音声ブラウザご使用の方向け: ナビメニューを飛ばして本文へ ナビメニューへ

「ノーマライゼーション 障害者の福祉」 2007年10月号

1000字提言

「障害の受容」について

大里晃弘

「あーあ、こんな時、目が見えていたらなあ」。一日に何度、そう思うことか。朝晩の通勤途上、白杖を振りながらホームで人にぶつかりながら歩いた後に思わず考えてしまう。また勤務先の病院で患者さんの診察を終えて一息つく時に「顔が少しでも見えていたらなあ。患者さんと視線を合わせることができればなあ」と、ついつい意味のない願望を抱いてしまう。

現在の私の生活の中で、自分の障害そのものをあまり「受容」できているとは思っていない。だが、そもそも、完全な「受容」というのは、ありうるのだろうか。「受容」をどう定義するかによっても違ってくるが、「受容」とは障害当事者や障害児の親が障害をそのまま認めることであり、その意義は、そこからリハビリテーションを開始できること、それによって、教育や就労という社会化への道が開け、一個の人間としての生を可能にするという考え方である。教科書的には、「段階説」として多くの研究があるようだが、ここからは専門的な研究ではなく、私の体験的な受容論を考えたい。

私自身、20数年前に視力が低下して視覚障害者となり、さらに全盲となって久しい。大学の医学部学生時代からそんな変化が始まり、卒業はかろうじてできたものの、医師法の欠格条項のために医師への道を断念した。生活訓練や職業訓練を受けるために国立リハビリテーションセンターに入所したが、自分では障害を受容できていると感じていた。点字を習得し、歩行訓練にも慣れた。しかし、その後就労し地域で生活していると、自分の「受容」のあり方が、とても不安定で流動的であることに気がついた。それは前述のような無意味な願望であったり、自己の障害に対する陰性感情(かなしみ、怒りなど)を伴い、いつまでも十分な受容ができていないことに気がついた。

今から6年前に、障害を理由として国家資格を与えないという「欠格条項」を含む諸法律が改正され、医師法においても、欠格事由が緩和された。全盲であっても、医師への可能性が認められ、その後、私は医試国試を点字と朗読により受験し、数年後に合格、医師免許を取得した。現在では、大学病院の派遣医師として茨城県内の病院に精神科医として勤務している。

私の「受容」が完全なものであったならば、一旦定着した私の生活や仕事を変えることができただろうかと考え込んでしまう。私の医師への転身には、それまでの生き方を否定し価値転換しなければ、国試を受験することはできなかった。「受容」は必要なものであろうが、それを固定的なもの、完全なものとして考えていては、法制度の変化や状況の流動性に対応できなくなる。「受容」を柔軟に、かつ相対的に考える必要があるだろう。

(おおさとあきひろ 精神科医、大原神経科病院)