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「ノーマライゼーション 障害者の福祉」 2008年2月号

若年認知症の生活障害への支援策を求めて

比留間ちづ子

若年認知症は18歳から64歳までに発症したもので、「認知・記憶障害などの中核症状と、周辺症状としてうつ状態や妄想、徘徊などの行動変化が生じ、生活の自立が困難になる」と定義されている。年齢的に介護保険も使いにくく、精神障害者手帳にも該当しにくい。しかし、日常的な過ごし方が自分では決められず、外出しても家に帰れなかったり、同じものを毎日買ってきてしまったりするので付き添いが必要になる。生活リズムが狂い、夜中にも出て行くなどのことがあると、家族は1日24時間、目が離せないで介護を続けているが、限界は目に見えている。かつて、脳外傷友の会の皆さんが「高次脳機能障害」の施策確立を進めてきたように、今、若年認知症の本人と家族が生活支援を求めて結束し運動を始めようとしている。

最近増加しているのは、若年アルツハイマー型認知症や、ピック病を含む前頭側頭型認知症などの進行性変性疾患で、診断年齢は40歳~54歳頃が多い。発病が非常にゆっくりで、変だな~と思ったことがあっても日々の仕事はこなし、2~3年経過して会社や取引先から、約束の日程に来ない、企画ができない、買い物でお金を払わないなどの失態を告げられ、受診を勧められる。怠慢という理由で即刻の解雇や、主婦の場合は軟禁状態が続いたりする。その後の多くは家族だけで何年も向き合い、一挙に社会との関係性を失う。

家族の困惑は、経済的困窮、子どもの養育のほか、「認知症であること」それ自体で、どう理解し、だれに相談すればいいのか、何の手掛かりもないことである。親戚に拒絶され、医師には治療法がないと言われ、市町村窓口でも支援法がない、と対応されない。介護保険申請もせいぜい要介護1。デイサービスは高齢者ばかりで本人には場違い。家族会にたどり着いてようやく何が問題なのかを教わる。家族は家族会に連絡することを決断するのに半年かかることもあるという。認知症と認めることになる、と躊躇(ちゅうちょ)したり、まだ子どもが小中学生の場合に心理的な影響を恐れるということは理解できる。

2007年3月、「NPO法人若年認知症サポートセンター」が新宿御苑に近い新宿1丁目に発足した。若年認知症家族会「彩星の会」と並行しながら、1.若年認知症への理解・普及、2.専門職養成、3.地域サポーター養成、4.地方の家族会立ち上げ支援、5.介護者支援、6.相談事業、7.本人の交流クラブ「ゆうゆうスタークラブ」の月1回開催、8.「若年認知症 社会参加センター ジョイント」の運営、が主要な事業である。

「ジョイント」は厚生労働省補助金事業で、「再就職を目指した就労型の活動準備センター」の構想で2007年10月に開所した。離職した本人の「会社に行きたい」「働きたい」という声が多かったからである。壮年期にあり、職務に対しても社会的役割にも最も意欲的で責任感の大きい時期の発症で、しかも緩やかな病状のなかであるからこそ、仕事に掛ける思いはますます強くなる。自分なりに能力の判断をしていても、自己実現への希求は続いているのである。若年認知症のデイ活動のテーマは、「就労」でなければならないと判断したのである。

現在、7人の男性が東京近県からも通所され、週3回、午前10時から午後3時までを過ごす。朝、タイムカードを押し、当日の業務計画を立て確認する。帰宅時に1日の記録をして振り返り、タイムカードを押して帰宅する。いつも「社員証」をつけ、ジョイントマークのついた名刺を持ち、渉外や見学者の挨拶時に使う。昼食はサラリーマンの多いランチ屋に行き自前で払う。活動内容は、委託業務の1.折込や発送、イベントの会場係、2.ジョイントカレンダー制作・広報ニュース制作、3.個別の創作作業(工芸、木工、絵画など)、4.公益事業:公園のサポーター、道のサポーター、イエローバッジの販売、等である。

2人の常勤スタッフと日替わりの専門職サポーターが、それとなく本人が試行錯誤するのを見守り進めていく。通所者はお互いの調和を乱さず、また仕事の時間と談話の時間とを使い分ける。医師、OTによる認知・記憶テストは中間点ぐらいで言葉に支障はあるが、職業で培った判断やポイントは失われていない。道のサポーター請負について区役所と交渉したのは元公務員の方、ニュースやカレンダーを広報手段として率先して取り組んだのも、別の元公務員の方である。意見が分かれた時、双方の言い分を傾聴している元弁護士さん、基本的なポイントを指摘したのは元社長で、見学者にジョイントの役割を説明するのは元メデイア関係の方と、それぞれの得意分野が発揮される。社会参加への基本資質は十分に維持されている。

さて、進行性の若年認知症は受診や告知までに3~5年を経過し、告知から終末期までは8~12年と言われ、早期発見、服薬治療への期待は大きい。しかし、初期は記憶などのわずかな支援があれば日常的に慣れた仕事や、外部交渉もできる。やや進行した時、社会との交流が断裂することで、認知機能は大きく低下し、うつなどの周辺症状の悪化でケアが重度化してしまう。壮年期の最も有能さを生かす就労支援の仕組みや企業の協力体制の強化、そして地域的な支援によって家族単位への福祉が成り立つはずである。増悪期には介護保険施設、終末期医療の配慮も必要になる。その間に生活を維持し、本人らしく活動する場が必要であり、能力だけではない、「社会参加」を受け入れる施策体系が必要である。

認知症の生活障害は「固定」しないため「障害」とは認定されないのか? 若年認知症の存在は、「生き様への福祉とは何か」を考えさせる新たな課題である。

(ひるまちづこ NPO法人若年認知症サポートセンター副理事長、東京女子医科大学病院作業療法士)