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「ノーマライゼーション 障害者の福祉」 2007年12月号

わがまちの障害福祉計画 長野県飯綱町

長野県飯綱町長 遠山秀吉氏に聞く
「iバス」に乗せて作る町長さんの等身大の福祉

聞き手:福岡寿
(北信圏域障害者支援生活センター所長)


長野県飯綱町基礎データ

◆面積:75.31平方キロメートル
◆人口:12,913人(平成19年10月1日現在)
◆障害者の状況:(平成19年10月1日現在)
身体障害者手帳所持者 637人
(知的障害者)療育手帳所持者 67人
精神障害者保健福祉手帳所持者 53人
◆飯綱町の概況:
長野県の北部に位置し、平成17年10月1日牟礼村と三水村の合併により飯綱町施行。飯綱山から斑尾山までの緩やかな丘陵地帯に飯綱高原、飯綱東高原を中心としたリゾート観光地を有する。江戸時代には武州(江戸)と加州(金沢)を結ぶ宿場町として栄える。豊かな自然と清らかな水を生かし、りんご、桃、梨、ぶどう、そして米は特A米の農業が基幹産業。最近は長野市まで20分という地の利を生かしてベッドタウンの一面も持つ。
◆問い合わせ:
飯綱町保健福祉課
〒389―1293 長野県上水内郡飯綱町牟礼2795―1
TEL 026―253―4764 FAX 026―253―6887

北信五岳を遙かに望み、収穫前のたわわに実った「ふじ」と稲刈り真っ最中の田園風景のなか飯綱町役場に到着すると「新潟県中越沖地震飯綱町災害連絡本部」の看板が玄関前に掲げられていた。そう、7月16日、震度6強の地震で三水庁舎(旧三水村役場)は大きな被害を受けた(注・災害連絡本部は10月9日をもって廃止)。

▼新潟県中越沖地震では、大変でしたね。

三水庁舎が一番やられました。休日であり職員にけが人が出なくて幸いでした。水道管の破裂や住宅の一部損壊、破損などが多数ありましたが、けが人は3人でした。民生委員の方がすぐに要援護者の方の安否確認をしてくれて、その日の夕方には把握できました。役場の職員もその日から泊まり込んで、町内の確認にあたりました。前の地震のこともあり、2年前から防災計画を作る方向で話し合ってきたんですが、ようやく2日前にできあがったんです。町内を50地区に分けて現在41地区で要援護者防災マップもできています。個人情報保護法の問題もありますが、小さい町という特色を生かし、これまで民生委員がしっかり活動してきたこともあり、どこにだれがという情報は把握しています。

▼この連載企画は3年になるのですが、今回、町の登場は初めてです。現在の状況をお聞かせください。

人口は約1万3千人です。全国的にも評価の高い「りんごや桃」、またおいしいお米コシヒカリの産地として、農業が基幹産業です。平成17年10月に2か村合併して現在の飯綱町となりました。高齢化率は27%、長野市のベッドタウンとして人口が増加してきましたが、現状は微減という状況です。豊かな田園地帯という所であり、3世代同居世帯が多いのが特徴です。

昭和60年代、脳卒中全国第1位という不名誉な記録を作ってしまったことで、保健補導員や食改善推進委員が減塩運動を行い汚名を返上した経緯があります。それを生かし、「全戸にホームナース25年プロジェクト」を掲げ、引き続き運動を進めています。「健康いいづな21」を策定し、健康づくりは全町民の生涯にわたる一大計画です。

飯綱町では、長野冬季パラリンピックの応援をはじめ、これまで2回、スペシャルオリンピックスの会場になったこともあって、住民のボランティア意識はほかと比べても高いと思っています。呼びかけますとすぐに人も集まりますから、みなさん協力的なんですよ。

▼高齢化率が高いのは、長野県全体の特徴でもありますが、何か対策は講じておられますか?

国が本年度から始めた「認知症地域支援体制構築等推進事業」に長野県で初めてのモデル地域に選ばれました。町では、「うんまくボケりゃいいやさプロジェクト」と称し、認知症はだれでもなりうる病気であること、仮になっても人間らしく堂々と生活できる町づくりのために町内のあらゆる機関が認知症を理解し、不安なく生きられるよう対策を練っています。

▼うまいネーミングを考えましたね。親しみやすくていいですよ。では、飯綱町の障害者福祉施策はいかがですか?

福祉作業所を地域活動支援センターに移行し、指定管理者制度で社協に委託しています。地域活動支援センターでは、専門的職員を配置したことにより利用者や家族の相談支援、日中活動として、長野県庁等での清掃業務、軽作業、地域のイベントの参加による社会参加活動等バランスよく行っています。

作業工賃の見直しを行い、利用料100円をとることにしました。「障害者なんだから無料でいいんじゃないか、無料なんだからこれくらいでいいんじゃないか」という風潮がありましたが、これからはそれでは駄目だと私は思っているんです。今の世の中、税金一つとっても払わないのに権利は主張するという人が多くなっていますが、世に認められ、世間と堂々と向き合うには、100円といえどもそれなりの義務・責任を果たしていくことは必要だと私は思っています。

▼障害者自立支援法関連の施策で町独自の施策はありますか?

