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「ノーマライゼーション 障害者の福祉」 2007年12月号

1000字提言

「歴史と想像力」その1

大杉豊

先日の避難訓練で、周りの健聴者みんなが耳をふさいでいる様子から火災報知のベルがけたたましく鳴っていることを知った。自分の耳がまったく機能していないことを改めて知る機会にもなったが、夜の就寝中に実際に火災が起きてベルが鳴ったとしたら…、「聴覚障害者焼死」の記事が新聞に載る可能性無きにしもあらず。

12月になるといつも思い出すのは、1950(昭和25)年12月に岡山で起きた聾学校寄宿舎火災で生徒16人が焼死した事件である。幸運にも焼死を逃れた義父などから話を聞かされてきたこともあるが、日本聾唖ニュース(日本聴力障害新聞の前身)の記事には、助かった者の話として「聾の方は盲児より勘が悪く盲児は手探りで避難した…」「保母先生に肩をたたかれて目をさまし…」などの記述が見られる。

2003年、日本聴力障害新聞は6月1日号で、同年4月にロシアで起きた聾学校寄宿舎の火災で生徒28人が焼死したニュースを伝えている。50年間、私たちは何をしてきたのだろうか。記事に「火災を知らせる非常ベルが鳴っていましたが、ろうの子どもたちは就寝していたため逃げ遅れてしまい…」と書かれているが、補聴器を使う子どもは就寝するときは補聴器をはずしていること(=事実)を、このくだりから読み取れる人はどのくらいいるのだろうか。

また、この事実から、就寝時も補聴器をつけたほうがよいのではないか、体内の人工内耳であれば解決できるのではないかといった意見が出るとすれば、それは聴覚障害者の生活内容を理解しない者の「想像力の貧弱」であり、これは障害者差別の根源でもある。「音」がダメなら強烈な「匂い」をスプレー噴射して火災を報知することができないかとユニバーサルデザイン的な発想で研究に取り組む例が見られるが、これは成否を別にして、想像力の駆使が飛躍しているように思う。

1950年の記事にある「肩をたたかれて」という当事者の経験は貴重なものである。今や、振動やフラッシュが強烈なものであれば目を覚ますことができることは知識の一つとなっており、火災報知と連動する振動・フラッシュ機器の開発や販売も始まっている。

いま必要なのは、聴覚障害者自身の経験や知識、言い換えれば「ろう者・難聴者の生活文化」の再発見であり、当事者を主体とする専門家と組織の力を結集させての社会変革運動の継続ではないだろうか。

(おおすぎゆたか 筑波技術大学障害者高等教育研究支援センター准教授)