1日24時間の介護が欠かせなくなった。

当時、障害者が地域で生きることに対して、周りの人々の理解はなかった。ボランティアは責任がなく、自分に用事ができると来てはもらえなかった。家族介護に頼らなければならない日々は、幼い娘が腰を痛め、家族の肉体や精神をボロボロにし、アルコールを飲む回数が増えて、いさかいも多くなる。

こんな毎日が繰り返されて辛かったことは事実であるが、どんな状況でも自分の選んだ道を変えることはできない。しかし、重度の障害者として、一人の人間として認められ、地域の中で生きていこうとする時、人との関係は、私を強く支えてくれた。

地域生活をする中で、私はボランティアや家族介護では、生き続けていくことはできないと確信する。病院に行きたくても、トイレに行きたくても、外出したくても、それはままならず、幼かった娘にも思うように手をかけてやることができなかったからだ。

今まで地域で生きてきた経験をもとに、他人介護保障を行政に認めさせていかなければならないと思った。

行政に対する他人介護保障の要求は、5年越しに認められた。1日4時間、1か月5万4000円であった。私は、1日4時間だけでも、安心できる時間を作れることにホッとした。ただ、金額の乏しさに介護者を探すことは容易なことではなかった。だが、地域の人たちは、介護の手を差し伸べてくれた。彼らは私の介護をしながら、他の仕事を探し、自分の生活を維持してきたのである。

13年前、私は38歳の時に立川市に引っ越してきた。現在、私の地域生活は障害者自立支援法によって何とか生活が作り上げられ、支えられている。1週間、12人のヘルパーさんによって構成され、支援されている。時間は、私に合わせたプランで、1日4交代の場合もある。長く関わってくれているヘルパーさんは12年が過ぎ、今は心身両面の援助者でもあり、心強さを感じずにはいられない。このヘルパーさんたちが洗面から入浴、食事、トイレの世話、そして私の床ずれの治療までも行ってくれている。まさにヘルパーさんがいなければ、私の地域生活は成り立たないのである。

都会では田舎と違い、近所とのつきあいがまるでない。何となく寂しさを感じないわけでもないが、これが都会なのだろう?きっと突然、私に何かがあれば、これまで関係を作ってきた人たちや家族が飛んできてくれることを信じていたい。

重度の障害者が地域の中で生きようとする時の介護問題を、改めて考えてみたい。

これまで30年近く、重度の障害者として地域で生きてきた経験は、障害者差別をなくし、障害者への理解を深め、その道をつくってきたのだろうと思う。

それは、障害者が地域で生きることによってできた人とのつながりが、そうさせたのだと思う。何かの時に支えてもらえる、力を貸してもらえる、それは健常者でも同じである。しかし、障害者は異なる。それは、介護者がいなければ地域生活が成り立たないからである。

私が経験してきたボランティアでは、命が保障されない。自分が十分な介護を求めた時、介護者もまた生活していけるような公的な保障が必要だ。そして、重度の障害者も生き続けることができなくてはならない。その介護保障は、介護を労働として公的に保障していくことの何ものでもない。

私は、施設で一生を送るのではなく、地域の中で自立生活を始めたことにより、人と触れ合い、身も心も支えられてきた。もちろん、現在、自立支援法によって制度が確立され、多くのヘルパーさんたちが、1日24時間の私の生活を支えてくれていることに、心から感謝したい。内容の厳しい自立支援法は、改正の必要があると思うが……。

介護を労働としてきちんと保障していくことは、重要なことである。そのうえでさまざまな困難があったとしても、「地域の中で生きてきてよかった」と思えるような人生を送りたい。

(かとうみどり 自立生活センター立川理事)