利用者の負担軽減策として、日常生活用具給付事業及び移動支援事業利用者の非課税世帯については、2分の1補助としました。移動支援事業は、保護者の送迎ができない場合の通所・通学支援も実施しています。

相談支援は、長野圏域(3市5町3村)でながの圏域障害者総合支援センターを設置しています。4ブロックに相談支援専門員、その他療育コーディネーター、就業・生活支援ワーカー等を配置し、相談者一人ひとりのニーズから地域の課題を共有し、その解決に向けて、関係者間で連携・協力して障害者のケアマネジメントを行っています。

▼飯綱町では民間の団体が元気で、事業者共同体を作られて官民でうまく連携されていると伺いました。

町内で活動していますNPO法人SUNが障害福祉に関する専門的な知識をもち活動的で、いろいろ教えてもらって町としてはありがたい。ただ小さい町ですから、これまで隣近所、みんなで助け合って生きてきたという土地柄なもんですから、そういったソフト面とうまくリンクして一緒に活動できればいいと考えています。われわれとしては、できるだけお金をかけないで特に公共施設の有効利用やインフォーマルなサービスの提供などで、将来的にはグループホームや分場などを増やしていきたい。町としても限りある資源を有効利用し、共動で支え合い助け合っていく方針です。

事業者共同体は、社協、SUN、あおぞら(自閉症児者の施設)の3者が毎月定期的に集まり、障害者自立支援法施行に伴う町の福祉施策を話し合ってきました。それぞれが持っているノウハウや人材を生かし、地域活動支援センターが運営できています。今年の7月に立ち上がった地域自立支援協議会のプレ準備的な側面もありました。

▼町の中をかわいいバスが走っていました。何でもデマンド方式のバスだとか…。

もうご覧になりましたか? 10月1日から運行しています。「iバス」といって、飯綱のi、アイデアのi、イノベーションのiから名付けました。平日の昼間、デマンド方式によるワゴン車で電話1本で戸口まで迎えにいき、目的地まで送ります。昼間はみんな働きに出ていて、たとえば病院に送ってもらおうにももらえない。家族に頼らなくても自由に行きたいところへ行くことができる。高齢者や障害者はもちろんですが、家族からも喜ばれ、中学生の利用も多い。引きこもりがちだった人たちが自分から外に出られる。大人300円、小学生200円で利用できます。土、日運行などまだ大いに改善しなくてはいけない面もありますが、あちこちから取材も相次いでいます。

▼いやあ、障害者の社会参加という面からみても画期的ですよ。私の所でもほしいなあ(笑)。

登録方式をとっていますが、現在6000人が登録しています。つまり町民の約半数ですよ。バスの車体のリンゴの絵もiのマークをデザインしているんです。運行して3日目ですが、今日だけで40人が利用しました(注・取材は10月4日)。住民にも分かりやすく使ってもらうために、漫画でiバスの広報もしてきました。

▼「障害福祉計画」は策定されたんですね。

3月に完成しました。策定にあたり、隣の信濃町にも呼びかけてSUNと共同でニーズ調査を実施しました。そこででた課題を事業者共同体で検討し、策定に反映しました。策定メンバーにはもちろん障害当事者にも入ってもらいました。

▼最後に、遠山町長に飯綱町の今後のまちづくりについてお伺いしたいと思います。ある週刊誌で「終の棲家を構えたい住みやすいまち」全国第3位に選ばれたそうですね。

そのようです。全国の市町村から移住候補地として選ばれた15か所の中から選ばれました。県外から移住されてきた方が紹介されていましたが、こうして飯綱町の良さが全国にアピールできてうれしいですよ。町でも総務省の頑張る地方応援プログラムに申請し、「新公共交通システム構築」「少子化対策」「飯綱に住もう」「飯綱ブランド構築」「救える命を救う」の5つのプロジェクトを推進中です。iバスのように、障害者、高齢者だけでなくだれもが使える、住みよい町のユニバーサル社会の実現に向けて小さい町ながらこれからも頑張っていきたいと思います。


(インタビューを終えて)

住民のために働く、貴重な税金を無駄にしたくない。そんな住民にとって、とっても大切な思いが、たたずまいやお話から伝わってくる町長さんでした。そういえば、町長室も無く職員と同じフロアで机を並べて執務されていました。町長さんのお父さんが30代で発病され、67歳で亡くなられるまで、関節の障害をおもちだったこと、町長さんご自身も、50代のときに脳卒中で1か月の入院を経験されているとのことでした。障害を他人事としてでなく、住民のつながりの中で支えていく、そうした腰の据わられたまちづくりを期待させてくれる取材でした。